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2009年03月02日(月)
現在、「天地人」を日曜日の20時の連続ドラマで放送している。 NHKの、このゴールデンタイムのドラマは20年来見なかったが去年から観始めた。 今年は地元越後の上杉家・家老の直江兼継が主人公で、先祖の縁があるので面白い。 堀井の家系は小父谷市近郊の片貝に、30代近く続いた総本家がある。 4代前の祖先が江戸末期に長岡に出てきたと子供の頃から聞いていた。 その堀井家の総本家に父が亡くなる数年前に訪ねていったという。 ご先祖様は上杉謙信が亡くなった後の起きた御家騒動【御館の乱】で負けた影虎の家来で、 その火中に小父谷郊外の片貝の池津の村に落ちてきたという。その屋号が実家の池津屋の屋号になった由来である。 その争いの勃発の場面が、昨夜の「天地人」にあった。 何か先祖の霊の目で見ているようで、微妙な感覚であった。 直江兼継は御館の乱の勝者の上杉影勝の家来。私の祖先は負けて小父谷の郊外に落ちた方。 堀井を更にたどっていくと平家の落武者という。 堀井の姓を20数年前に図書館の電話帳を調べたら、 上越市と富山と岐阜県に堀井の姓が多かった。 それからみて、その元は平家の落人ということになる。 私が新潟で商売をしていることから、京都、岐阜の高山、富山、上越、小父谷、長岡、そして新潟と 流れが続くことになる。ちなみに合併前の旧長岡市の堀井の姓は7〜8軒しかなかった。新潟市内も数人しかいない。 ドラマとしても影虎と影勝の対立の場面は他人ごとではなかった。 大筋以外は創作でしかないが、 どちらサイドの感覚で観たらよいのかおかしな気持ちも事実。 次回が戦いの場面になる。 ー下書き後に分かったことだが、この随想日記で6年前の(3月01日)の、偶然に、先祖のルーツを取り上げていた。 面白いものだ。
・・・・・・・・・ 2524, 酒は涙か溜息か 2008年03月02日(日)
「酒は憂さ晴らしに逆効果 」ー東大がラットで実験ー という記事が先日の地元紙に載っていた。 ーまずは、その内容をー 憂さ晴らしに酒を飲んでもむしろ逆効果?嫌なことを思い出した直後にアルコールを摂取すると、 かえってその記憶が強められることを松木則夫東京大教授(薬理学)らがラットの実験で見つけ、 28日までに米専門誌の電子版に発表した。人の場合なら、嫌なことを忘れようと酒を飲んで一時的に 楽しくなっても、翌日には楽しいことを忘れ、嫌な記憶が強く残ることを示しているという。 松木教授は「酒を飲まずに、嫌な記憶に楽しい記憶を上書きしてしまうのが良いのでは」と “しらふの気分転換”を勧めている。 実験で、かごに入れたラットに電気ショックを与え、 恐怖を学習させると、かごに入れただけで、身をすくめて固まるようになる。 チームはいったん固まった直後のラットに飲酒相当のアルコールを注射した。 その結果、注射しないラットと比べると、かごの中で固まり続ける時間が長くなった。 その効果は2週間続き、記憶が強くなったと判断されたという。(共同通信社) ーー 以上だが、20年以上前になるが、ある取引先の営業の人に 「私は、不味い酒は飲まないことにしている。自棄酒とか、気分を紛らわせる酒は、ますます気分も体調も悪くする。 楽しい酒を選んで飲めば気分は更に良くなるが、その逆を金を出してすると逆効果になる。」と言われた。 そして、その日以来、忠実に守ってきた。 10年ほど前に、高校の同級生に「おい堀井、御前な?自室でな酒を飲んで、二日酔いをした経験をしたことがあるか?」 と言われ、そういう経験の記憶は殆どない。色々の挫折の末に独りで部屋に篭って飲みざるをえない酒の味を 言いたかったのだろう。そいうば私の好きな歌に古賀政男の「悲しい酒」がある。 1 酒は涙か 溜息か 心のうさの 捨てどころ 2 遠いえにしの かの人に 夜毎の夢の 切なさに 3 酒は涙か 溜息か かなしい恋の 捨てどころ 4 忘れた筈の かの人に のこる心を なんとしょう 「かの人」を、「かの憂さ」、「恋」を「傷」と置き換えると、中小企業のオヤジや、 サラリーマンの赤提の憂さ晴らしと同じになるか! これを歌っていると何とも面白く楽しくなるのは如何いうこと? 飲まなきゃ、やってられないことはよーく解るが! 「しらふの気分転換」じゃ晴れないから飲むんじゃないか!ったく!! ってのが、おちか!
