堀井On-Line



2057, あたりまえなことばかり −11

2006年11月20日(月)

          オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
                 − 読書日記

「死と生」は、考えるほど不思議で尽きない。
この無限の宇宙の中で、何で此処に自分が存在しているのだろう。

60年生きてきたが、「自分にとって死はない」というし、
永遠は「いま、ここ」にしかないというし、
人間しか持ち得ない「観念」によって、動物のように十全に生きられないというし、
人間しか持ち得ない精神の思考によって、生物体としての死の恐怖を看破し得るという。
先入観ー馬鹿の壁ーがビッシリと脳にこびり付いていた自分の人生に、
ここで気づいている愚かさ!
そして、周囲を見て、まあいいか、と思っている愚かさ!

自分にとっての時間は生まれ死ぬまでの時間ではない。
永遠は、「いま、ここ」に、垂直に、立ち上がる!
なるほど、その通りである。
我を忘れるほどの感動の、あの瞬間!
縦に立ち上がっていた!
永遠に今も続いている。

 薬物でもできそうだが・・・
それは、末期の時の一服の楽しみとして、とっておこう!
        **** Ψ( `▽´ )Ψ ケケケケ♪

  ーー
 *死ぬことは不幸なことか
              −��

    人間のみが自殺する生物であるのは、人間においてのみ、死が観念として
    対象化されているという事実を端的に示している。
    観念でない現実の死。とは、どういうことなのか。
    多くの人が、人間は死に向かう存在なのだと長く教えられてきた我われが、
    そのまま長く思い込んできた、未だ気づかない間違いが、ここにある。
    考えてみれば、観念でない現実の死を考えるとする正にそのことによって、
    死は常に観念となるという事実。
    観念でない現実の死など、観念としてしか存在しない。

しかし人は死ぬではないか、と人はいう。確かに現実に人は死ぬ。
しかし、死ぬのは常に他人であるという事実について考えてみる。
他人の死は自分の死ではない、そこにも自分の死は、存在してない。
人は、他人が死ぬのを見て、死を観念として対象化し、それを自分に類推して、
自分の死が現実に存在すると、思い込んでいるに過ぎない。
ここでもあくまで観念でしかない。
笑うべきことだが、自分の死を考えようとして与えられている思考の真空、
自分がいないとということを、考えている当の自分に、
どうして考えることができるのだろうか!かくして、哲学が誕生することになる。

    精神は思考することによって、生物体としての死の恐怖、その錯覚を看破し得る、
    だから、考えることこそが、善く生きるということなのだ。
    おそらく、生物に存在するのは生存本能であって、死の恐怖ではない。
    生きようとするために死を避けるのであって、
    死を避けるために生きているわけではない。
    人間という生物においてのみそこが転倒しているのは、自ら課した観念による
    錯覚のためで、人間は動物のように、十全には生きてはいない。
    それ自体で転倒している死への恐怖を逆手に取り、
    再び大きく転倒させるものが宗教である。
    あるいは、宗教は、考えられないものとしての自分の死、思考の真空地帯のそこに、
   「死後」の絵を画く。あたかもそれが、生の続きのように。

しかし、「生の続き」としての「死後」とは、どのようなことでありえようか。
自分の死が観念としかあり得ないのだから、その「死後」というのも、
文字通り観念としかあり得ないのは自明なことだ。
死が観念なら死後も観念である。ふと気づけば当たり前のことである。
人が死と対になった「死後」という観念から離れられないのは、
真空への恐怖だけでなく、時間の一直線に前方に流れるものという、
時間認識の錯誤にもよるのではなかろうか。
時間は一直線に前方に流れるという人々の表象の原型となっているのは、
人は誕生から死へと向かう存在であるという人生の表象である。
人は、物理的肉体として生まれ、育ち、次第に老いて、次に死ぬ。
時間は、そのような物理的現在、物理的瞬間の重なりとして表象されているのである。

    しかし、この時間表象によっては、決して表象されないときがある。
    それが、それらを表象している正にこの現在、時間は一直線に前方に流れるものだと
    表象しているこの瞬間である。「瞬間」など、どこにもない。捉えられるものではない。
    なぜなら物質ではないからだ。すると、時間を物質によって表象し、肉体の生死に等しく
    一直線に前方へ流れるものとのみ思うのは、誤りであることになる。
    これは、自分の死はあり得ないという例の事実を裏から支持する。
    物理的時間のうちに存在しない自分とは、物理的肉体ではない。
    すなわち、自分は生きて死ぬこの肉体ではないということに他ならないからである。

