堀井On-Line



7726, 閑話小題 〜戦争は、キツイもの…

2022年04月25日(月)

   * 戦争とは、かくあり!
 YouTubeもあり、世界中に生々しい動画が生中継で配信されている。
その内容が忖度されてないこともあって、それは、そのまま残酷である。
茶の間が凄惨な直視出来ようのない殺害現場に様変わる。 世界は世界戦争に
突入したのである。ウクライナで今、現在、起きている現実は数年後、数ヶ月後
に、日本で再現する可能性が高い。 太平洋戦争の直後、地元は空襲をうけて、
街中は廃墟に晒された。それ故に、子供ながらに様子が変と気づいていた。
廃墟の中で一家総掛かりで、日々を過ごしていた。両親が健在だったのが不幸中
の幸いであった。世の中は残酷である。
 ―
 例の如くYouTubeをみると、ウクライナ人らしき金髪美人が深刻そうな顔を
して顔出しの御願いスピーチをしていた。クリミア半島で焼け出されて、様々
あって、首都圏のキエフに落ち着いたが、今度は、そこでジェノサイドにあい、
身ひとつ日本に辿り着いた。しかし、他の家族は、キーフに、そのまま。自分は
日本を熟知しているが、他の家族は極東の日本には、恐れが先に立ち来日を拒否。
自分は、英語の会話が可能のため、これから来日するウクライナ人への会話を教え
ることが可能。転がり込んだ小さなマンションには、スシヅメ状態。 或る日、
突然、思いも知らない現実に置かれ… 話す一言一言が生々しい。 日本は自然
災害が多発する島国。年度、季節の変わり目には災害が襲い来る環境。
撤退時に、ロシア兵が、捕虜を皆殺していく。それは、開放と同時に、敵兵に
なり、自分たちを殺戮するのを知ってのこと。戦争は残酷である。
これが治まる頃は、次は世界不況の鍋が蓋を開けている。人生は残酷である。

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7376,閑話小題 〜この見極めは難しい!
2021年04月25日(日)
   * 如何…娑婆は行きつくのか!

≪ 八:「大洪水よ、我が亡き後に来たれ」と、『資本論』のなかでマルクス
 が 例えた言葉があるが、このコロナ禍は、その数年?前に起きてしまった。
社会学に興味あるものとして、喜ぶべきか、悲しむべきかの問いがたつ。

大家: 人間としては、興味あっても、これだけは、経済恐慌、世界戦争と
 連鎖するから、そう簡単に論じられない問題。出ばなで、処理が出来た筈。
神: そのためロシアの何が、トランプを大統領にと、画策していた構図が、
 浮上がる。イランのNO:2も、暗殺されていたし、疑えば、それが正しいと…
 温暖化で、氷の奥に封印していた細菌が、生きかえり、コロナ禍が起きて
 しまったとは、自然の所行として出来過ぎ。私はやってないよ!

トラ: 三次産業、とりわけサービス業は大変だ。フリーランスが多いし。
 行きつけの店主、<まだ、少しでもお金が入るから、何とか生きているが、
 兎に角、手持ちの金が無いのは、死ぬほど辛い>と涙を流していたけどね。
八: それでも、子供が資金援助をしてくれるから、まだ娑婆に留まっている
 けれど。この一週間、客が1人も顔を出さないとね! 10年前のリーマン
 ショック時は、中越地震、柏崎沖地震と10年近い前段階の落込みがあったが、
 今回は、一挙に0から5分の1だもんね。 これはキツイ! イザとなると誰も
 助けてくれないからね、むしろ、火の手を付けてくるの居る。

大家: そういや、御前たち家賃が大丈夫か? 何は上さんたちがヨソヨソ
 しいよ。何か痩せてようだし。お前たち下々は、変動に案外に弱いね。
熊: 八つあんは、御仲間が増えて何か嬉しそうだね。踏ん反り返っていた
 銀行は、消滅…? するし。 
大家: まあ、この状態では、早々の合併も正解!
トラ: 嫌なことだが、最後はお金ですか。これも冗談でも言えない。城下町、
 「飯は喰えねど高楊枝」。 「最後はお金…」 は禁句! 
八: でも本当だから、仕方がない!人間の本能は… 後ろから心臓を狙い撃ち!
神: 兎に角、笑って、ハンカチーフですよ! その為には普段からの
 教養の蓄積ですよ! 知っている以外はいらない事ばかり! ≫ 

