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2011年08月30日(火)
▼ 収まる所に収まった民主党党首 最後の最後まで、誰が民主党党首に選出されるのか分からないギリギリの選挙だった。しかし、海江田と野田の二人の決戦となれば、 どちらが相応しいかはTV画面が正直に語っている。 しかし小沢一郎と鳩山が後盾の海江田が勝つのではと予測されたが、党員も、 その歴然とした差に、野田に雪崩をうっていったようだ(立候補者の一人が最後の最後に野田支持に回ったのが勝因ともいうが)。 たまたま投票直前にTVを入れたら、野田が演説をしていた。朴訥とした中に人を惹きつける感情のこもった内容に引き込まれてしまった。 その前にも、彼の立候補の政策を聞いたが、至極自然なもので、他が悪すぎたこともあり、一人光っていた。 【 二年前に政権についたが、国民からみて期待はずれの結果しか出せなかった。次の選挙まで残された期間は二年。それまでに捨て身で、 この国難とマニフェストを達成しなくてはならない。大震災の国難を乗り切るためには、野党との大連合を考え、かつ党内融和も必要。 また赤字の国家財政と、大震災を乗り切るためには増税もやむをえない。】 この当たり前のことを当たり前に述べているに過ぎないが、現在の与野党も含めて、これをいうと世論受けしないとか何とかの ジレンマに陥っていた。 小泉も含めて、この数代の首相の中で、一番真っ当であってほしいものである。菅首相の直後では、 やりやすいだろうが、この日本の政治と経済の惨状下では、それもどうか?。 まさか、海江田とか、あれ、ではね。 これで当分は、 少しは政治不信は小さくなるだろうが(いつも最初は期待感でそうだが)・・ この国の体質は、この20年で、あまりに劣化した。 ▼ あれから5ヶ月 あれから5ヶ月になる。 事業期間三十年のうち、初めの10年が登り。 次の10年間はバブル崩壊の日本経済の混乱の最中、 逆に積極策に出て客室を増やした(これが、今回の倒産の間接原因になる)。 最後の10年の始まりが9・11で、二度の中越大地震、 三年前のリーマンショックの直撃、とどめが半年前の東北大地震。 その中で一番の打撃が、リーマンショックであった。 この影響は、まだまだ序盤で本格的津波=大恐慌は、この秋口からアメリカから世界、そして日本に吹き荒れること必定。 この二十年、日本の政治は混乱を極め国家の態をなさないほど疲弊してしまった。それと比例して、この今回の倒産である。 事業がビジネスホテル。ネットなどの情報化と、長期不況による新幹線日帰り二時間圏と、客室在庫の過剰もあり、その対応不能に陥り、 この結果である。 逆に、ここまで次々の大波で悪化すると諦めがつくもの。後悔とか未練は少なくなる。 事業として荒波に飲み込まれたと同時に、業態の老衰ということもある。 しかし全体として、面白い経験をさせて貰ったと感謝している。 それにしても、日本経済、どうなるのだろう。 この三年間は大暴風雨になる。 特に地方経済は、来るところまで来ているから、なお。 ・・・・・・・・ 3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1 2010年08月30日(月) * 海外旅行に見せられて これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを思いのまま書いてみる。 その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験をリアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。 人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。 そのために、行き先の選定、日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。 また日本の遥か彼方から、逆照射してみた 自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。 まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。 旅先で、絶対に行きたかったが行けなかったところはない。 ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど行きたいと思わない。 秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 自然そのものが何か波動を発している。 その波動に、飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、 あの時の下地と、21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここまでノメリ込んだのだろう。 その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かのチャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長のようになる。 「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。 ・・・・・・・ 3069,新インフルエンザの恐怖 2009年08月30日(日) 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。 どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。 先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでのインフルエンザ(=B)との 違いを説明をしていた。その内容とは、 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、気管支がやられ呼吸などが困難になる。 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。 ・5〜19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。だから、人の集まるところは何処もかしこも菌だらけ。 こんなところだが、ようは殆どの人が罹ると理解した方がよい。 一昨日の新聞報道では、まず10月半ばに一波のピークが来た後に、一度沈静化をして第二波がくるという。 (次数制限のためカット 2011年8月30日) ・・・・・・・・・ 2704、共同幻想を抱いていただけ? 2008年08月30日(土) 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」である。 一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。 そして右肩上がり人間圏の拡大が共同幻想だったことを、 人類は宇宙に出て地球を俯瞰して初めて知った。資源が有限であり、農耕以来、環境破壊を続けてきたことも、 これ以上の人間の欲望を拡大できないことも知った。 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。 ≪欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、錯覚していたのである。 これが人類の「共同幻想」というのである。共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に交換可能とか、神様の存在とか、 人間の命は地球より重いとか、民主主義とか、市場主義経済とか、自由平等とか、人間を規定する概念すべてといってよい。 21世紀の人間圏にとって、その崩壊の引き金になる最も高いシナリオは、これらの共同幻想が多くの人に幻想と 認識されたときである。 その一つがインターネットとという。インターネット社会は、個々人を主体化し、 情報が個人に拡散する。 情報が拡散するということは、社会が均質化していくことになるが、共同幻想という面では 理想的かもしれないが、宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。 それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》 そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。 ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー 共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉。 吉本は、自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。 ▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。 ▼ 対幻想 = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。 ▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。 宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。 この分類は効果的であり、世界を正しく見るうえでこの3つの幻想領域を混乱、混同させないことが大事であると吉本は主張する。 これらはそれぞれ独自の法則で動いているのである。 例えば、吉本は心理学者のフロイトはリビドーと言う対幻想性を、社会領域まで 無条件に拡大して採用しようとしたところに誤りがあると批判する。また、1人の人間もこの3つの領域でそれぞれ違う顔を持っている。 *職場にいる顔と、*家庭にいる顔、*1人でいるときの顔や行動は、それぞれ違うのである。外弁慶、内弁慶という言葉があるように、 冷酷な独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親であったり、逆に職場では物静かな男が家庭内では暴力的な暴君として振舞うなど ということは、充分ありえる。吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張する。 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、 労働力を売りに来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 〜〜〜 以上だが、 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。 地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いていた小さな生命でしかないことだ。 太陽の惑星の一つの地球、 その大気圏の中の、物質圏の、生物圏の、人間圏の、極東圏?の中の小さな島国の、北陸圏の、新潟圏の中の、何でしかない私。 地球の外から俯瞰すれば、そういうことである。そして共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である自分を振り返り、 「何?何だったのか?」と根こそぎ、人生観がぐらついている。恐らく身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに 見える宇宙的な俯瞰の視線は、織田信長が舞ったという敦盛の「人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。 一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を彷彿させる。 ・・・・・・・・・・ 2007年08月30日(木) 2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢 -v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○o。(-v-★) これだけ、ハッキリと憶えている夢は珍しい。毎朝書いているモーニング・ページに夜半にみた夢を書いているが、殆ど忘れている。 それでも、五日に一度位は大筋は書いているだろうか。夢から醒めた直後は忘れないように反駁をしているが、しかし殆どは反駁した ことだけしか憶えていない。ところが、どういうわけかリアルに殆ど憶えているのである。夢見た直後に、リアルに、詳細に書けば、 読んでいても面白いだろうから、あえて書き出してみる。 まずは、私の夢の世界を、ご覧あれ。 私の潜在意識の公開である! ▼ 近所を散歩していると、面白そうな家が目に付いた。家の向かって右の方に、子供のための遊び場がつくってある。 そこで主人らしき人が手作りで何かを作っている。 声をかけると、中に入ってもよいという。 そこに入っていくと右が廊下のようになっていて、手作りの小さな部屋が5つ位ある。 その中に子山羊がいたり、子供の遊び場があり、 遊び道具が入っている。その廊下の奥に少し広い空間があり、カヤックやカヌーなどが置いてある。 家の右全体が自分たちの遊び場として、その主人・松尾という人が自分で手作りで作ったという。 そういえば去年、大学の学生時代の友人がカヤックを持ってきて新潟の阿賀野川の河口で大水の中、二時間ぐらい遊んだことがある、 と言うと、急に打ち解けてくる。そして、居間に案内をする。そこには、彼の友人が4〜5人遊びに来ていた。 毎週のように週末は仲間が集まるという。そこで奥の方の部屋に行き、そこで松尾さんと話をする。薄っすらとした髭をはやした 五十歳位の人で、自由業のようだ。名刺をだそうとしたが、出さない方がよいと判断、自分の姓だけをいう。 急に睡魔が押し寄せてきたが、そこに10歳位の彼の息子が来て、正座をして挨拶をする。私も挨拶をしようとしたが、眠くてできない。 その松尾さんに、「あなたは自由業でしょう。弁護士か、医者か、会計事務所の先生とか」というと、その通りだと答える。 そうじゃなければ、このような好きなことを好きなまま、できないはず。ところが、この夢には次の場面がある。翌日、何と家内を連れて、 その松尾さんの家に行ったのだ。そして家内は松尾さんの奥さんと話をしている。半分お互いに知っていたようだ。二人で世間話を始める。 まあ、せっかくのところに何で家内か、と思っているうちに帰ることになった。ところが、何か騒がしいので行ってみると、 この家の老いたお手伝いさんが前日亡くなり、そのお参りに近所の人が来ていたのだ。 