死なない存在に死後はない。
宗教が「死後」に言及することによって多く誤るのは、あたかもそれが時間的前後で
あるように聞こえてしまうことによる。「死後、永遠の生命を得る」。
しかし、「永遠」とは「死なない」ということ以外のいかなる意味であり得ようか。
永遠が死後にあるとは、既に破綻している。
我われの言語の構造が、物理的時間とは異なる時間のありように言及することを拒んでいる。
宗教が誤るのは、一直線に前方に流れ、死へ崩落していくと思われているこの人生に、
「意味」を語ろうとしているところにあるだろう。

  −−
 
 自分は生きて死ぬこの肉体ではない、というが・・・
 まあ、わからないでよいが、しかし考え続ける必要はある。
 それしかないのだろう。
                  (*^ワ^*)i  
                      バイバイ

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2005年11月20日(日)
1692, 二つのトッテ

「
ものごとにはすべて、二つのトッテがある」 
  という諺がよい。
                        (人`∀´)ィヒッ♪
   何ごとも両面がある(今さらだが、例えとして判りやすい)
    プラス面の取っ手を掴む癖をつけるかどうかで人生変わってくる。


  私のみるところ、意識をしてプラスを掴むようにしている人は
 1割も満たない。
 平気でマイナスの取っ手を掴んでいる人をみると、その異様さに唖然とする。
  家内にいわせると、おばさん系の地味な服装の人に多いという。 
   話題に暗い話をするのが恒例になっていて、マイナスの話に快感を
    覚えているという。  
                ン・・ ヘロヘロ α〜(´`d)ぱぁぁんちぃ   
                

「この人!マイナスのトッテを意識的に掴んでいるのではないか?」と
  確信してしまう人が多い。他人事ではないか?
   弱者ほど、その傾向が強い。
    必ず対象のマイナスに気持ちがいっている。

     反面、「このプラスに隠れているマイナス面は何だろうか」
       を何度か自問しないと、
        とんでもない落とし穴にはまる危険があることも確かだが。
                    
                      (゚o゚(○==⊂(゚(工)゚ )⊃o
                        クマストレートォ

「良い言葉は、良い人生に導く」
  結局、上手くいってない人生の人は、
   内語に知らないうちにマイナストッテー言葉をつかっている。
               baka!( ^ω^)ノビュゥゥゥゥ
                  ξξ ((((o+ω+)o ヒィ
     運命は我われに条件を与えているが、それをどう使うかで
      幸・不幸が分かれてくる。
      
                   トルネード!( ^ω^)ノ
                 ビュゥゥゥゥξξ ((((o+ω+)o ヒィ
        
        [壁])≡サッ!! |・∀・)ヒョイ アシタネ〜   
   ・・・・・・
   ・・・・・・
   
 2004年11月20日(土)
1327, まさか、地元で大地震が!ー14

今回の損害は、おおよそ3兆円と発表された。
・インフラー高速道路、山間部の斜面などで、一兆二千億
・民間家屋、7000億
・商工関係、3000億
・他    8000億
という。
阪神大震災が兵庫県だけで9兆9000億というから、
およそ、その三分の一の損害規模になる。
阪神大震災が都市型であるのに対して、中越地震は山間型地震の典型だ。

損壊した家屋が4万8千戸。
そのうち全壊とほぼ全壊で2300戸という。
現時点で、解雇が50社で420人。

この地震での事業への影響は、目先プラスであるが、
当面の復興の為の応援が収まったときのことを考えると背筋が寒くなる。

長期的にみたら、この大震災は新潟県にとって大きなマイナスである。
目先の資金の確保は非常に楽になるが、消費マインドが冷え込む。

ことの深刻さは、日が経つにつれて深くなってくる。
本当の問題が出てくるのは、これからである。

ただ年内に新幹線が全面開通の見通しが経ったのが救いである。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年11月20日(木)
960, バードウオッチングの面々−3

火の鳥ー小竹??

彼が一番長く続いた。
一年近くである。
ある突如の出来事でヤムナク中断してしまった。

彼はやはり解放という面で、生き生き楽しんで書いているのが内容から
窺い知ることができた。

字数の関係で、全ては「分類のコーナー」の方に掲載をしてある。
 ・・・・・・・・・
火の鳥ー小竹
2002/12/12

戦争映画に学ぶ
ー火の鳥
先週戦争映画をまとめてみた。史上最大の作戦なんて古いのから比較的新しい
プライベートライアンまで8本、いずれもハリウッドもの。
ドンパチとスリルと友情ってトコなのは、容易に想像のつくところですが、
よく観ると勧善懲悪、アメリカが善って、一本調子の、ばかりでないのである。
しかし今日はその事ではない。

潜水艦ものでケッコウ深く考えさせられてしまったのである。
いろいろ有って生き残ったのが、出来の悪い副艦長と必ずしも信頼を寄せて
いない乗組員。次から次へと襲いかかる危機、瞬時に判断しなければ
そこでオシマイの世界で、実に大胆な手を打って、事態を打開していくのである。
それまで出来が悪いと思われていた副艦長が。で、最後は信頼を勝ち得て
ハッピーエンドのエンタテイメントである。
ではあったがその時なぜか、我と我が身に置き換えてしまったのだった。

