| 6864,閑話小題 〜辛いけど、正視しておかないと! |
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2019年12月30日(月)
<NHKスペシャル『彼女は安楽死を選んだ』> * 目さえ叛けなければ… 死の問題は…! 録画をしていたNHKスペシャルを半年ふりに見た。 スイスの療養所で、死にいく瞬間を、医師と看護師、そして2人の姉妹が 見届ける瞬間は神神しくて、私も涙が溢れ出ていた。後日、火葬されて川に 遺骨が流されたと… 最後に猛毒を点滴のセンを捻るのは当人…。その瞬間が、 淡々と映し出されていた。 もう一人の女性は、家族との温みを感じたい… 胃婁でも何でもして生きたい と延命を選んだが、何やら後ろめたい表情が本人に感じたのは私だけ? 明日は我が身なるが故に、尚のこと直視しておかなければならない問題。 <死ぬ時ぐらいは楽々と逝かせれや!>が、私の見終わった感想。 〜内容といえば… 《◉ 3年前に、体の機能が失われる神経難病と診断されたAさん。歩行や会話 が困難となり、医師からは「やがて胃瘻と人工呼吸器が必要になる」と宣告。 その後、「人生の終わりは、意思を伝えられるうちに、自らの意思で決めたい」 と、スイスの安楽死団体に登録した。 安楽死に至るまでの日々、葛藤し続けた のが家族。自殺未遂を繰り返す本人から、「安楽死が唯一の希望の光」だと 聞かされた家族は、「このままでは最も不幸な最期になる」と考え、自問自答 しながら選択に寄り添わざるを得なくなった。そして、生と死を巡る対話を 続け、スイスでの最期の瞬間に立ち会った。 》 ― ▼ 生き方は選べるが、死に方は選べないのが世界の実情。その人がその人らしく 人生を全うする安楽死は必要なのではないか。…見ているのが辛かったが、最後 まで当人が取り乱す様子を感じられなかったのは、そのまま延命措置を施しても、 『身の回りの事をやってもらって、ありがとうって言えなくなる気持ちがわかる?』 の言葉が決めて。 現在、安楽死を認めていているのはスイスだけ。だから自殺が 非公認で… 誰だって死にたくはないが、そうはいかないから問題。 もし逆に、死がなかったらどうなる? 私もあと二週間で前期高齢者の最終年に! 余命、数ヵ月と宣言された瞬間が、いつ来るか? 覚悟をしているが、現実とも なれば… 出来ることは、今日一日、充実して生きること。 さて今日一日、何して楽しもうか。「死を考えることは、生を考えることになる。」 経費は150〜200万! まさか、ツアーも組めないし! 以下のつながりある文章は、偶然です! だから死の問題は深いのです。 この彼女が弄ったのでは?
・・・・・・ 2018年12月30日(日) 6499、つれづれに哲学 〜「1人称の死」と「2人称の死」の関係性
* 「死」を通して家族の絆を考えてみる ギリシャ時代から『死』の問題が哲学されてきた。そして、その問題が目前 に現実問題として近づいてきた。【死】からみれば全てがカスリ傷でしかない。 だから直視して【生】を考えなければならない。死について、ギリシャの哲学者 エピクロス(B.C.3−4) の「快楽主義者」を思いたつ。「…われわれが現在する ときには死は現在せず、死が現在する時にはわれわれは存在しないから。」と。 それを人称を使ったのがジャンケレヴィッチである。 〜ネット検索による内容とは〜 ≪ 死の問題を考えるとき、フランスの哲学者であるジャンケレヴィッチの 「死の人称」がよく引用されます。 ジャンケレヴィッチは、死を文法範疇の人称を使って三つに区分しました。 ・「1人称の死」は(私)自分の死、 ・「2人称の死」は(あなた)近親者の死、そして ・「3人称の死」は(それ以外)他人の死です。 日々、マスコミで信じられないような凶悪な殺人事件や海外でのテロ事件 などが報道されますが、これは私たちに直接関係のない「3人称の死」です。 ♦ 1人称の死と2人称の死を、著書「死」の中で次のように述べる。 「父あるいは母の死は、ほとんど われわれの死であり ある意味では実際に われわれ自身の死だ」(仲沢紀雄訳「死」 みみず書房)。すなわち、 「1人称の死」は自分の存在にかかわる悲劇的な出来事です。しかし、 「2人称の死」=最愛の人の死、これも「1人称の死」=自分自身の死と 同じくらいに私たちに大きな影響を与える重要な出来事なのです。 そして1人称の死と2人称の死は、重なり合っているのです。 ♦ 2人称の死は、過去、現在、未来を失うこと アメリカのユダヤ教の聖職者であるグロルマンも「2人称の死」の重要性を 次のように述べています。 「愛児を失うと、親は人生の希望を奪われる/配偶者が亡くなると、 ともに生きていくべき現在を失う/親が亡くなると、人は過去を失う」 (日野原重明・松田敬一訳「愛する人を亡くした時」春秋社)。 2人称である親、配偶者、愛児を失うことは、1人称の自分自身にとっても 人生の過去、現在、未来を失うのと同じだと言うのです。 ♦ 儒教は生命の連続を説く 西洋思想に対して、東洋思想を見てみましょう。中国おける儒教の経典「礼記」 では、『身は父母の遺体なり』(加地伸行「沈黙の宗教 儒教」筑摩書房)と 述べられています。「遺体」という言葉は、「死体」という意味ではありません。 親が遺した体、すなわち私たち自身の体を遺体と言うのです。 ですから儒教は、親から子どもへと『生命の連続』を説いているわけです。 ♦ 「1・5人称」の関係性が大切です 避けられない死という現実を通して、1人称(私)と2人称(あなた)との 関係性やコミュニケーションが大切です。人間という言葉が「人の間」と書く ように1人称(私)と2人称(あなた)との間「1・5人称」の関係性が大切 ではないのでしょうか。そして「1・5人称」の関係性の根底には、「2人称」 (あなた=親)の「死」あとに「1人称」(私=子ども)の「生」があると いう世代を超えた生命の連続があるのです。 親は、自分の「死」を意識することによって、子どもの将来を考える。 子どもは、親の「死」を意識することによって親に対する感謝の気持ちが もてるのでしょう。 ≫ ― ▼ 池田晶子が【死】について、女・青少年向けに噛み砕いた大元が、これ。 エピクロスの<一人称の【死】は、存在しない>から、二人称、三人称に 発展させて、「1・5人称」として「親子の関係性の重要さを説いた。そこに、 連れ子の問題や、少子化や、母子家族の濃厚な関係性も出てくる。日本の10年先 を予測するに、ベルギー、ポルトガルの7割近い離婚率の問題がある。我々が 多く直面している家族の問題。これも当たり外れは、神のみぞ知る。今では、 コンビニやスーパーが近所にあり、弁当の配達システムがあり、一人称、二人称、 三人称の括りが曖昧になっている。これに下ネタのデリヘリまで… で、二人称の問題の定義そのものからして根底から崩れようとしている。 多神教の日本は、グローバル化の中で、家族を束ねる夫婦間の規律の崩壊に まず直面している。携帯、パソコンで、様々な世界に、それぞれが繋がる。 それで、人称の境目を超えて錯乱しているのが、若者世代の現実ではないか。 「二人称、三人称の喪失問題」。これに薬物、アル中毒の精神疾患が絡みつく。 家族問題が、そのまま社会問題になっていく。 「はかない」いや、「儚い」いや、「墓ない」時代ですか! で、遺言の「現世の墓」としての参拝をと、これを書いています。 『日々是口実』! 最期は、父の口癖、 「死んでしまえば、それまで! 生きている内、元気なうち。」 私は、「こんなものか、でも感謝、感激、感動は深く味わえて有難い!」 つれづれに哲学 〜人生の素晴らしさを堪能するの!
・・・・・・ 2018年12月30日(日) 6500、つれづれに哲学 〜人生の素晴らしさを堪能するの!
