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2011年03月09日(水)
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ ―― 自分を批判する自分の目が失われることが、老いの一現象かもしれない。若い人でも、心が老いてしまっている人もいる。 その目は他人にいって、己の乾いた心が硬直していることが見えなくなってしまっている。 「 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 」 が身に沁みる! とはいえ、100年、500年来の地殻変動の中であることは確か。「駄目な一切」を「時代のせい」ではなく、 「他のせい」にするな、ということ。 感受性が鈍るから。 ・・・・・・・ 3270, 焼き鳥は何故串刺しにするのか? 2010年03月09日(火) 図書館で書棚を見ていたら「焼鳥は何故串刺しか?」という本があった。 「何々??」と手にとってみたが、成るほどと思う部分があった。迷ったが借りてはこなかった。 記憶に残ったことといえば、ー 串刺しにすると ー ・何本食べたか出す方も、食べる方も分かりやすい。 ・串は食べやすい。箸を使うことなく串を口に持っていける。 ・皮、ハツ、モツ、軟骨など、多品種にできる。 ・焼き台で焼くのに串が最適。 (かつ火が通りやすく、生焼きを避ける) ・肉や内臓の切れ端が無くすことができる。 ・内臓など安い材料のものを、串に刺すことで、見た目に良く見える。 このように、改めて考えると要領を得ている。 最近、串刺しをしないで、材料を焼くだけの焼鳥を居酒屋で見かけるが、何か様にならない。 串焼に刺した肉や魚などを鉄板の間に挟んで焼く専門店がある。駅前に一店しか成立をしないが、焼き鳥の方が人気が高い。 串ものといえば串団子がある。これも串刺しにすることで一々箸で摘むことなく食べることができる。 蒲焼も串を通して焼くが、出すときは串を抜く。焼き鳥の焼き台で一本一本がクルクル回転するものや、ベルトコンベアで 一回転する間に自動的に焼き上げるものもある。また火も炭のような金属を熱して焼くものなど、色いろな工夫もされてきている。 冷凍は客に嫌われるので、食肉屋が串に刺したものを配達するのもある。豚肉や内臓を串に刺す焼とんは、戦後の食糧難のときに 苦肉の策でできたという説がある。最近、スーパーなどで中国製の冷凍のものを見かけるが、やはり焼き鳥屋で酒を傾けながらが良い。 ・・・・・・・・・ 2895, 不況景色 −9 2009年03月09日(月) 去年の9月15日以来、毎日が恐慌の進行のメルクマールを書く日々になっている。この一年で中国で二千万人、 アメリカで四百万人の失業者が増加。直近の12・1・2月の三ヶ月でアメリカは200万人が失業をし、それは年率にすると800万人。 中国は今年は更に二千万人が失業するという。日本も水面下で失業が増え続けている。来月辺りから爆発的な倒産とリストラにより 失業者の激増が予測される。昨日の朝日新聞の一面トップで「失業者 雪崩打ち生活保護へ」ー1月は最多116万世帯ーと報じていた。 5年前の2004年の100世帯、14年前の1995年の60万世帯、25年前の79万からみると、異常な増加。 この事態の中では当然だが、それが更に大幅に失業者が増加し続けるのである。 ・日本では、夫65歳、妻60歳以上平均で、収入平均が17万、支出が25万。残りは預金の取崩しや子供からの援助など。 ・国民年金も40年払い続けて、満額で一人当たり6万6千円、二人で13万あまりだから、 ギリギリまで働かないと個人営業者は生活できない構造になっている。 ・支出25万円の内訳は、食費6万、住居2万、水道光熱1万6千、保健医療1万6千、交通通信2万7千、その他11万1千円。 地方では、最低生活は月に15万円と税務所の担当から聞いたことがある。中小会社や、個人営業者は船板一枚下は地獄。 だから日々が刺激があって面白いが、反面、常に最悪の事態を常に想定して生活している。 この百年か数百年に一度の恐慌は弱者を土壇場に追い詰めることになる。イギリスでは、あのロイドが国家管理になり、 4大金融機関のうち2つが国家管理になってしまった。まずは世界の銀行が破綻しているが、これからは実体経済がやられ 企業倒産が続くことになる。その影響をモロに受けざるを得ない事業のため、毎日が生きた心地がしないが、成るがままに 身を任せるしかない。 今さらジタバタしても、しなくても同じことである。現金商売というのが、目先は何とかしてくれる。 1〜2年は何とか大丈夫? 二年後には駅前再開発による道路拡張で「一つのホテルの買収計画」が具体化するので、 まずは二年さえ凌げばよいことになっている。 まあ何とか成るようになってはいるが・・・。 それすら、大津波は根こそぎ破壊するかもしれない、それが世界恐慌である。 ・・・・・・・・・ 2008年03月09日(日) 産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた梅田望夫の【ウェブ時代 5つの定理】が面白い。 梅田の本を読むのは4冊目になるが、今のところ外れはない。 その5つの定理とは、 その1 アントレプレナーシップ その2 チーム力 その3 技術者の眼 その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」 その5 大人の流儀 になっているが、 まずは1と2の概要をまとめてみよう。 第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。 新しい物事に対する積極的意欲、リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、 飽くなき探究心や冒険心や没頭、変化を求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまでやりぬく気持ち、 といった要素がこの言葉には含まれる。 ≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫ これはアップル創業者兼CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズの言葉である。 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、「やりたいことをやる」という気持ちと、 「社会をより良くしたい」という思いの組み合わせによって持続する。 お金が最優先事項では長期にわたってそういう熱が持続しない。倫理性と経済性が融合したシリコンバレーの そんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、強い「働く意欲」の源になっている。 