責任回避はしてないか、状況打破の大胆な手を打っているか、などなどと、デアル。
単純と言えば、実に単純。で、言いたかったのは、思考回路を時には単純にしてみる
のもいい、デアル。その為にはハズレは覚悟の上で、連続8本もの映画を見てみる。
デアル、ジャンジャン。
Date: 2002/12/12/Thu/18:37:30 [93]


辻井喬と田中康夫

ー火の鳥
辻井喬って、堤清二のペンネーム。田中康夫はご存知、作家で長野県知事ノ。
だからなんだと言うのかって事ですが、二人の小説を理解するには、
注のサポートなしで固有名詞を理解する程度の教養がいるって事。
実は辻井喬のエッセーを読んだのです。「深夜の読書」って言うのですが、
出てくる固有名詞を理解できない文章が実に多かったのです。
堤清二と辻井喬と同等の教養を持つにいたらなかった事は自明の事では有ります。          

が、しかしです、それでいいってか・・・・。
それでいいわけないっしょ、注をつけなきゃ読めないエッセーってエッセーか、
なわけない。

一方の田中康夫はその対局に居て、これも下世話な固有名詞ながら普通の人が
体験する事は少ないであろう事がこれでもかと、ワカンナイ。
Date: 2002/12/03/Tue/18:56:10 [92]


2002/11/13
磐越西線

火の鳥
磐越西線は五泉駅を過ぎたあたりから奥阿賀の風情である。
14歳の少年4人とわたし、何時もは高速道路をすっ飛ばしての山行き。
なぜか電車とバスを乗り継いでの道行きとなった。
新潟駅を11時04分に出発、新津駅からが磐越西線となる。
少年達は、買い込んだ駄菓子を手にボックス席、わたしはスーパードライの
ロング缶と一冊の本、少し離れて座った。
ところで新津駅の巨大さには少し驚いた。
荻川と新津の間に新しい駅が誕生していたが、構内の端っこと言う感じであった。
電車は阿賀野川に沿って進み、渓谷と紅葉を十分に楽しませて、だから津川駅までは、
あっという間であった。ここから更にバスに乗り換えて、福島県境を目指すのである。
何せ1日に3本しかないのである、バスが。

11月3日に雪合戦ができるほどの雪が降った
のである。
Date: 2002/11/13/Wed/15:16:46 [75]


2002/11/01
騒々しいみらい
ー火の鳥
10月は2週サボってしまいました。身辺いささか騒々しかったのです。
始まりは、佐渡のダイビングで呼吸するための道具を海底で見失うと言う
アクシデントでした。あれでパニックになっていたら今ごろ49日の法要って
とこでした。続くアクシデントは、J1昇格目前のアルビ負けないけど勝てない試合が
続いてフラストレーションが溜まりっぱなし。
極めつけは29日の引き分け試合、勝てば単独2位、だったのににセレッソと
連れションの引き分け、いつも温厚なアルビサポーターも、意地みせろの大合唱

ノー天気にもアルビだ、ダイビングだとすごしているうちに、
経営関係の人たち深刻です。追いつめられてバタバタと言う感じで、
倒産情報がメールを埋めています。ゴルフ場と不動産関係、銀行も完全に
見限ったようで、上場や第三セクターと言えども容赦してないようです。
次はどこでしょうか。
気を付けよう暗い夜道と銀行、なんてしゃれにもナンナイッテノ。

Date: 2002/11/01/Fri/19:30:51 [73]


2002/10/02

アルビのマーケティング成果
ー火の鳥
新潟スタジアム以前の観客数3千人、以後3万人。タダ券配りまくった成果ですが、
驚く事に有料入場者が2万人に上るとの事。平均入場料2千円とすると1試合の
あがりは締めて4千万。主催20試合で8億円、キャラクターグッズが
バカ売れ状態なので、合わせて10億円を超す。存続すら危ぶまれていたチーム、
企業なら倒産の瀬戸際からのV字回復と言ったところ。

手口はこうです、町内会単位で希望者を募る。何回か繰り返してリピーターの
数を確認し、次からその地域に招待券はこなくなる。基本は是、マ、商売の鉄則か。
モチロン、ホームで勝っている事とゲームそのものが面白く、スリリングだ
からなのですが、かく言う、火の鳥の私もまんまとハメられた一人なのだ。
それにしても一人旅はつらいなー。
Date: 2002/10/02/Wed/18:08:17 [71]


2002/09/17
B`zとアルビの客層

ビーズって解かるかな、新潟スタジアムでコンサートやって芝生をめちゃめちゃに
したヤツなんだ。アルビレックスフリークとしては許せないんで敵情視察、
B`zにハマッタ間抜け面、拝みに行ってきました。

