くるぶしニッキ

2003年01月10日(金) そんなに律儀に出さなくてもよかったと思う(苦笑)

去年、めでたく結婚したこの方

「結婚した年だから、(親戚とかに)年賀状たくさん出さなきゃいけなくって
 大変だったんじゃないの??」

「あ、そんなに出してないや・・・。」

というやり取りがくるぶし掲示板でありました。

うらやましいなぁ、オイ。
ってことで本日はちと過去の話です。



くるぶしが結婚(入籍)したのは99年(平成11年)7月。

当時くるぶしは
今では想像できないほど働きモノのOLさんでした(笑)

「7月末で退職させてくれいっ!
 お盆休みまでの10日間くらいはたまりにたまった有給消化をするからっ!」

・・・・と5月初旬に上司に伝えていたくるぶし。

しかし、くるぶしの引継ぎをする子は7月になってから入社。

しかも。
良く言えば『手垢のついていない』
悪く言えば『一般常識のカケラもない』新卒の子・・・・。

3週間弱で電話の取り方からお客さんの応対とかの
一般常識を叩き込んで
この膨大な仕事量の引継ぎをしろと!?

絶対無理じゃっ!


嘆こうが泣こうが時間は待ってくれません(苦笑)
一瞬、「・・・お盆休みの後も出社するかな・・・」という考えが浮かびましたが
関西への引越しが控えています。
荷造りどころかダンナの配属先も住む家もまだ決まってない状態なのに・・・・。


そんなわけで「最大延長はお盆前まで」と期間を決めて
引継ぎをはじめたくるぶし。


実はくるぶしがここの会社に入社した時。
引継ぎをする人とひっじょーーーーに仲が悪く、
陰湿なイジメのようなことをされ、出社拒否になる1歩手前だったんで
(この女が消えた後は友達もたくさんできて会社に行くのが楽になった。)
自分の後を引き継ぐ子にはできるだけ親切にやさしく、
早く会社や社員になじめるように気をつかってやらねば・・・と
心に決めていたんで(やさしいなぁ〜。←誰も言ってくれないから自分で言ってみた。)

聖母マリアのような気持ち
(当然、通常は鬼っぽい気持ちな女である。)
あれこれを指導していました・・・・・・が

仕事量は倍増、残業も倍増(入社したての子に残業はさせたくなかったんで、
引継ぎをしてた子は定時に帰らせていた)、ストレスは当社比100倍

当時、女子社員の休憩室では
くわえタバコでぼーっとしているくるぶしの姿
多数目撃され、「くるさん、大丈夫ですか??」と周りに心配をかけていました(笑)


そんな状態の中、
「7月に結婚したんだから、挨拶状(「結婚しましたハガキ」のことっすね)の
 日付は『7月吉日』で出してね。
 7月中に親戚に届くように
と、義両親がおっしゃりました。

写真を撮りに行き、ハガキを作り、約150枚の宛名書きをし、
ぎりぎり7月中に投函。

結局、仕事にはお盆休み前まで行き、
「かな〜〜り不安だけど・・・・
 ま、ノートに仕事の進め方とか全部書いておいたし、
 エクセルとかの雛型も全部作っておいたから・・・・なんとかなるだろう。」
という状態で引継ぎも終了しました。

お盆休みは「最後の北海道旅行」とあっちこっちに行ったんですが
当然くるぶしは疲れがたまりまくっていたんで旅行先で下血。
飲まず食わずで旅行というより拷問というかんじでした。よよよ(泣)


忙しい日々はまだ続き、関西へ飛び、不動産めぐりをして引越し先を見つけ、
荷造りだー、車の陸送の手続きだー、飲み会だー、
Tが地元に戻ってきたから遊びにいくぞーっ、
台風きてるけどフェリーは大丈夫なのかー、わーわーっ。
・・・な状態で気が付くとカレンダーは10月になっていて
くるぶしは関西にいました(笑)


そしてまたもや義両親が
「お祝いもたくさんもらったし
 電話で挨拶はしてると思うけど、引越しもしたんだから
 挨拶状(この場合は「引越ししましたハガキ))を
 できるだけ早めに出しておくように。」
と言いました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・はいはい。

また手書きで宛名書きをし、「やれやれ・・・」と思ったのもつかの間。

年賀状のシーズンかよっ!

「今年は結婚したんだし、年賀状は(以下省略)」
と義両親がのたまいました。
(↑どんどん言葉使いが悪くなっているのに気が付いたかな?)


そんなわけで、大して友達もいないこの夫婦が
わずか半年のうちに
500枚近くのハガキを出したことになります。


二度とイヤです。

↓日記才人の投票ボタンです。
はじめての時だけ登録(無料)が必要です。



 < 過去  目次  未来 >


くるぶし [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加