* 彼女が死ぬ前に残した「人生のアドバイス」 前日の<「1人称の死」と「2人称の死」の関係性>の資料探しの中で、 味わい深いブログ記事があった。死から逃れられない立場の視線の言葉なれば こそ、そう遠くない近未来に誰もが直面する問題であればこそ魂に迫りくる。 〜Haruka Yamasaki(TABI LABO ライター;2018/02/18)〜 < 私はまだ、死にたくない。自分の人生が大好きなの。 だけど、それは叶わないこと。> それは1月のこと。27歳の若さで、癌によりこの世を去ったオーストラリア 出身のHolly Butcherさん。彼女が死の宣告を受けたのは、26歳のときです。 自分の“命の期限”を知った彼女の最期の言葉。Facebookに残された 「人生のアドバイス」が世界中で話題となりました。 今回は、Hollyさんの言葉の中から、8つを選んで紹介します。
01:自分の人生を小さく意味のないものにしてはいけない。 ストレスに支配されて ほしくないの。 誰も同じ運命のもとを歩いていることを思い出してほしい。 与えられた時間を素晴らしく価値のあるものに。 これまで、くだらないことで文句をいっていた時間を、深刻な問題に直面して いる人たちのことを考える時間にしてみて。そうすれば、自分の抱えてる問題 がちっぽけであり、ありがたいことであると気がつくから。 それで、嫌なことはきっぱりと忘れるの。 何か嫌なことがあっても、誰かの“幸せな一日”まで奪ってはダメ。
02:…の事がイヤだとか、理想の体型を目指して運動するのが大変だとか。 こんな 文句をよく耳にするけど、それだけあなたのカラダは健康なのを感謝 しなきゃ。どれも、カラダが動かなくなるまでの話なんだから。 ちゃんと健康であることに、自分のカラダに感謝して。自分のスタイルに満足 できなくても、どうか大切にして。素晴らしいことを全身で堪能するの。
03:与えて、与えて、与えるの。 とにかく、人のために何かをすること。 そうすれば「自分のため」よりも多くの幸せを得ることができるのは本当の話。 私はもっとそうするべきだった。癌が見つかってから、家族や友達だけじゃない 素晴らしく優しい人たちに出会うことができた。知らない人たちからの、愛の こもった言葉やサポートを受ける側になった私。どうしても、お返ししたかった のだけど、それは難しかった。でも、私は決してこのことは忘れない。 永遠に感謝し続けるわ。
04:お金は“経験”に使うこと。 お金をよくわからないものに使ってしまい、本当にやりたかったことができない なんてことがないように。たとえば、ずっと前から行きたいと思っていたビーチへ 行くためにお金を貯めるとかね。足を水につけて、砂に潜り込ませるの。 それから、顔を海水につけるの。
05:スマホのスクリーンを通して、“その瞬間”を撮るのはやめよう。 その瞬間、そこにいることを楽しむようにするの。 人生は、スマホのスクリーンを通して見て、生きるものではないのだから。
06:どうか、誰かが考えた誰かを満足させる生き方をしないで。そして、 そのことをプレッシャーに感じて、せっかくの人生を台無しにしないで。 自分が「平凡な人生」で良いって思うなら、それで良いじゃない!
07:愛している人たちには、できるだけ「愛している」と伝えてね。 生きているうちに、全力で愛すること。
08:これが、最期のアドバイス。 できることなら、人のために善い行いをしよう。 そして、定期的に献血をするように。自分も良いことしたって気持ちいいし、 誰かの「命を救う」ことができるっていうオマケ付き。数えきれない人の献血の おかげで、私は1年も多く生きることができたから。この星で、家族、友達、愛犬 と共に過ごすことができたことを、ひたすら感謝し続ける1年。人生の中でも 最高の時間を過ごすことができた特別な1年だった…。 ≫
― ▼ またライフワークの『秘・異郷の旅』の話になるが、自分が自分に与えて きた最大の褒美。彼女の魂の言葉の多くの要素が、この中に詰まっている。 時間的、金銭的に、ギリギリに合理化されたツアーパックに、修行のような シリアスの経験が味わえるシステム。際どく、危ない行き先ほど?ほど、魂が 洗浄され、至高体験の高みが上がっていく。そこは、感謝、感激、至高体験 が、ギューッと詰まっている生の体験が凝縮していた。【死】が恐ろしいのは、 「生の体験」をした充実感が無いこと。 私のブログ公開は、<未来の自分だけ でなく、他者に少しは役立っている筈>という自惚れがあるため。私のような 弱者は、それでしか役割を果たせないと… 悪意の第三者が、その殆どでも。 一部の人に役立てれば… あえて主張することでないが。聞いてくれる人が存在 するだけで、人は癒されるもの。未来が明るく輝いて見えるだけで、それが 妄想と解かっていても、それに縋りたい、それが人間である。苦しみを最小に するには、その時々に、自分の心に、魂に疚しいことを最小にして生きること。 それでも、フラッシュが湧き上がってくる。その時、必ず、良かったことを 想いだすことにしている。そういう、肯定・否定比率を3対1にして生きてきた ため、簡単にフラッシュが消えていく。 ・ストレスを貯めないこと ・自分の小ささを忘れないこと ・お金を経験に使うこと ・その瞬間、そこ(ここ)にいることを楽しむこと ・ひたすら感謝して生きること ・人のために善いことをすること
死の人称化からすれば、0・5人称、0・1人称では!と、いま瞬時、思い立った。 (誰かが既に思いたっているかもしれないが…)
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