堀井On-Line



8165,閑話小題 〜商売都市?長岡で生れて

2023年08月28日(月)



   * 幼児の頃は、気づかなかったが…
 子供ながらに、それぞれの家庭の事情が垣間見てきた、
それは残酷な現実に、それぞれ大きく影響されていた。その時節ごとに、
ウエーブがあり、浮き沈みがあった。ある日、その何人かが「夜逃げ」で
消えていった。そして普通の子供が、いじめっ子に変身していった、
そして母親の愚痴が、そのまま、子供の性格を歪めていった、妾の子供
とか、寺男とか、母親が得体の知れない商売をしていて、後ろ指をされて
いたとか、子供社会でも社会の縮小が、そのまま存在していた。

 それにしても、残酷なのが虐め。それは酷いものである。不幸な家庭の
子供は、どうしても、歪みが大きく出ていた、世の中は、不公平、不自由、
憎しみに満ちたもの。7834,閑話小題 〜三次世界大戦の可能性が!

2022年08月28日(日)

第二次大戦以降、最大の核戦争の危機と、国際政治の専門家は宣うが・・・
YouTubeに連日、ロシア・ウクライナのライブ映像が生々しく放映されている。
それも西側サイドもあってか、NATO軍?いや、ウクライナ側が一方的に有利で
.
***戦車、ジェットへりが、ミサイルで撃ち落とされる動画ばかりである。
確かにアメリカ、NATO軍が配備するミサイルは、制度が高そうである。
ロシアも原子炉を縦にするから、かなり際どい映像が流される。
としても、戦車に同乗している生身の兵士が、バラバラになり、吹き飛ばされる
映像も、時間と供になれてしまう。

 恐ろしいのは、NATO軍と、ロシアが直接抗戦の可能性である。国際政治家は
何を考えているか・・・? 数千万、数百万人単位で殺戮を平気で為かねない。
あのチェルノブイリ原発事故より、その被害は大きい可能性があっても、その
危険認識が少ない。権力の拡大と、維持をする者には、これほど有り難い事態は
ない。地球上から1〜2割の人口消滅も、こと死に対しての認識は鈍い。

・・・・・・
7500,シネマ観賞 〜『鳩の撃退法』
2021年08月28日(土)
   * なかなか味わい深い内容 …『鳩の撃退法』
 他の映画と、これを迷った上に、こちらを選択してみたが、これが正解。
息をつく暇もないほど惹きつけさせる何かが貫いていた。最近はYouTubeを
中心にみているので、ショートの一発モノになる。映画とは、そもそも、様々
な構造が重ねてあるのを一とずつ、解き解いていくもの。 これだけ丁寧に、
一枚一枚、剥いでいく展開も有りである。何やら、人生の最終コーナーでか、
生き急いでいる我姿を意識せざるをえないのが実感。このパンデミックは、
多くの要素が加味されて、人生に何を求め、何を信じて良いものかと我われの
目先に展開させてくれている。

