堀井On-Line



7947,今年の総括  ー断層

2022年12月21日(水)

11年12月23日(金)
 今年の総括といえば、会社の倒産と東北大震災である。 
これが突出したので他は考えられないほどである。実際は「延命した恐慌」だが。 
そうこうあって自宅が生活の中心となり、会社通いがスポーツジム通いにとって
変わった。日常という点ではiPadを購入したことも衝撃的であった。
有線の机上のiMacに、タブレットのiPadが加わって、パソコン上で
ゲームや読書をする生活スタイルが加わった。その上、ネット・サーフィンの
機会も格段に多くなった。10年後に振り返った時、今年は大きな節目だった
ことは間違いない。何ごとも、渦中に入ると無我夢中で腹が据わるもの。
 問題は、決断する間際と直後である。気持ちを、その中心点に集中し続ける
ことで、問題の多くは解決できる。同級会などの付き合いも、そのまま出席をし
気持ちを前向きにしていた。 露骨の白眼視を何度か感じたが、その都度
「このシラミ!」と唱えると、対象が本当にシラミに思えてくる。兄や姉の
倒産時に、親密に相談に乗っていたので、取引業者や従業員など関係者への迷惑
を最小にし、引き際を綺麗にすることが最優先と手順に入った。 が、それでも
恨みを買ったようだ。当然である。節目、引き際の決断は、一瞬の間。
あの瞬間の見極めは間違ってなかったと思うしかない。それと東北大震災。
この震災は、まだ迷いのあった決断を後押しをした。 しかし直接原因は、
リーマンショックである。その直後から止むことのない売上げ減。10年前の
9・11テロで3割減、リーマンショックで、更に半減し、10年前の三分の一
まで落ち込んでしまった。 更に東北大震災で三割減が予測されれば、事業と
して成立しなくなったと判断をせざるを得ない。この事態で来年に控えている
世界恐慌の大断層を乗り越えらると考えるほど楽観論者ではない。 
 今年は、世界的にも、欧州の経済危機、アラブの春という北アフリカの
独裁国家の崩壊ドミノ、東北大震災、最後は、北朝鮮のドン様の突然死である。
どれもこれも、大事件である。しかしビック・イヤーは来年である。 ロシア、
アメリカ、中国、韓国の首相と大統領の交代の年である。 更に今年、何とか
延命をした欧州発世界恐慌の発生の可能性が高い。地震後、三年が過ぎ、津波が
押し寄せ、海岸線の立ち位置の私の事業が押し流れた。その一瞬の間際に高台に
逃げた。そこで見えているのが津波の本体。 今年中にくるはずだった津波が、
来年、海岸線の防波堤を遥かに超え、やってくる。避難先の山の手の住人は
自分に大丈夫と安心しているが、仕事や親戚が海辺にあることを忘れている。
三年前に起こった、近未来。


7248,閑話小題 〜ネタ切れで苦しい時は…旅先で聞いた話題で ―1

2020年12月22日(火)

      〜前日〈21日)分=
   * 最たる非日常の旅先で聞いたとっておきの話題
 年に数回、ここの話題のネタが考えても出てこないのである。
車の免許証の検眼がアッサリ通って気落ちをしたのもあるのか?
早朝の布団の中であれやこれやと深沈した記憶から出てくるのが…
<最たる非日常の旅先で聞いたとっておきの話題>になる。
そのてのネタは幾らでも記憶の底に沈んでいる。
 以前に、その一端を取上げたが… 
≪平凡な人生を過ごしてきたが、ガンになって老い先が短いと悟った初老の女性。
親の言う通り何も考えずに凡々として生きてきたが、いざ死に目に直面し人生を
省みると、何にも中身がなかったことに気づいてしまった。時は遅すぎる。
 そこには様々な人生をみてきて、私には何もない。このまま消えてしまうのは、
死ぬに死にきれない!と、意を決してパタゴニアまで来てしまった。それまで
看護婦をしてきたが、現在は介護病院の看護婦をしている。その世界が生々しい。
…『普通なら男が夜這いするでしょ。ところが女の夜這いの方が多いのを知った。 
夜半に男が大声で、『勝手に布団に入りこむな、このババア』と喚くのよ。
ジタバタする男に女がしがみ付いて… 男より女性の方が、その手の話題は多く
あるのよ』… 男は機能不全?で、その余力が少いのは解るが、その点、女性は
大丈夫? 死の床にある知人が、『最期に残る欲は、…購買欲!』と真剣な顔を
して語っていたが、同時に性欲も残るようである。

