| 2008年01月31日(木) |
たまには真面目に仕事な話 |
いろいろと考えてるうちに自己分析っぽい感じになってきてしまった。
たとえば狐祭りなテーマでブックトークしてみろマンガ含めてOKと言われたとして、それではこぶねの面白さを読んだことない人に伝えられるかと言ったら私には出来ない……。狐の窓とか狐笛のかなたと並べて語ろうとしても、未読の人に面白さを伝える形で紹介できない。 私の思う面白さは、それを語っちゃったらもう伝わらないもの、なんだと思う。たとえば叙述トリックものを「これ叙述」と言って渡したらもう魅力が色あせちゃうように。 普段書いてるブログの記事は、あくまで既に読んでる人を対象としていて、共感できるかはさておき「こういう読み方がある」「こういう着眼点がある」という提示に過ぎないんですよね(ちなみにその視点が左フネ中心なのは言うに及ばず左フネ馬鹿)。未読の人へって、どうすればいいんだろ。せいぜい頑張って「第一巻だけ見て決めて!」の叫びにしかならない……。 私にとって、伊藤氏のレビューの方がササキバラ氏のそれより評価できるのは、「一見可愛いけど意外と気が抜けない」というはこぶねの面白さを提示してくれたから。ササキバラ氏のレビューは逆にその面白さを潰してしまうもの。も一つ言うと、その「気が抜けない」の方向性が自分と別ベクトルだったのも良かった。 レビューを読んだことで気づけたのか、たまたまそのタイミングにはまっていただけなのかは分かりませんが、4話みぃ子の「いきなりいなくなったりしたらダメ」という言葉が飼い主に去られた過去を示すことに気づけたのは、伊藤氏のレビューを見てからなんですよね。でも伊藤氏はそんな伏線について語ってたわけじゃない。着眼点は自分と全然違った。そこがいい。
私の場合、「一見○○その実△△」なものを好きになることが多くて、しかも「△△」への衝撃すら前情報なしに味わって欲しいものだから、自分にとっての面白さは語れなくなっちゃう。ギャルギャルしいアニメかと思ってた某アニメは意外と燃焼系アニメだった。でもそこで一話完結っぽい軽い話と思っていたところへ受けた衝撃といったら、もう。ただ、そういう感じに衝撃を受ける話だと人に伝えたら、面白さはおしまいになっちゃう。ぬるい感じに楽しんでいてがつんとくる部分を味わって欲しい。童話物語もそんな感じだったなー……。あれは「すごい!」「名作!」という評価だけ見ていて、内容何も知らなかっただけに、いざ読んだ時の面白かったこと。……でも「すごかった! 良かった!」だけでブックトークしたらまず殺されるわな。
活字倶楽部のテーマ投稿を見る時も、実際くっちゃべるわけでなくとも「これ腐蝕だとどう組み立てるだろ」と思いつつ、形に出来ないんですよね。どんなカテゴリの作品かを語ることすら忌避すべきことに思えて……。ホラーっぽいと言えばホラーっぽい、だけどそれがサイコ的なホラーなのかオカルト的なホラーなのか言ったらもう、それだけで面白みを削いじゃうようでなんか怖い。 説明したくないと思ってるものの面白さは、どうやっても伝えられないよ……(汗)。
担当違ってブックトークする機会なんてなくて良かったな、自分……。それで金もらってたら、今頃自己嫌悪で死んでるわ(苦笑)。 思えば、求められる資料と求める人を結びつけることへの興味関心は高くても……というか今もって仕事抜きに高いのですが……、新規に面白いものを伝えることへの興味はなかった。何か面白いもの送ってと言われて、YAリスト上から順に送ったという苦い過去があるくらいだし。(お前プロとしてそれは) もっとも、レファレンスもけして上手くはなかったのですが(汗)。 それでも、調べることは大好きだったし、その過程がいちばん楽しいとは今でも思ってる。結果より過程が大事。あと、読みは先導しちゃダメだってのが持論。ブックトークで自分の主観を語ったり、ストーリーテリングで演技過剰はタブー。これも上手くはいかないけど。 だからネタバレに対しての忌避感が人より強いのかもしれません。
まあ、なんだな。自分がどんなに適性ない仕事してたかってのだけは実感したわ(苦笑)。 アーキビスト時代の方がまだ、欲する資料がはっきりしてる人が多いだけに適してた気がします。修繕や乱れ直しは大好きだしね!
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