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5884,本物の教養 −3
2017年04月25日(火)
          <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 教養とは、そもそも何か?
 「教養とは、知識、経験から養われた素養」と、考えてきた。
そのベースには、地縁、血縁、学縁の影響を受け、文化、文明と、時代背景
の影響を受ける。
 第1章の目次そのものが、その説明になる。
≪  第1章 教養とは何か? 
・人生を面白くするためのツール 
・知識は手段、教養が目的 
・「自分の頭で考えられる」ことが教養 
・バロメーターは「腑に落ちる」という感覚 
・「腑に落ちる」ことが本気を呼び起こす 
・意見が決められないのは「考え不足」が原因 
・「反対のための反対」に陥っていないか? 
・いま教養人であることが求められている 
 〜第1章「教養とは何か」からの抜粋…
≪ 教養とは何でしょうか? どうして人間には教養が必要なのでしょうか? 
 もし、そう質問されたら、私の答えは「教養とは、人生におけるワクワク
すること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」という一言
に尽きると思います。よりワクワクする人生、より面白い人生、より楽しい
人生を送って、悔いなく生涯を終えるためのツール、それが教養の本質であり
核心であると私は考えています。
「あの人はすごい教養人だ」と他人に評されるかどうかなどは、どうでもいい
ことです。教養とは、人からの評価を高めたり箔をつけたりするためのものでは
なく、自分の人生をより彩り豊かにするためのものだと思います。
ですから、教養を高めれば人生をもっとエンジョイできるのに、どうしてそう
しないのか、という逆の問いかけもまた可能です。
 日本人は、狄瓦良〞が不足しているように感じます。とくに戦後の日本人は
そうではないでしょうか。焦土から立ち上がって、とにもかくにもアメリカに
キャッチアップしなければという時代が長かったので仕方がない面はあります。
だとしても、関心事が経済やビジネスに偏りすぎているように思えてなりません。
 日本人も、かつてはもっと人生をエンジョイしていました。
室町時代には奇天烈な装束を身にまとった武士が大勢いました。「婆娑羅大名」
や「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれた人々。いまで言うパンクファッション。
日本人は元来、楽しむことが大好きな民族なのです。
 戦後このかた、そういう感覚が追いやられすぎていたのではないか。
人生をもっと楽しむ心があれば、人間的な幅が広がり、魅力がより醸成され、
個人として熟成されます。突き詰めて言えば、教養とはそのためのツールに
すぎないのです。
 教養を身につけるには、ある程度の知識が必要です。教養と知識は、不可分の
関係にあると言っても間違いではありません。しかし、勘違いしてはいけない
のは、知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。
決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。
 知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。
サッカーを知らなければテレビでワールドカップを放映していても面白くも
何ともありませんが、サッカーを知っていれば最高の時間になります。
知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」です。
 別に興味の範囲を広げようなどとは思わない、面白いことは一つあれば十分
だという考え方もあるかもしれません。もちろん、それはそれでいいのですが、
興味の対象が多ければ多いほど、本当に自分が好きなものや、打ち込めるもの
が見つかる確度が高まります。つまり、選択肢が広がるのです。自分が本当に
好きなものは案外見つからないものです。面白いことが多いのは決して悪い
ことではないでしょう。 また、面白いことは一つで十分だと考えていると、
食わず嫌いに陥る可能性があります。食べてみたらすごくおいしいと感じる
食事であっても、食べてみなければそのよさは分かりません。≫
――
▼ <「教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しい
 ことを増やすためのツールです」でなくとも、広く深い知識は必要である。
その質量が視界と行動を促すことになるからだ。著者が、教養を広めるに、
「旅」が非常に有効という。私の旅行はパックツアーが主だが、最終日の
ホテルは主要都市の豪華ホテルと、美術館と史跡が組込まれている。 
秘異境ツアーには、アフリカ大陸や、南米大陸には、大自然、史跡などの
文明、乗り継ぎの主要都市には観光地と美術館・博物館巡りがセットされる。
この、どちらかというと、オマケも、回数を繰返すうちに目が肥えてくる。
「わくわく、どきどき」することを求めると、それが教養として身に付く事例
である。人生にとって遊びほど大切なことはない。問題は、「良く遊ぶこと」
その「良く」は、世間により淀むが、その解放から質的にレベルアップする。
 < 達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ >

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6981, 閑話小題 〜支給された10万円、何に使うか?
2020年04月25日(土)
  * 70歳半ばに至らんした現在、PC…何に買換える?
 このパソコンの買換え時の手がかりを次男に聞いたことがあった。
その時に、ノート型なら、元IBMの機種のパット機能があるのが便利。
しかし東芝がノート型に力を入れているので、それも良いが、便利さを何処に
求めるかによる!」と言われた。今さら欲しいものもないが、使いやすい最新の
パソコン。現在、使用しているのがソニーのVIO。iMacから4年前に買い替えたが、
デスクトップとノート型の中間のイメージで、中途半端。同じ機能のノート型に
すれば良かったと、後悔が残ったが、はや、3年半、経過した。 
 以前、5年以上使っていたパソコンを見た友人に、『PCは3年経過したら有無を
言わずに新しいのに買換えが常識』と注意されて、直に買換えて、納得した。
この連休の巣籠には、室内での新たなPCの選定作業に丁度良い? 
 ― 
   * 新型コロナ・パンデミックの中間おさらい
 この3ヶ月のパンデミックで世界は一変してしまった。ポスト・パンデミックが
言われ出てきたが、元に戻ることはないのは間違いないようだ。中国、ロシアに
プラスの要素が多いようだが、これだけH、先々、不透明の事態。最後は、体力
勝負になるが… 気になるのが、<二種類の新型コロナ菌が絡まり、中国国内もの
が軽くて、欧米ものが重篤!> のところ。 中国による細菌テロなら、米中世界
大戦の可能性が出る。中国サイドはアメリカ軍による細菌テロの可能性をコメント
している… 何やら北朝鮮の何様の病態と、行方が問題になっている。 それも、
この辺りと関係している? この連休を含め5月末まで、何があっても不思議でない。
昼間、街中に、いやに車が多い。有給…休暇の最中、家の中では息が詰まるため、
近隣の遊園地までドライブですか。 …問題は、二波、三波のパンデミック。

 ◉ 新型コロナ菌: 俺らたちを悪党呼ばわりしているけれど、人間ほどじゃない。
 大自然様から派遣された俺たちを細菌兵器というけれど、これって人間様の所業
じゃないか。解るだろう… これは、権力者にとって権力掌握にとって最高の事態。、
‘御前ら人間よ、何をしているのか。これじゃ、自滅じゃないかい!’ 狂った猿
の最終のアガキ!じゃないか。 このパンデミック、大きな問題提起である。
 ―
   * プロ野球も、無観客試合で
 大相撲、同様にプロ野球も無観客試合で開催のようだ。無観客をカバーする
大型スクリーンにによる観客を組み込めば、それなりにカバーすることが出来る。
観る方にすれば、観客の声援は、あくまで二の次。 事態は戦時の非日常世界と
割切れば… 何があっても、続けることに意義がある。

