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2009年03月20日(金)
最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。 ーその一つを披瀝してみよう あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。 そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、危険なイメージが漂っている。 ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。 ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチをした一団。 階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに彼等を誘導し下界に連れて行く。 その後そこに戻るが、禁断の上階へのエレベーターに乗ってみたくなる。 思い切って乗ると、いつの間にか異次元の天空に自分がいる。 時は40年前の20代前半である。 そこには当時の懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、全てが許されて洗い流されている。 しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。 もしかしたら、あの皮膚だけの人たちと同じように、 自分のそれからの過去が消されるのではと不安になる。 そのあたりで夢から醒める。 ―ー 出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なりあった内容とも解釈できる。 上階へのエレベーターで上がっていった先は時空を超えた純粋意識 下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に流れている日常である。 面白いのは上階〈上界)から降りてきた人がノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。 その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図ということか。 この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。 その時に屋上から見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。
・・・・・・・・ 2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2 2008年03月20日(木)
・交通事情 *東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の機長が出てきた。 「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」 *新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の皆様方の中で、切符を分割払いでお求めになったお客様。 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」 ・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに来て下さい!」 「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。 いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」 「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」 ・「酔っぱらうってどういうこと」 「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」 ・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 「これ、腕時計だよ」 ・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 落ちながら男は思う、「神様、私はなんて愚かなのでしょう! 彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも飲んでいれば....。」 ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。 体を起こし、汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」 ・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。 「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、小便をバーの中全体に撒き散らした。 小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。 すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」 ・授業中、先生と、生徒の会話。 先生: 「A君、隣のB君を起しなさい。」 A君: 「どうして? A君を寝かしたのは、先生なのに。」 ・ウォッカばかり飲んでる亭主と奥さんの会話 奥さん「もう我慢できないわ!私をとるのか、ウォッカをとるのか、どちらかに決めて頂戴!」 亭主 「その場合のウォッカとは、何本のことだね?」 ... -- 「ロシアの小話、8つ ー1 」に比べると、少し落ちるが、それでも!
・・・・・・・・・ 2007年03月20日(火) 2177, ゆとり・個性化教育って何だったの? オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした 「ゆとり・個性化教育」の誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、「個性的な人間」を育てることであった。 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と、刷り込みがされてきた。 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。 「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。 先生も、その珍奇な子供のなすがままに、自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。
