堀井On-Line



7974,閑話小題 〜何やら寂しい気がする

2023年01月19日(木)

   * 77歳である。
 気が遠くなるほど…生きたモノである。75歳が一つのケジメであった。
大したことも無く、大した実績も無く、どちらかと言えば、ノホホンとして
過ごしてきた人生。じゃあ、何だったというのか!何ものでもない人生だった
ような! 時代に、両親に恵まれていたことは事実である。この地球に人間と
して生を受けて、こんなモノかとして生きてきた。ツアーを趣味として世界を
駆けずり回ったが、これも声高々に誇れることでもないし、このブログを21年間、
書き続けてきたが、それとて、それが如何したレベルでしかない。
 そして、昨年に、三次世界大戦の序曲が鳴り始めた。ど偉いことであるが、
まだ初っぱなでしかない。その背景には、情報革命、グローバル化、アメリカ
などの欧米中心主義から、中国などへの覇権の変更が表立ってきている。
 
 その中間にある日本は、これまでとおりには、いかない厳しい現実がある。
年代的には、理想的な時代の中で、恵まれた環境であった。一時代前の先駆者
のお陰である。いつの間にか、時代から遙かに後れをとった感がする!

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7632,閑話小題 〜人生の基礎工事
2022年01月19日(水)

   * 大学の教養課程が基礎工事
 4年制大学の基礎教養の課程は考えぬかれている。 この年齢になって、
人生の猶予期間の必要性を痛感する。60、80年からすれば、2〜3年は僅かである。
人生には病気、挫折、事故、失業などのブラックスワンが大口をあけて待っている。
大部分の人は、解ってはいても、マサカの坂には無頓着である。そして、中年の
真只中で大黒鳥に出会い、何もする術もなく、アッサリと人生を諦めてしまい、
どす黒い顔をして人生を諦めるだけでなく、周囲を巻き込み自滅していく。
欧米では、中学生の頃から、哲学の科目があり、自らの頭で考える事を教える。
中学校の科目は必要最小限だが、生きていくには最低限なことばかり…
 ――
   * <田舎の勉強より、京の昼寝>とは、よく言ったもの!
 若い時分の知識と情報は必要である。これに家訓も加わるが、反発しようが
しまいが、一生ついてまわる。所詮は己だけの器は小さい! 500m内の岩陰の
常識は、岩陰から一歩、踏出すと非常識。 ソクラテスではないが… 人間は、
知っていることしか知らない。まずは、その理解が必要。まずは知っていること
から推論するしかない。推論の大部分は間違えている。世間とは、その推論で
動くため、始末が悪い。その推論のはてが、人生の末路と、あい成る。
 
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7277,諸事情により、今日は休み
2021年01月19日(火) 
 腰痛悪化のため、今日は休みます
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7276,閑話小題 〜治まりかけた腰痛が… 〜3
2021年01月18日(月)
   * 腰痛ネタは、死ぬまでの伴侶

7631,閑話小題 〜『読書』は『行動』…

2022年01月18日(火)

   * 『読書』は『行動』…
 哲学、宗教書など、社会科学が並ぶコーナーを何時ものように、何かしら
面白そうなのを探しているうちに、<『読書』は『行動』なり…>の言葉があり、
後で借りようと想っている内に、何処にあったか、忘れてしまった。その周辺を
何度も探してみたが見つからない。 家に戻って、ネット上で検索したが、出て
こない。じゃあ、どんな論旨か記憶に頼ってもサッパリ戻ってこない。そこで、
それらしき本を数冊借りてきて探したが、ない。近々に現われるだろうが…
 都会に出て吃驚したのが、一般教養書を読んでなかったこと。夏目漱石、
森鴎外、川端康成を購入して読みだすと、何とまあ、その面白いコト。
要するに、人生の基礎工事をしてなかったことになる。
 
 25室のオープン・ハウスのような寮にいたため、誰かがドアを叩き、遊びに
くるが、孤独業が勉強。その読書には向いてない環境。とはいえ逆に、仲間の
知識は、面白い様に入手可能。月一は酒を持ち込むコンパ。大きな庭での円座の
大騒ぎの酒宴。…年数回の近郊のバスツアー。女子大生との共同でコンサーへの
参加。えらく出世をした先輩からの招待のスナック遊び。鳩山邸などの促しの
パーティでの壁フラワーなど挙げればキリがない。人生の合間の猶予期間になる。
学校は小金持ち中心のクリスチャン大学。帰ると、そこに苦学生も存在する玉石
混合の…それは恐ろしい世界でもある。日常も、非日常も小説のような物語が
展開されていた。学生時代は、当り…である。だから、読書が行動とは、良く
いったモノと理解が出来る。
 
* 以下は、56年前の日記である。懐かしいというより、自らを凝視するに良い。
 読むだけでなく、書くことも、行動になる。合せ鏡を幾重も重ねた己の姿。

 ――――
< 2002/10/27
 ある時間の断片ー7 
          1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
 ――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が
付いてなかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによってきて一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは
本当に良い青春の財産だ。 >


▼ 孤老化した使用後の現在と、雲泥の差があるが、当時は当時。
「未来とは、今である」 当時の、日記を読み、毎日、17年分のテーマ日記
の幾つかを再読するにつけ、とにかく、毎日、書きつづけてきて良かったと
実感する。他のノートもあり、こっそりと胸の内を書いてはいるが、やはり、
公開を前提にして書上げる内容が違ってくる。その方が、偽善の内容になって
いくところが絶妙である。公開すると、それが即、見抜かれるため、シリアス
かつ、露悪に成りざるを得ないのである。エゴまるだしの「このバカが!」
と思われてこそ、面白い筋立てになる。

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