・・・・・・・・・ 2007年03月02日(金) 2159, 閑話小題 (o_△_)oゴロン (o_ _)o.。o○グー オハヨ? *都知事選が面白くなった!* ・都知事選に前宮城県知事の浅野氏が立候補の意向を表明した。 これで見ている分には面白くなってきた。石原知事は批判があるにしても、名知事である。 少し変節したが許容範囲である。しかし浅野に代わるのもタイミング的に良いのかもしれない。 二期で充分と言えなくもない。これで三月・四月の面白いイベントが更に一つ加わった! 石原都知事も浅野氏が出てくるとは思ってなかっただろう。 一番手ごわい相手である。 浅野の方が勝ちそうな気がするが、実績からみて五分五分だろう。 首都圏の為にどちらが有効なのだろう?まあ、楽しみが一つ増えた! 浅野氏勝ったらゼネコンは一大事だろう。談合が更に厳しくなるからだ。 ーー *中国発、世界同時株安* この言葉は何処かで聞いたことがある。同じような題名の本の題名が数年前から本屋の平台に積んであった。 今回の下げは地震に例えるならば、前振れの余震だろう。それが数度つづいた後に、本格的な大地震がくる。 現在の世界経済は、一度清算をしなければならないところにきている。 以前は、世界大戦というカタチで清算してきたが、それができなくなってきた。 今は株や債権の暴落から大恐慌が発生、それがキッカケで破壊がおこなわれる。 ーー *新潟駅周辺が変わり始めてきた* 日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。 今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、その至近距離にあるやはり大型ビルの地下と 1Fに大型書店など合計1万平米が開店。駅から6分ほどにある万代シティーのSCのダイエー跡も今日、開店。 合計一万数千坪の商業施設が新たにオープンするのだから、雰囲気は一変するだろう。 今までが、郊外のSCに押されて、駅周辺が寂れる一方だったが、これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた! (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・・ 2006年03月02日(木) 1794, 超アメリカ整理日記 ?1 (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ ー読書日記
ースタンフォードから日米をみると・・・ー
野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の 2004年5月1・8日合併号?2005年4月16日に連載したものをまとめたもの。 米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。 政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。 現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、年金制度、など、社会システムの非合理性を指摘している。 イケア、マイクロソフト、トヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。経営、経済、経済システムや、 荒涼とした大地に、都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。 それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、それによって、浮かび上がってくる システムの矛盾の指摘がわかりやすい。 ~~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ! ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。 p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい →日本の高い物価を回避する手段。年金生活者にとっては、不可能ではない。 ただし、現地のコミュニティに溶け込むことが、重要。 p.204 伸びる中国、追うのは日本ではなく韓国 →スタンフォード大学に留学生数では、中国人がトップ。 現在、2番手は日本ではなく、韓国。ここ10年で逆転されている。 日本の資源は人材であると考えると、将来が不安と指摘。 米国のトップスクールで学んだ経験とそのときの人的ネットワークは、 ビジネスをする上で非常に有利に働くと考えられる。 これらを考えると、10年後の日本はどうなっているのだろうか心配になる? p.237 まともに生きる人間が正当に報われるアメリカ社会 p.245「人間の時間間隔は、<新しい経験をどれだけしたか>によって決まる」 最近の野口悠紀雄氏の本は、ほとんど目を通しているが、 この本は実際のアメリカ滞在者の実感が正直に書かれていて説得力があってよい。 自己制御がきかなくなっている日本の現状は、一歩外からみると鮮明にみえるのだろう。 [○´・ω・]ノ ヂャァネッ ・・・・・・・・ 2005年03月02日(水) 1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇
岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。 以前から、随想日記で書いてきた「中年クライシス」の暴発である。母親の痴呆と、長男の問題、 病気、職場の関係、犬の世話等々で、自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。 そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。 40代後半から60代前半は、こういう問題が誰にも押し寄せる。見せているか見せていないかだけである。 その中で一人でする、スキップと鼻歌は、背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。 真面目な人ほど、ある日突然爆発する。その処理法の知識がない上に気弱だと、尚のことである。 この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。 外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。 深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。 直接原因はこれだろう。 以前、読書日記に ー『心』の出家ーの感想文を書いた。 後でコピーしておきますが、 その一節の言葉が印象的である。自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面) を取りさることである。神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で以下を語らせている。 ー文雄がいった。 「俺、発見したんだ」「なにをさ」「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」「どうして」「とにかく、そうなんだ。40前には、 迷うことなんかないよ。 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。 あり合せの目標に突っ走る。一段らくしたときが一番恐い。40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。 今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。