・・・・・・
6855,シェイクスピア 〜2
2019年12月21日(土)
   * 何とまあ、心を抉るような   < ◉は、私の戯言 >
 早朝に独り机の前でシェークスピアの言葉と対峙すると、心が洗われる。
何時の間にか心は汚され、そして汚している。
 〜中原中也の詩『山羊の歌』より〜
<汚れっちまった悲しみ に今日も小雪の降りかかる汚れっちまった悲しみに
 今日も風さえ吹きすぎる. 汚れっちまった悲しみはたとえば狐の革ごろも>
の詩が思い立つ。しかし、言葉にも限界がある。シェイクスピアの次の言葉… 
《言葉が役に立たないときには、純粋に真摯な沈黙がしばしば人を説得する》 
過って書いた文章を背景にしてあれば、尚のこと。 沈黙の恐ろしさ。
「空即是色 色即是空」 私が怖いのは将来の自嘲。そして取りまく沈黙。  
               
――――
避けることができないものは、抱擁してしまわなければならない。
 ◉ 挫折の度に思うこと! 頭を抱えた独り抱擁は何とも…

事情が変われば己も変わるような愛、
相手が心を移せば己も心を移そうとする愛、
そんな愛は愛ではない。

失敗の言い訳をすれば、その失敗がどんどん目立っていくだけです。
 ◉ 「日々是口実?」をしている我が身なればこそ、身に沁みる。

嫉妬をする人は わけがあるから疑うんじゃないんです。
疑い深いから疑うんです。

いかに美しいものでも行為によっては醜怪になる。
腐った百合は雑草よりひどい臭いを天地に放つ。

所詮は人間、いかに優れた者でも時には我を忘れます。

小雨はいつまでも降り続くが、大嵐はあっという間だ。
早く馬を走らせるものは、また早く馬を疲れさせもする。

敵のため火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分が火傷する。

天は自ら行動しない者に救いの手をさしのべない。
 ◉ 行動する者にも救いの手をさしのべない。救うのは己だけ。

本を読んでも、物語や歴史に聞くところからでも、
真実の恋は滑らかに運んだためしがない。
 ◉ その前に、恋をしてみたら…  ナルシストじゃなくて!
 妄想もいいとこ! 自画像に似ているけれど。

恋ってのは、それはもう、ため息と涙でできたものですよ。

時というものは、それぞれの人間によって、
それぞれの速さで走るものなのだよ。

あなたがたとえ氷のように潔癖で雪のように潔白であろうとも、
世の悪口はまぬがれまい。
 ◉ 潔白でない私はどうしましょう。 

あの人は本当は頭がいいから阿呆の真似ができるのね。
上手にとぼけてみせるのは、特殊な才能だわ。

たとえ小さな斧でも、数百度これを打てば堅い樫の木も切り倒せる。 

とじこめられている火が、いちばん強く燃えるものだ。
 ◉ 老いた嫉妬は己も焼き尽くす。
  不燃焼の湿気材料がタップリあるからなあ。

愛は万人に、信頼は少数に。

ひとつの顔は神が与えてくださった。
もうひとつの顔は自分で造るのだ。
 ◉ ただし、自分では見えないから始末が悪い。

まったく想像力でいっぱいなのだ。
狂人と、詩人と、恋をしている者は。

 〜〜
突然、思いもしない小噺が出てきた。
<あの人って、買収されないって本当?
  何さ、ただ額の問題だけさ!> 答え手:トランプ? プーチン?