  〜まずは…ネットHP解説より〜
≪ 直木賞作家・佐藤正午の同名ベストセラーを藤原竜也主演で映画化。
 都内のバー。かつて直木賞を受賞した天才小説家・津田伸一は、担当編集者の
鳥飼なほみに執筆中の新作小説を読ませていた。その内容に心を踊らせる鳥飼
だったが、津田の話を聞けば聞くほど小説の中だけの話とは思えない。
 この小説が本当にフィクションなのか検証を始めた鳥飼は、やがて驚きの
真実にたどり着く。
 謎めいた小説家・津田を藤原、津田に翻弄される担当編集者・鳥飼を土屋太鳳、
津田とコーヒーショップで出会った日に失踪したバーのマスター、幸地秀吉を
風間俊介、津田の行きつけのコーヒーショップ店員・沼本を西野七瀬、彼らが
暮らす街の裏社会を仕切る倉田健次郎を豊川悦司が演じる。
監督は「ホテル ビーナス」のタカハタ秀太。
 ――
●クズな“だけ”じゃない! “巻き込み型”の藤原竜也
 「カイジ」シリーズにより“日本一クズな役が似合う俳優”という地位も手に
入れた藤原竜也。本作でも冒頭からチンピラにボコられ、金欠で困窮し……と、
期待にたがわぬ堕落っぷりを見せてくれるが、そこにとどまらないのが本作の
藤原竜也の魅力である。
謎の偽札事件に巻き込まれたクズ男に見えて、実は事件のコントローラーを
握っているのは彼自身! 緻密な計画で周囲を自らの“ゲーム“に巻き込んでいく
という「デスノート」の夜神月役や、「22年目の告白 私が殺人犯です」の殺人犯・
曾根崎にも通じるトリッキーな天才タイプの役柄であり、いわば“これまでの
藤原竜也のハマり役をいいとこ取り”した「そうそう!こんな姿が見たかった!」
といえる唯一無二の魅力的な役となっている… ≫
 ―
▼ 実際は、さほど哲学的な内容でもないが、それぞれの個性が見事に浮き
 出てる。 自らも含めた人間の一生とは、この程度のモノでしかない!
ということ。

・・・・・・
7106,閑話小題 〜7月末が、ピークだった?
2020年08月28日(金)
    * なに〜、呆けたか朝日新聞?
 数日前の朝日新聞・一面に、『国内のコロナが7月末がピーク』とあった。
【 ―8月21日-政府の分科会は21日、
 おもに7月以降の新型コロナウイルスの感染拡大について「全国的に見れば、
ピークに達したものと考えられる」との見解を示した。新規感染者の発症日は
7月27〜29日ごろをピークに緩やかに下降…】
 もし、そうなら、この騒ぎは何だった?と、思いつつ読返すと…
「第二波が…」の話。これでは、誰もが誤解する見出し! 
そんな甘いものではないのに… 大部分の人は事実や、真実を自分が望んだ
情報に書きかえる強固なバイアスを持っている。この秋口には、間違いなく
大きな第三波が到達するのが間違いないのに… この記事の見出しはない!
国からの援助を貰えるまで貰って廃業時期を探る日々だろう。厳しいのは、
これが地球規模にわたっていて、長期にわたること。理想的な特効薬が仮に
出来たとして、普及するには数年は必要になる。この7〜8ヶ月で、世界中で
惨劇が続いてきたが、それが、まだ序盤!経済困窮や、戦争問題で、権力者は
実権を得て方向を見間違えていく。 白人対有色人種の対立軸を持ちだし…
 朝日新聞の見出しには、明るいニュースで、少しは希望を持たせようとする
上から目線が見え隠れする。
  ―
 こうなると、リタイアをした身には、現在の日常が、そのまま、現役世代に
一般化したに過ぎない。今さら、海外旅行も行けないし、免許証の返済を
云々しているので、新しい車も欲しいとも思わない。美人を見ても、トキメキ
もなし! 晩酌に黒ビールを飲んで、美味いツマミがあれば充分! 
一万年前の「農業革命」で、人間は群れと、知恵を使って、地球を身勝手に使い
放題。そして本格的にオゾン層を破壊してきた咎が、ここで一挙に出てきた!
 こうなって、初めて、これまでの生活の好い加減さに気づくことになる。
3密が持て囃されていたのが、何とことはない、その行きついた先が、これ!
  ―
 世界中の人たちがマスク着用を始めて、マスクが服装の一部過化すると、
口と鼻が性器に思えてきた。マスクはパンツの役割… 下を隠せば、上も当然… 
ここを隠すと、見えてくるのは目と、全身のバランスのみ。帽子を被ると、
化粧の必要もない。イスラム教徒と、身を覆う服装。マスクはイスラム教徒の
顔版になる。このパンデミックは、当然、世界恐慌をもたらす。
 〜で、例のごとく、一年前の文章に丁度良く、つながる!