え、そうじゃないか。迷いが出てきただろう」「そういえば、そうかな」 「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。恐らく、死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」 「迷わない奴だっているだろう」「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。しあわせという言い方もあるだろうがね」 ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。 しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。 そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。 ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか理由から生まれてきた一種の 「機能コンプレックス」であるという。それは個性というものとは違うものである。 安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が存在している。 ーー 誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。タマタマ犬の調教で、TVのニュースの映像が流されていた。 真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。 私の解釈では、・真面目な、・気弱そうな、・善人面ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。 誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、 犬の調教の疲れなどの全てが、長年にかけて山積になった。良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。
・・・・・・・ 2004年03月02日(火) 1063, 高級1DKマンション?1
高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。 最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンをしながら調査をしている。 そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。特徴としては、多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。 もちろん、高速インターネット付である。イメージとしては「スタジオ・マンション」という感じである。 ホームページを見ていると、何か別世界に入り込んでしまったような錯覚をしてしまう。 情報化社会の時代の新しい空間とは、こういうカタチと見せつけられたようだ。 またソフトハウスとしても利用可能のようである。特に新橋や品川や山の手周辺に多く、 一室で月20万?70万もする。ホテルの1泊3万の部屋を月契約で2万円にしても、月60万になってしまう。 ならば少し高くとも、長期滞在専門の本格的な1DKが求められて当然である。 大規模のものが近々、品川にオープンするが、都心だから入居者があるのだろう。 買って、そこに縛られるより、こういうところを渡り住んで楽しんだ方が良い。面白い時代になったものだ。 古ビルを買って、情報・サービス機能付き空間に大改築をするのも面白い。 時代の変化に合わせて、既存のものを変える事業も出てきているようだ。 組み合わせを変えることによって、新しい価値の創造をするデザインが現在求められている。 ホテルプロジェクトを1DKに集中? 「高度化」がキーワードになる。
・・・・・・・ 2003年03月02日(日) 697, ルーツー2(縦人脈)
ーその資料によると 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって富山から上越と逃れてきた。 そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」 という出城の城主であった。謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の 片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。その時の先祖の名前が「堀井宗親」と 「堀井四四太郎」という。一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。 その後、そこで百姓をしていたようだ。ルーツというほどのものではないが、平家・上杉という流れと、 関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって変わってきている。 金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。 また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」。 その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。 上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。 20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。 車を止めて独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。 何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ?という感覚で、何かオーラに包まれたような 気分である。この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。 そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。 家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。 それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。
・・・・・・・・・ 2002年03月02日(土) 347,心の陰
人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。 人を非難するのは、 結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。 ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく 自分のそれを認識しているに過ぎないー これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。 特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。 自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。 自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。 私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ
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