人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。 お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて 笑いの対象にしている。あれは個性的でも、天才的でも何でもない珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」 という原則がある。まずは、基本を身につけて、乗り越え、そして新しい技・個性を身につける。 個性的性格というのは、30年、50年かけて作りあげるもの。 職業とか、趣味とか、色いろな経験が織りなす輝きを個性という。 長年の生き方が、その人らしさを作り、「らしさ」が味として滲み出るのが個性である。 「珍奇な早熟の生き方」を幼い子供に押し付けること自体、中味のない珍奇な生き方を 強要していることになる。最近になって教育現場の惨状に政治家も腰をあげ、教育制度に根底から変えようとしているが・・ 「仲の良い両親が温かく子どもを見守る明るい家庭こそ、子どもの人生の基盤になる」と言われている。 それは長年かけた家庭の結果でしかない姿である。大きな波風の中で、結果として明るい温かい家族ができたのであって、 そのプロセスこそが子ども教育になるし、個性の芯になる。その時その場の「いま・ここ」で与えられた課題を、 一つずつこなしていけば、その永年の積み重ねが個性になるのである。
別に個性的でなくても、いいじゃないか。そう、砂利同士がカタチは丸いとか四角とか言っているのと同じ。 そんなこと気にすることはない。でも変わったのに眼がいくか? 社会ルールを壊さない程度で好きなことをやっていればよい。個性なんぞ考えることは、人との比較をしていることになる ゆとり教育とは、ゆとりのある親が公立でなく、私立の小・中学校に子供を入れることに結果としてなってしまった。 ブラック・ユーモアなんてものじゃないのが、現状である。 ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪ ーーーーーーーー 2006年03月20日(月) 1812, WBC?日韓戦が面白い! 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
昨日のWBCの日韓戦が面白い試合であった! 勝ったから尚のことだったのだろうが。 WBC戦で6勝全勝の韓国と、三勝三敗の日本の戦い。おまけに日本は韓国に二戦二敗である。 15日に韓国に敗れ99?諦めていた日本が、米国がマサカの敗戦で生き返った。 日本は負けて元々。全勝をしてきた韓国は負けられない戦いであった。 中盤までの緊迫した投手戦が、7回に日本の大量得点で勝ってしまった。 それまでは、日本が押し気味に進んでいたが、チャンスにあと一押しがなく 嫌な雰囲気であった。それが、福留の一発のホームランで流れが一挙に日本に傾いてしまった。 ヾ(●´▽`●)ノ彡☆ ゚・。・(●ノ∀`●)σ・。・゚ 試合というものは、こういうものである。韓国にとっては二勝一敗の日本が決勝に進んでしまったことに、 割り切れない無念さが残ってしまっただろう。韓国に三連敗は許されない日本と、二連勝している日本に 決勝に出すわけにいかない韓国の立場があり、お互いに負けられないという緊張感がヒシヒシと迫ってきた。 日本は決勝まで進めるとは思っていなかっただろう。万一、日本がキューバに勝つようなことがあれば、 日本の野球界にとって、神風?がふくだろう。冷静?にみると、イチロウの存在が大きい。 『自分の野球人生で一番の屈辱の日』という言葉が、転がり込んできた準決勝で、チーム全体に火をつけた。 全員の目が据わっていた。韓国野球界はサッカーなどの影響で、ジリ貧の韓国野球の起死回生という、 コンセプトがあって万全な準備を続けてきたという。準決勝進出をすると兵役免疫という条件の選手が 何人もいたため、日本戦の勝利で必死だった緊張感が切れたのだろう。日本とすれば大リーガーの二人の松井と、 井口をメンバーに揃えたようなもの。これでイチロウ株が上がり、松井秀樹選手は大きな傷を背負ってしまった。 日本という立場からみれば、悪役のアメリカの審判あり、韓国戦の惜敗が二度あり、結果として 劇的なWBC戦になってきた。これで白けていた日本のファンは、一挙に盛り上がってきた。 明日の試合が楽しみであるが、流れからいって、五分五分だろう! いや、やはりキューバが・・・ 優勝すれば、冬季オリンピックで惨敗のスポーツ界にとっても朗報になる。 いや日本全体にとっても。 ☆ミ(ヾ(≧∇≦)〃) )≧∇)ノ彡☆ *・☆グドバイ! ・・・・・・・ 2005年03月20日(日) 1447, ロシア人立てこもり
3日前の夜半に、シングルイン第二新館で大立ち回りがあった。 ー現場の人の証言から、内容は以下の通りであるー
深夜の0時近く、警察官が第二新館のホテルに宿泊しているロシア人をなだめながら連れてきた。 近くで騒ぎを起こして、通報されて連れ帰されてきた。警官が帰った後、何かが面白くなかったのか、 フロントの対応が悪かったのか、いきなりロビーに置いてある新聞に火をつけて火災報知器にかざし、 ロビーの椅子でバリケードをつくり外部から入れないように閉鎖。更に消火器で三人のフロントマンに噴射した。 火災報知器の音で降りてきたお客さんが消防に電話、消防士と警察官も含めて30人近くが駆けつけて一時は 騒然となったとか。隣の大きな飲食ビルの酔い客の野次馬も集まり、映画に出てくるような大騒動。 ホテル内には180人の宿泊客がいたが、大部分は気がつかず寝ていた。 もし気づいていたら、騒ぎはその数倍になっていた。収まったのは、夜半の3時半。現場の掃除も翌日のチェックイン の時間ギリギリまでかかってしまった。こういう仕事も、お客商売ー水商売とつくづく感じざるを得ない。 たまたま、新館にはロシア人の団体十数人が泊まっていたが、その騒いだロシア人とは全く関係のない人達だった。 翌日は朝から警察の事情聴取で、支配人は半日以上も対応で終止。 消防からは、その時のお客の対応を明確に報告をするように電話があった。 ここまで派手な立ち回りはホテル開業以来初めてである。火事騒ぎ、自殺、自殺未遂、指名手配逮捕劇、 薬中2人のナイフによる喝上げ、この事件の一週間前におきた女性による手首??自殺未遂とある。 こういう事件が起こるのもグローバル化ということか。 ホテルは、自分の住所を書き込むためか、宿泊客は大人しいものだが。(もし偽住所を書くと、違反になる) アルコールも薬の反応も無かったというから、異国の地でストレスがたまっていたのか、それとも? 近くの飲食ビルの丁度よいネタだろう。新聞などのマスコミには、報道されなかったようだが。もちろん、告訴をした。