一言で印象言うと、新興宗教の青年部の大会、のノリでした。
なにがって、盛り上げかたがサ、B`z登場前なんだけど盛り上がりかたの練習する
のって新興宗教ッしょ。

で客層。平均年齢35歳ってトコ、ペアと男が多い。ジョギングしながらすれ
違う訳だけど、30才前後にいい女がいて思わず、もっこり。
男なら、矢沢ッしょ、ヤッパ。ペアのヤツらはコンサートで盛り上がって、
インサート。に決まってるのに、男同士でドーするって言うの。

アルビの方。試合が終わるや否や、すばやく消える招待券でタダの人。
いつまでも帰ろうとしないのが、サポーター席、立ちっぱなしで立て乗り
しているお疲れの人。宴会場と思っているのか、クーラーボックスにやまもり
ビールにお造り、おせんにキャラメル・・・・・の人。
このカオスぶりって健全ッしょ。

NHKがゴールデンタイムに放送するは、あの朝日新聞までが、連載コラムを
掲載するにいたったアルビ現象、さて、いかが相成りますか。
Date: 2002/09/17/Tue/19:16:56 [70]

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586, 不気味
- 2002年11月20日(水)

株が連日底割れをしている。
日経平均8千円割れも目前になってきた。

さらに悪いのは銀行株の連日の下げである。
UFJとみずほ銀行が50円額面で100円を割ってしまった。
UFJが年内、みずほが来年そうそう国家管理になるという噂も、
現実味をおびてきた。

昨日一日早く週刊朝日が手に入り、木村毅の銀行トップ批判の
記事を読んだ。
日本経済の実情は一般のマスコミが言っている以上に悲惨だ。

団塊年代の世代交代期と情報化による時代の変化が重なっている。
これが今の日本の悲劇的のところだ。
先日もその世代の宿泊客の自殺未遂が自社ホテルであった。

しかし不良会社の清算はしなくてはならない。
イラク戦争のドサクサでやってしまうのが政府の狙いだろう。
次の朝鮮戦争?が控えているから、やはり先倒しで?整理は
しておいた方が良い。イヤやるべきだ!

装置産業の当事者として他人事ではない。
悲壮な話しだが暴風は覚悟はしなくてはならない。
今までが良い時代だったと割り切った方が良い。

実際のところ来年は想像するのも恐ろしい。
事業も社会情勢も。

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[233] イチロウ
- 2001年11月20日(火)

「今の天才と言われる新人類は,皆コンピューター付きマシーンを使っている」
とメケメケの美輪?が言っていた。
バッテングマシーンに,何か工夫をしているのではないかとは思っていた。

それが昨日のBSNHKのイチロウ特集で、
その秘密の一部を知る事が出来た。それは何か!
「テニスボールを投げ込むマシーン」であった。
それで230�舛離謄縫好棔璽襪鯏蠅温�み、スピードに対し目を作ることと、
反射の訓練をしていたのだ。これが彼の秘密のかなり本質の部分と直感した。

スピードに目を慣らすのだ。実際に球がきた時に、
緩く見えるまで訓練するのである。そこに赤と黒で数字が書いてあった。
それが見えるまで訓練するのだろう。

バッテングと守備の捕球に対して、
球の見極めができるよう訓練をしていた。
子供の時から、そのマシーンを使っていたのではなかろうか。

脳と身体のサイボーグ化をしていたのだ。脳作業もしっかりしていた。
もちろんそれだけでは、あれだけのプレーはできない!その上に
努力を人一倍重ねたのだろう。努力は誰もできる、ようはその方法を
如何見つけるかだ。

イチロウは自分の練習を人に見られるのを極端に嫌っていた。他にも
彼なりの科学的方法を積み重ねていたのだろう。
3年前に森監督の講演を聞いた時、「イチロウは王・長島とは格違いの
レベル」と言っていた。そのとうりになってきた。

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ある時間の断片
  ー1968年11月20日(水曜日)

11時過ぎ起床。
14時に市川さんがくる、休みのようだ。
彼は早稲田を卒業をして、この春より医薬品メーカーに勤めている。
MEという職種で、お医者さん病院まわりが仕事だという。
この8ヶ月でまるで人が変わってしまった。
お医者さんのオモリだそうだ。
勤めると彼のようになると思うと複雑な気持である。
すごく自分と性格が合うが、理工系で生真面目な人である。

その後、風呂に行き、Tvを見て食事をしたりしてすごす。
22時から夜半の2時まで卒論のまとめをする。

もう市川さんのように社会に出なくてはならないのだ。
最後の学生生活をもっと有意義に過ごさなくてはならない。
いい加減な生活だ。
あと4ヶ月でジャスコオカダヤに就職だ。
三重の四日市に行く事になるだろう。

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