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6614,閑話小題 〜平成の終わりに ―2
2019年04月25日(木)
   * あと5日ですか
 前回、「平成」を私の人生にとっての後半と位置づけ、「令和」の時代を
余白とすると、これからの人生の生き方が見えてくると書いた。 そこで、
昭和の54年間と、平成の30年の行蔵の充実度を、この数日の間、自分自身に
問うてみた。 当初は後半の「平成」が面白かった?と思ったが、結論は、
五分五分、乃至は、時間比率そのままの3対2で「昭和」になる。 やはり
右上がりで阿波踊りが何とも面白く、充実していた。ただ、平成の30年の
情報量が一億倍という情報革命を垣間見ることが出来たことと、43回の
「秘・異郷ツアー」の参加経験を考え合わせると、五分五分の充実度が
あったような。人生、何れの場面をとっても、そう甘いものではなかった。
最後の最後は『あと味の悪いことは可能な限り避ける』の判断基準が、何とか、
自分の魂を守ってくれた? ようだ。それでもフラッシュで夜半、眠れない
こと多し。昭和に9回、平成に43回、合計52回の海外旅行。そこでの大自然を
中心とした様々な邂逅の思い出は、決して金では買えない行蔵の大きな御宝。
これだけは、「もっともっとの後悔」は全くない。だれも、それぞれのライフ
ワークを持っているが、私のは、これに小さいながらの45年の創業物語と、
このブログ。そして、様々な場面で出会った大自然と、縁あった人たち。
四苦八苦も、四楽八楽のために必要な経験と思えば、それはそれで…
 平成の30年、何とも味わい深く、感動、感激な場面に満ちていた。
昭和のイベントで、父親の存在と死。平成は母親の死が最大の二人称での
出来事ですか。とすると、「令和」は自分になるが、この経験は自分自身
のため、不可能。 平成というキーワードから考え合わせると、現在、
置かれている己の立ち位置が浮かびあげってくるような。
『平成を、昭和につづき、全う出来て有難い!』って、言うところ。
『その様で、何をぬかすか!』って?『そう思うしかないじゃないですか?』
が、今日のオチ! 最後の? が、!でないところが… 味?

・・・・・・
6251,閑話小題 〜北が核放棄? 何を今さら
2018年04月25日(水)
   * つれづれに
 
・・・・・・
4048, 一時停止 ー6
2012年04月25日(水)
  * 人間は大文字で書かれた矛盾     
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 唐突なようだが・シモーヌ・ヴェイユのことばを孫引きさせてもらう。
(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在するものであり、
実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは必然性の
如何を試すものである)
(存在の奥深くまで体験された矛盾、それは我々の身も心も引き裂く。
それが十字架である)
自己弁護のためにひくにしては、これらのことばがあまりに痛切であることは
感じてもらえるだろう。私は十字架にまで到達できる人間ではないけれども、
せめて矛盾をかいま見る地点にまでは行きたいと思う。矛盾の一方に身を
置けば、たしかにそこにも悲劇は待っていよう。作家の自殺のいくつかは
そうした場所で行われたのではないかと私は想像する。だが矛盾そのものを
生きることは ―それは私には想像もつかない。ヴエイユの言う矛盾は、
いわば大文字で書かれた矛盾であり、人間そのものと言っていいと思うが、
そのことが、つまり究極には矛盾しかないのだということが、私に勇気を
与える。私の出会うもろもろの小さな矛盾も、最終的な矛盾と構造的に結ば
れているに違いない。ひとつの矛盾を解決し得たと思うとき、それがすでに
もうひとつの矛盾のはじまりになっている。その無限地獄にこそあるいは
書くことに第一原因がひそんでいるのかもしれない。―その辺でやめておけ。
おまえにはそんなことまで論ずる資格はありはしない。どうしてそんなに
大仰でこわばった口しかきけないのだ。 おまえの内なる自然の荒廃は
その口のききかたからもあきらかだよ。見栄をはって、もっともらしい
愚痴を人に聞かせる暇はもうないそ。 (一九七二年) ≫
▼【 ヴェイユの(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在
であり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは
必然性の如何を試すものである)】が良い。人生を総括すると矛盾の塊である。
しかし、その矛盾こそ実在であると知れば、人生を、そのまま受け取ることが
出来る。「矛盾は人間そのもの」とすれば、自分だけでなく他人を受け入れる
ことも出来よう。激しく生きるほど矛盾は大きくり、その重圧に潰されながら
生きていくことこそ人生の味わいを深くする。人間は矛盾だらけか〜
 他人のそれは見えても、自分のは見たくないもの。

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