・・・・・・
6491,つれづれに哲学 〜内的自由と外的自由の違いは何?  ー1
2018年12月21日(金)
   * 自由について… 
 少し以前に、「平等と公正」をテーマに取上げた。とすると、次は「自由」
になるが、これについて何度も取り上げてきた筈と、この個人HP内検索をすると、
あるある。 その前に、ネット検索をすると、簡潔で解りやすいのが幾つか…。
――
質問: <内的自由と外的自由の違いは何? >に対し…
 〔 内的自由はあるけど、外的自由なんてありません。
 外的には、自然法則で因果的に決定されているんだから、必然的で、
自由なんてない。自由があるとしたら、内的自由だけ。内的なものは
自然法則に左右されないから、因果的に決定されておらず、自由がある。
人間は内的には自由、外的には不・自由。 〕

 〔 アタマんなかが空っぽっぽだと内的自由だよーん♪
 でも、おサイフんなかが空っぽっぽだと外的不自由なの。
ボクないない的ビンボなんだもん(T_T) 〕

質問:<『自由』って何ですか?>
 〔 読んで字のごとく、”自分にのみ由る”こと。
ただ問題は、『権利』や『義務』云々よりも、その『自分』だと思います。
『自分』と言う存在は、すでに『不自由』だと思っているからです。 〕
字面を追ったにしては、矛盾していますが… 〕

 〔 私は、私が『命(めい)、意思、肉体』の不可分な三位(いのち)
で構成されている、と考えています
* 命(めい)は、不可知からの預かりもの(私の”信仰”の対象;畏怖、畏敬)
* 肉体は、両親を通したご先祖様から連綿と受け継いだもの(私の尊敬の対象)
* 意思は、私に由来する私のもの(不完全で、欠点だらけで、なぜか能力が
 限られている存在の基)
(私に由来する『私』と、私のものの『私』とは同じでないような気がする)
(この三位は、あの三位一体説の三位とは違う)
(存在するということは、不完全だから、絶対ではないから存在するのだ、と。
”自由”と言うイメージは、このような考え方を出発点として、個々の可能性を
『担保』するために先達が実現しようと歴史的に辛酸をなめながら勝ち取ってきた
”いのち”に最適の”在り方”だと思います。 それは、文字通りの『自由』では
ないのかもしれませんが、少なくとも”いわゆる”『かって』や『わがまま』
とは違うと思う。〕

▼ お金の縛りから解放されるためには、余裕資金を持つ必要があるという
 矛盾がある。余裕のある人が、「世の中、金だけじゃないよ!」と言うのと、
日々、生活資金の綱渡りをしている人が言うのとでは意味が全く違ってくる。
後者は、それに縛られている不自由からの解放の願望になる。宝籤は、当選の
夢を買っているのである。 自由の夢を買うなど… 何やら?と思うが。
自由は、内的貧しさから生まれ出る妄想。 時には、それもあり?
8年近く前に、準備を含めると45年間の「事業の縛り」から解放され、現在でも
身体と心が空を浮いているように軽い。 もしかして、物心がついてからの
商家の縛りを含めると70年近くになるのかも? 自由とは、まずは両親の縛り
からの自由が第一歩。次は地域社会の因縁、そして、自分の固定観念からの
解放が必要になる。その為の身近な方法が読書になる。今ではネットが存在する。
内的自由は教養。外的自由は、「恒産あって、恒心あり」の余裕資金ということ? 
とすると、教養は内的自由を確保するための必要条件になる。知ると、知って
ないとは、世界が全く違って見えてくる。 内的には教養。外的には余裕資金。
あっても味わえないと、ついつい500mの世界に埋没してしまう。それも悪くは
ないのか、おい!達磨。 エッ誰のこと? 私自身のことです。ん

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