diary/column “mayuge の視点
INDEXpastnext

いざ! カマクラ(後)

その参 「やっぱり基本です。八幡宮周辺」の巻

 あじさい寺こと明月院を後にした我々は、国道21号(鎌倉街道)を東へ。


弥生ちんはテクテク元気に進みます。

 「バス乗ろっか?」


暑いので日陰で待ちます。ふう。。。

 歩く人々を尻目に、冷房の効いた車内で一息。



 「八幡宮前」で湘南バスを下車した腹ペコの我々は、ソバを食べに行きます。


バス停のすぐ前。「いっさあん」。

 そばの前に二人で「板わさ」をつつき、ビールをいただく。


本格すり下ろしたて?わさびが、弥生ちんの鼻を刺激します。

 マユゲが頼んだのは三色そば天ぷら付2,200円也。



 アルデンテって感じでコシがあって絶品。これで再び力を得た我々。腹ごなしに鶴岡八幡宮の石段にチャレンジだ!



 登り切って振り返ると、



 「おおーっ、鳥居が見えるよー」

 ここで、お賽銭&お参り。願い事はひとつにしときつつ、次なるポイント「巨福呂坂(こふくろざか)切り通し」へ。

============================================
「切り通し」とは・・・

 源頼朝が幕府を鎌倉に開いた理由のひとつが、その特異な地形にあった。海をのぞむ南以外の三方を山で囲まれているという地形は、そのまま自然の要害となり、非常に好都合だった。しかし、たしかに三方の山々は守りを固めてくれるが、そのまま孤立するわけにもいかない。そこで頼朝は山を切り崩して、鎌倉と各地を結ぶ要路を造った。要路は全部で7つあったので七口(しちくち)切り通しというわけである。(『まっぷる』より)
============================================

 まっぷるのワイド判MAPにはしっかり赤字で書いてあったのに、行ってみると何てことはない民家の並ぶ住宅地。でもなんとなく「切り崩した感」を感じたマユゲは、新田義貞の鎌倉攻めをいつも悩ませたといわれるこの巨福呂坂で、鎌倉時代の勇者たちに想いを馳せる……。

 さあ、次はおみやげタイムです。

               ◇

その四 「日曜の午後は『コマブラぁ〜』みたいなー」の巻

 巨福呂坂切り通しの余韻もつかの間、我々は、お土産を求めて小町通り(こまちどおり)へ。ここで「銀ブラ」ならぬ「コマブラ」気分を味わう。


今日は父の日。何がいいかな。


せんべいやでは試食用をポリポリ。


もうひとつのテーマ、甘味も忘れず。

 今度はサックリ入れました。


「甘味 竹よし」です。


今日は白玉クリームあんみつ(白みつ使用ヴァージョン)

 そして、鎌倉散策も終了。とうとう戻ってきました、鎌倉駅。


陽も傾き、往とは空の色も変わりました。

 さあ、kee坊が待つ駐車場へ。帰りも朝比奈インター手前の山まではスイスイ。さほど混むこともなく、第三京浜で多摩川を渡ります。


姫はお休みのご様子。


夕日もご覧になってないご様子。


まだ眠っておられるご様子。

 無事、弥生ちんをお送り申し上げ、本日4度めの多摩川越え。


夕焼けが川面にも映り、一日の終わりを告げます。

 弥生ちん、たくさん歩いて疲れたことだろう。今日はお付き合いいただいてホントお疲れさんでした。子供のような寝顔が印象的でした。

(おわり)

2000年06月19日(月)

読んだら押して↓
エンピツユニオン

My追加
▲TOPINDEXpastnext