第二の定理はチーム力 ≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる≫ この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、自分を向上させたいと常に思っているから、 自分より優れた人と一緒に働きたいと考えるが、Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用してしまう、 という意味である。チーム編成においてはAクラスの連鎖を作るべし。イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを組成する ところから始めなければならないという経験則が、この言葉の背後にある。≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。理想の プロジェクトチームは会議もせずランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ≫ これはサン・マイクロシステムズ共同創業者のビル・ジョイの言葉である。マイクロソフトもアップルもグーグルも、 すべては数人のチームによる熱狂的な没頭から始まった。「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、 資金でも設備でもなく、 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる「チーム力」にある。 ーー この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。日本にも筑波という素晴らしい都市があるが、 そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。研究都市だから、少し違うとしてもである。 ・・・・・・・・・ 2007年03月09日(金) 2166, 日本の人口動態の推移 オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン! 「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記 解りやすく、面白い本である。その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。 日本の人口が一昨年から減少に転じた。それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように 推移していったのか知りくなるのが人情である。人口推移を大雑把にまとめれば、 ・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定。 ・明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、 ・さらに昭和初めから現在までに倍増した。400年で10倍、140年間で4倍、80年間で2倍に増え、今後約100年の間に半分に減る。 ーまずは、そこを書き出してみるー ・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。1600年に約1200万人であった総人口は、1700年に2769万人となったが、 1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。日本の近代的な人口統計は1872年(明治5年)から存在する。 この年の総人口は3481万人である。すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。 そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。江戸時代の停滞社会から脱却し、富国強兵と 近代産業国家をめざして成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。 総人口は1891年(明治24年)に4千万人を 突破し、1912年(大正元年)には5千万人を超えた。人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。 ・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は 約2倍に増加したわけである。 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。 総人口はさらに増え続け、 ・1936年に7千万人、・1948年に8千万人を突破した。終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。 1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている (39、45、46年を除く)。 最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。 総人口は1967年に1億人を超えた。1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、継続的に減少してゆくものと見られている。 国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、 2010年に1億2747万人、20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、40年に1億938万人になる。 そして、50年に約1億人となり、2100年には、約6413万人になるものと予測されている。我われは、日本列島に生息する 日本人の数が最大になったさまを見ているのである。「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。 日本人の現在の平均寿命は、女性が85.23歳、男性が78.32歳で、どちらも世界一になっている。 明治から大正期までは、 女性が40歳代の中頃、男性が40歳代の前半だったから、その後非常に大きな変化があったことがわかる。 これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。 とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが 平均寿命を大幅に下げていた。この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。 この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。これは、ある年齢に達したものがその後生存すると期待される年数である (したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、 60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。1891年?98年(明治24?31年)において60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。 