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6376,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜1
2018年08月28日(火)
        <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
                |松沢哲郎 ・動物心理学者、霊長類学者>
   * 想像力は感激、感動から
 今さらだが、人間たる由縁は「想像するちから』である。霊長類学者が
語る論は説得力がある。想像の力は、異質との出会いと邂逅から生まれ出る。
それが発達、発展して人間は万物の霊長と言われるようになった。 人間は
一万時間を一つに集中すると、専門能力が形成されるという。そこで、毎日、
一テーマを自らに課して17年。二万時間をブログに投入し、蓄積をしてきた。
「馬鹿の考え休むに似たり!」の休息にいなっていた? 何かを得たか?の
問題ではない。休まるのである。 得た一つが、集中の継続から得た想像力。
夜半の半睡眠かgら起床し、書きかけのテーマの内容を考える。
ふと【検索】で、「チンパンジーと人間」を入力すると、面白いのがあった。

≪ もっと簡単な方法は外国に行くこと。外国に行き、外から日本を見れば、
どういう国かすぐわかる。これと同じように「人間とはなにか?」という問いを
立てられたとき、人間に近いチンパンジーという「アウトグループ(よそもの)」
を知れば、人間がより深く理解できます。
 地球に住む数千万種類の生命のなかで、いちばん人間に近いのがチンパンジー
であるというのが、21世紀の人類が到達した理解です。ヒトゲノムが2003年に、
チンパンジーゲノムも2005年に解読されました。これによって両者のゲノム
塩基配列が98.8%同じだとわかった。新しい人間観が生まれるなかで、いちばん
重要なアウトグループがチンパンジーなんですね。
 人間とあまり変わらないチンパンジーと、私たちはどこが違うのか。
人間の特徴は「想像する」ということです。チンパンジーは未来を想像しない
から絶望はしませんが、人間は容易に絶望する。でも、絶望するのと同じ能力の
「未来を想像するちから」があるから、人間は希望をもてる。私たちは必ず
死にます。だけど、自暴自棄にはならない。「毎日をよりよく生きよう」と
思うのが人間で、そう思い、希望をもつように進化してきたのです。≫

▼ 過って霊長類学者にして京都大学総長だった山極 壽一(1952年〜)が同じ
 ようなことをいっていた…。 松沢氏は、人間が有している「想像力」に注目。
ところで米国合理主義に、プラス思考を発展しイメージを豊かにすることで、
自己育成をするプログラムがある。 またヨガを最初に持込んだ中村天風も。
その理念『積極一貫』の中から「想像力」を育成する効果を説いている。
『想像する能力』は、感動、感激する心から生まれ出る。大自然でもよい、
世界的芸術作品との邂逅でもよし。感激、感動は、その瞬間、対象と同化する。

・・・・・・
4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
 * 認知科学者は間違っていた? 
       「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著
 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して
くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解
しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 
「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、
思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観
が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。
「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。
論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに
変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学の
大前提を覆ることになる。」と、いう。
緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、
 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。
西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、
分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか
がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する
ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか
で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を
理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。
形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる
人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が
革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は
間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。
人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は
思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的
  メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。
 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの
  であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を
  認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる
人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。
アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。
こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を
もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が
関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的
でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物
を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫
▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている
 ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が
あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を
もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名
になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。
また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。
それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に
ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。
争いは永遠に続くことになる。
そこには、神も仏も存在してない。あるのは、階級
社会。だから、そこに教養が必要になる。 兄、姉を含めた10人家族の中で、
それは、厳しい日常が、そこには、存在していた。ある意味で、テント生活の
ようなギリギリの日常。頼れる逃場が、一番怖い両親の膝の上… そこには、
狭いが、広い世界が広がっていた。今でも、ある意味で、その世界の住人の
ような! 両親が当りか否かで人生は決まっていたような。上の三人の兄達
の生き様から感じていたのが、生命力。力が無ければ、それが果てれば
消滅するするしかない。

 ・・・・・・

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