今日何気なく「Oops!(※)」を読んでいたらショッキングなニュースに出くわした。(※在バンクーバー日本人向け情報誌)
太神楽曲芸師、海老一染太郎氏逝去。享年七十歳。
いきなり中国語のようで恐縮だが、ご存知の通り海老一染太郎氏とは日本を代表する曲芸コンビ「お染ブラザーズ」で主に「喋り」を担当していたあの人である。少ない運動量でも「ギャラはおんなじ」だったために、お気楽な人という印象があったが死因は胃がんとのこと。額に汗してきゅうすを回す染之助氏の横で軽妙な話芸を披露していた染太郎氏、実は内心、ハラハラの連続であったのだろうか。心中お察しつかまつります。遅いけど。
お染ブラザーズで思い出すのは、昨年10月13日。あれは、人生の兄・清水一人結婚披露宴の司会のために訪れた明治記念館であった。異常なまでに会場に早く到着してしまったマユゲは、ちょっとゴージャスで居心地の悪い喫茶室の奥の席に陣取り、台本のチェックに勤しんでいた。すると近くの宴会場からテンションの高いシャウトが聞こえてきたのだ。
「ぅおめでとぉーございまぁーーーす」
おっ、なるほど。披露宴にお染ブラザーズか。そりゃめでたいわ。さすが明治記念館、「和」な芸がよく似合う。しかしこの日の染太郎氏、ちと様子がおかしかった。喋りが仕事のはずがこの日はほとんどしゃべらず、芸が終わる前にさっさと舞台から引き上げてきてしまったのだ。その顔はげっそりと痩せていた。舞台に残った染之助氏、慌てながらも何とか芸をまとめ困ったような顔をして飛び出してきた。あの時は「あれっ、爺さんちょっとボケちゃったのかな?」程度に思っていたのだが、今にして思えば染太郎氏、この頃にはすでに病魔が体を蝕んでいて、自分の納得する芸ができなくなってしまっていたのかもしれない。マユゲが「お染ブラザーズ」を目にしたのはこのときが初めてであったが、同時に見納めとなってしまったのはなんとも残念である。
ところでひとつ疑問。残された染之助氏、やはり葬儀で位牌を回したのだろうか? もしそうなら、きっと棺桶の中の染太郎氏……、
「ありがとうございまぁーーす。いつもよりしめやかに回っておりまぁーす」。
ご冥福をお祈りいたします。
2002年02月19日(火)
|