60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。 現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。 60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。 ーー 以上だが、成人になった平均寿命は、思ったほどは延びてはいない。80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に 戻ると思えばよい。「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた人口が昭和初期の人口に100年かけて戻る」 ということだ。 これだけでも人口動態に関してチョッとした物知りになる。人口減少に対し社会資本は比例しては減らないから 豊かさは増える。その現象に対し、自らを変えていくシステムを構築すればよいだけである。 その意味でも州制度をとり、それぞれの地区に州知事か首相を置いて、思い切った権限の移譲が必要だろう。(o ・д・)ツ バイ! ーここで気がついたが、去年の同日に、やはり野口悠紀雄の読書日記だった。 ・・・・・・・・・ 2006年03月09日(木) 1801, 日本経済改造論 ー読書日記 才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪ またまた野口悠紀雄である。このところたて続き読んでいるが、どの本を読んでも飽きさせないから不思議である。 この本では、現在の日本経済の不況の原因が ・1940年体制を起点とした戦時体制を引き継いだ1945年体制以降から 現在まで続いている間接金融による銀行支配にあるとしている。 ・また日本企業のリスク回避的な行動にも原因がある、と指摘している。 従ってそれらを克服するには45年体制から続いている間接金融 から直接金融に移行し、リスク回避的な企業が市場から 直接資本を集め、新しい事業を立ち上げない限り今後の日本経済は立ち行かなくなることを指摘している。 (以下、字数の関係でカット2009年03月09日) ・・・・・・・ 2005年03月09日(水) 1436, つれづれなるままに ー面白い日記のコーナー 10年後の私が現在に立ち戻って来たイメージで日記を書いている。それが書いていて面白い。実際の日記より書きやすいのである。 それと、現実が良く見える。なかなか10年スパンで物事は考えにくい。が、日記で遊びとして書くと、気楽に現在の自分を見つめる ことができる。 新しい発見である。我が内なる天使様?か、守護神様か?か、冷静に見つめている良心か? その目で見ると、いかにつまらない事に日々追われていることに気づく。 ーーー ーはなまる・うどんーについて 一年ほど前に、「はなまる・ウドン」にFC加入をして、セルフうどん屋を新潟市内に数店開店をしようとした。 ところが契約直前にフランチャイズ・ショーに行って、数社の競合相手の話を聞いて急遽中止をした。 セルフうどん屋の状況が、彼等の言っていることと違うのだ。6千万の投資をする直前で、あと2?3店舗も 出店するはずであった。その後、社長が例の詐欺で問題になった豊田商事の元社員ということが週刊誌に暴かれた。 その直後に牛丼の吉野家に株式の33・4?を売却、その系列化に入った。そして現在、ほぼ出店ストップの状態である。 焦りもあって、調査もしない甘さもあった。軽い損失で済んだのは、不幸中の幸いであった。佐渡で一店だけ 「はなまる」が開店したが、悲惨な状況という風評が入ってきた。経営は、ひとつ間違えば舟下は地獄である。 ・・・・・・・・ 2004年03月09日(火) 1070, 美容整形医師の「美人の定義」 ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。 ーその文章を書き写してみるー 普通、美人と問われれば「目がパッチリ」「肌がきれい」「鼻が高い」「小顔」・・・と思いがちだが全部間違い。 現代美人とは「顔立ちが整っていること」が絶対条件。浜崎あゆみの目であろうが、ベッカムの鼻にしても、バランスが 悪ければ立派なブス(ブ男)である。つまりプロポーションの良いのが美人であり、いくら部品がよくても組み立てが悪くては ブスなのです。一点豪華主義の美人は存在しません。むしろ全部地味なほうが美人なのです。 日本の伝統的美人は雛人形に見られるように、目も鼻も口も全て小さく平べったい顔をしています。 ヨーロッパの美人はミロのビーナスに見られるように、口も鼻も口も全て大きく、立体的な顔をしています。 美人に見せるには、全部大きいか全部小さいかどちらでも良いから均一化して、バランスをとることが重要なのである。 日本人は突出することを嫌います。「出る杭は打たれる」などいって、平均的な小さくまとまった美しさを好みます。 これが美人の基準にもなる。いま一つは、権力によってその基準は左右される。 北朝鮮では「金正日がいい男の面」になっている。欧州の貴族は、それだけで顔立ちに係わらず美人美男になる。 ー以上である。 美人バランス論ということか。中年になってきて、特に45歳を過ぎると急激に体形や顔立ちが崩れるのは バランスが悪くなる為であったと考えると納得できる。本来、化粧はそのバランスを直すためするものである。 わざわざ崩している人がいるが。太りすぎも体形のバランスの崩れを直すため痩せようとするのだ。 固太りの人は、それほど見たほどデブに見えないのはバランスが崩れないからであろう。 西欧的美人より日本的美人の方が歳を重ねた時に美的段差が小さいのは、チマチマしているから バランスの崩れが小さく済むためだ。顔は、その人の家系や過去の集約として現れるが、 化粧一つで誤魔化しがきくから恐ろしい。といって品位などは三日も経てば直ぐ見えるが。 ・・・・・・・ 2003年03月09日(日) 704, [つかず離れず]ー群れない為に 「つかず離れず」は人間関係の基本である。「和して同ぜず」ー和同の精神である。 (仲良くはしても、お互い同じでない事を理解することだ)「隣の芝生は緑に見えます」「隣の花は赤い」は 同じ意味だ。 「味噌汁の冷えない位の距離」は嫁姑の距離である。以上は相手が良く見える距離を保つことの必要性をいっている。 人間関係には「親しき仲にも礼儀あり」という基本ルールがある。離婚した女性を見ていると、この距離感の果たす役割の 解ってない人が多い。スナックや居酒屋のママは離婚経験者がほとんどだ。フレンドリーで、お互いに距離を置かないのが プラスに働くのが皮肉である。お客は群れに来るのだから丁度フィットするのか。群れといえばこういう話しがある。 私のある姉が東京圏でサラリーマンに嫁いで団地に住んでいる。そこで色々な家庭を見ていて子供の数の理想は3人以上と言っていた。 「3人以上だと群れという感がする」「家庭は群れの場、その為にはその数が必要と見える」といっていたのが印象に残っている。 (字数制限のためカット 2010年3月9日)
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