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2021年03月08日(月)
<『孤独論』 ―逃げよ、生きよ― 田中慎弥・著> * まずは、実家に引籠りをしましょうよ! 副題が ―逃げよ、生きよ― である。家庭を持って、その生活を支えな ければならないのに、何を優著なだが、それでも死んだまゝより遥かに良い。 この年齢で同年代の人たちをみると、あまりに、死んだまゝ生涯を過ごしてきた 人が多いのに驚かされる。世間とかいう、妄想に縛られ、現実社会との見境が つかぬまま、最晩年を迎えようとしている輩。 私たちは目先の事象の縛られた奴隷でしかない。それはそれで良しとして毎日 をマンベンダラリと生きているに過ぎないなら、実家にでも引籠って、七転八倒 でもすればいい。誰かから、<あの人の息子さん、一流大学を直にやめて今では 務めるでなし、懸賞金で食い繋ぐ日々>という。フリーランスそのものも、他者 からみれば、こんなもの。一流大学を卒業して、一流企業で無事退社。 それが 如何してというのか! 時代は、そんな人を求めていない。テレワークの時代、 自宅勤務で自由業みたいな働き方改革の時代である。 お堅い銀行員でさえ、フリーランス的センスが必要とされ、ほゞ全てが器械化 され、本部決済されて、必要とされるのがインテリジェンス。 上を向いて口を 開けているば何となく、過ごせて時代は終わった。 …まあ、大変だ。 で、彼らが出来ることは、仲間内の足の引張合い。そこには侘しさしかない。
逃げることは、決して恥ずかしいことではない。恥ずかしいのは仲間内の食い 合い。地軸が逆さまになってしまった現在、居酒屋でも、スナックでも、小さな 中華料理店でもいい、一度、そこから逃げれば良い。まずは助かって活きる事! 「色即是空」より、むしろ『空即是色』である。折角の人生、生きたままの仮死 よりも、一度、サッサと空になればいい。「捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり!」 あの奴隷のごときゾンビの集団から、逃げる事から第一歩を踏み出すこと。
孤独とは、1人の周囲に囲いをつくり閉じ籠ること。その為に準備が必要。 あのオバサンの臭気が、その嫌らしさを物語る。 5百メートル内の比較社会に 生きてきたヘドロの臭いは、その中にいては全く気付かない。
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