そこで私も、仏壇の前でお参りをする。 身寄りではないが、お手伝いとして面倒を見ていた人という。 聞いていて涙が出てくる。その後、一人で自宅の前に帰ってくると、 宅配の人が玄関口にいる。その前に宅配の人がきていたようで、不在の紙がある。そして、家に入ろうとすると、何か人の気配がする。 二人の息子と、二匹の犬が一Fの部屋にいる。庭から部屋の中を見るとまだ高校生の彼らである。 その辺りで眼が覚める。 何か不思議な、リアルな夢である。心象風景ということか? 他人の夢を垣間見るのも面白い? というより、珍しいか!私も直後にこれだけ、鮮明に文章化したのは初めてである ネムイ! ・・・・・・・・・ 2006年08月30日(水) 1975, 写真家はインドをめざす \(^▽^*)おは! ー読書日記 インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、この1冊に凝縮してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。 この本、この数年で5〜6回は図書館で借りてきては返している。 読めば読むほどに何とも魅力のある本である。 いや本が魅力があるというより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。 カルカッタのマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、 せめて屋根のある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を冷静に撮ってあるもの。 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体? ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。 インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。白黒の写真が、むしろピッタリである。 一人当たり7〜8頁の文章と、10枚位の白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、ここまで優しく鋭 く人の心を捉えるのだろうか?恐らく、一瞬の被写体の中にある本質を見抜く感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。 この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。 (字数の関係でカット09年08月30日) ・・・・・・ 2005年08月30日(火) 1610, 閑話小題 ーダイエー長岡店閉鎖ー (次数制限のためカット 2011年8月30日)。 ー今度の選挙は自民大勝かー (字数の関係でカット08年8月30日) ・・・・・・・・・ 2004年08月30日(月) 1245, オリンピックが終了 オリンピックが、昨夜(日本時間では今朝方)終わった。期間は8月12日から29日までの17日間であった。 結局は金メダルが16個。前回の三倍、東京オリンピックと同数、であるから大成功だった。 復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。 私の印象の強い順に書くと ・金メダルを16個取ったこと ・女子マラソンで野口が優勝したこと(丁度ツアーで、ウィーンのホテルでチェックインをした直後にゴールを見た) ・柔道が8個の金メダルを取ったこと ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子が女子でニ連勝、 優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど ・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった選手が優勝をしたこと ・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝 ・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の逆転優勝 ・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと −日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが判明したことと、これで、一リーグ制に加速がつくだろう 以上、誰もが同じ印象であろう。ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と北朝鮮が 冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。そしていつの間にか彼らの得意競技になっていた。 それを一部とりかえしたといってよい。いずれにしても、日本復興委員会をつくって本気になって 金メダルを狙いにいった結果だった。 まあ素晴らしいことだ! ・・・・・・・・・ 2003年08月30日(土) 878,「何故なれない富士山が世界遺産に!」 先日のNHKTVの「クローズアップ現代」をみていて驚いた。「富士山が世界遺産の指定から外れてしまった」 と真面目に取り上げていた。「馬鹿たれ、ユネスコの世界遺産とは何ぞや知っているのか!」 こんなものはフランスの一部の利権屋の既得権のワッペンの世界でしかない。そのことを西アフリカのツアーで嫌というほど 知らされた実感である。 そのツアーの謳い文句が、「世界遺産を見てまわる旅」であった。 ところが、その世界遺産というのが見るに耐えない塵以下の代物だった。殆ど意味のない、小さな小屋が世界遺産という。 これは詐欺以下の世界である。添乗員曰く「これは詐欺の世界で、世界遺産はそういう西欧のラベルーワッペンの代物でしかない!」 「うっせい、この野郎!それを謳い文句でパンフレットに載せて、つれてきたのはどこのどいつだ!」と心の中で思ってもすでに遅かった。 NHKの番組で「何故、富士山が世界遺産から外された?」と真面目に取り上げていたのだ。このことを解ってNHKも放送しているのだろうが、 まさか「天下のユネスコの世界遺産とはその程度のものだ」とも放送できない。何の意味がない世界遺産をタップリ時間と金をかけて行って ゴミ?を見せつけられた経験がいわせているのだ。 この文章をみて「私の偏見で決めつけているいるのではないか?!」 と考えるかも知れないが、実体験でこの目で見た事実である。どうしても西欧の価値観で決められるのだ。 自分たちが過去に統治していて、今も関係の深い観光資源に甘くなる。「こんなもので遺産はおかしいし、まだ富士山が選ばれてない」と、 その時も添乗員が言っていた ノーベル賞も、「もっと質が悪いもの」と考えると世界が違って見えてくる。 あくまで欧米の政治的価値観のレベルでしかない。馬鹿みたいなのが、この表象世界である。しかしそこに住んでいるのが人間でもあるのも 事実であるが。特に閉ざされた国の日本人は、世界遺産とかノーベル賞という言葉だけで信じてしまう傾向があまりにも強い。 (次数制限のためカット 2011年8月30日)
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