・・・・・・・ 2004年03月20日(土) 1081, ST訓練 ?2
去年の今頃に「ST訓練」について書いた。ー(後でコピーしておきます) 先日、二年ぶりに新入社員に対する「ST訓練」のインストラクターをした。30回近くしたことになる。 人の話をきっちり聞く事が出来ない人が意外と多いのに驚く。特に地方の馬鹿二代目に多い。 優秀な場合や、独りで超越した世界を確立してある場合は、人の話をむしろ聞かない方がよい場合もある、 しかし、それはまれである。今ベストセラーになっている「馬鹿の壁」というのは、人の話をきっちり聞けない事を言う。 まずは、相手の話を把握する事と、そして自分の話を相手に手短に話せる訓練をしなくてはならない。 日記を書く習慣のある人は、すでに身につけている。 今の若い人の言葉に対する感覚は10年?20年前に比べると格段の差がある。 不況の為、質が良くなっていることもあるが、言葉に対する感覚が鋭くなっている。 終了後、総括としてのレポートを書かせたが、全員がほぼ訓練内容を把握していた。 その一つを書きうつしてみる。 これで大体どういう内容か解ってもらえるだろう。 ーーーー 「ST訓練を受けて」 佐藤春美 ?、言葉について
(1)言葉 今日の訓練で、いかに‘言葉’が大事であるかを改めて考えさせられた。人間が人間たるゆえんは言葉を使うことである。 しかし「人間」と「動物」を決定的に分ける「言葉」は非常に難しい。主語をつけたかどうか、副詞・助詞を何にするかで 全く違う意味になってしまうからです。また、起承転結で論理を構成したり、短文にして話すことを普段何気なくしているが、 意識をしていざ話を纏めようとすると非常に難しくなります。 私は学生時代、手話を学ぶ機会がありました。そして実際に聴覚障害の人とも交流しました。 そのなかで、私たちが当たり前に使っている言葉での意志交換の難しさや、手話ゆえの素晴らしさを知りました。 (2)人の話を聴くこと 人との対話の中で大事なことは、人の話をまずよく聴くこと、そして自分の言いたいことを正確に相手に伝えることです。 まず相手のいうことを把握しなくては、自分の言うことに曖昧さが出るからです。 そして、そのやり取りの触発で自分の考えが飛躍することがあるのです。 (3)自分の考えを纏める 今まで普段の友人や家族との会話で、別に何も考えず話していた。しかし会話から対話になると、 そうはいかない事が解りました。自分の考えを纏めながら相手に伝えなければならないのです。 ー、自分について (1)自分とは何か 「自分」を考えると非常に曖昧で、定義することは難しい。「自」は「他」があってはじめて存在する相対的なもの。 他人と関わりを持ってはじめて自分というカタチが形成される。他人との関わりで生まれてくる考え方、 姿勢、積み重なっている経験、性格などの要素で形成されている。 (2)他人とは何か 広い意味で言えば、自分以外の人。つきつめれば、自分と関わりのある価値観の違う人だと思います。 違う経験と立場の人です。関わりのない人は他人とはいいません。 『他人』を考えるということは『自分』を考えることになります。 (3)社会とは 社会は「場」であるともいえる。人間集合の場の総称といってもよいでしょう。 テーマがあって、時間と空間で構成されるのが「場」です。 人間を喩えにとると、それぞれの人は多くの立場を持っています。 それゆえに人が人間になるのです。家でいえば子供の立場であったり、姉妹の姉の立場であったり、 学校では生徒・学生であったりします。このようなそれぞれの多くの立場をもって社会は形成している。
ー、これから社会人に (1)学生時代は終わりました。これからは、学生というお客様より、企業人としての(プロとしての) 労働を売る立場に変わったのです。これは責任を伴うということです。 新入社員という甘いは、一歩現場に立たされれば許されません。 お客様にとって、それは関係ないことです。早く仕事を覚えることが現在私に課された大きい勤めです。 (2)読書 今まで私は趣味として小説を読んできました。教養とかは意識をしてなく、 ただのんびりと読んでいただけのようでした。今までは、時間は充分にあったようです。 しかしこれからは無い時間の中で(心に残る読書)を心がけようと思います。 『学び』を。私のキーワードにしたいと思います。 (3)日記 二年前より日記を書くようにしていたのですが、どうしても毎日は無理でした。 「こころ」は「言葉」と同じです。「言葉で残す」ということは「こころ」を記録することです。 内容も大事ですが、継続こそ大事。それは自分にそのまま跳ね返ってくることになります。 日記の重要性を改めて思いました。 2004年3月17日 ・・・・・・・・ 2003年03月20日(木) 715、「退場宣告」-読書日記
借りている手前、銀行の現状を書くことができないのが現在の中小企業経営者。 「よく書いてくれた!」というのがこの書である。実際現場で起きていることは大手の不良資産の処理の肩代わりを 中小企業に押し付けている。大手がつぶれると、その資産圧縮に中小企業の貸しはがしを露骨にしている。 担保が足りないとか、金融庁に指摘されたとかいい辛辣に貸し剥がしている。 旅行先などで出あう中小の経営者は、貸し剥しの辛辣さに口を揃えて非難の嵐である。 一番の利益の元を虐待をしていれば、必ずその逆襲にあう。担当には若い役のついてないのを遣し、 トップ直談判で貸しはがしと追加担保要求をする。暴力団と手口は同じである。直接間接の脅しである。 ここまで落ちたかというのが現状である。この不信感は銀行にとって数年後には致命傷になるのは目に見えている。 ある人の話だが[地元の「大蔵省の天下り先専用の銀行」に行ったら、「その件は前例がないから全く考えられません」 と50代後半の次長がのたまったのに驚いてしまった。50代後半の次長にも驚いたが、その旧体質の空気がすべての 今の日本の現状をそのまま現していた。70歳位の頭取が今でも時たま新聞に出てきて、自画自賛をしている姿は ??としかいいようがない。]といっていた。彼らの言い分も解らないでもないが、金融庁から尺度を急に変えてきて その基準で自己保全をやれ!ということだから。といって現場にとって、それは暴力団になれということだが。
ー大筋は以下の通りである(これは私の主観で書きうつしたものだ) (以下、字数の関係でカット2008年3月20日) 「退場宣告」 著者/訳者名 木村剛/著 田原総一朗/著
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