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2006年09月10日(日)
H0901 事業百訓 480 準備!そこから魔法がはじまる。 準備とは創造する喜びだ!。 準備とは人生を苦労して前進する事、悩みながら生きていく事。 ...並はずれたIQを持っているが、 準備をするほど賢明ではない人よりも、 力強い議論の準備をととのえている普通の人になりたい。 準備とはあくまで“心の底”の栄養だ!。 (ゲ−リ−・スペンス=議論に負けない法) 481 楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ!。 (ロ−マの詩人=プルデンチウス) 482 集中する為には自分なりの結論が出るまで誰にも相談しない。 自分の中で決めてから相談するのはいいのですが、 迷っている時に相談すると、集中力が半減する。 徹底して1人で考える、思いついたら考えを書きためて、 それをファイルしておき、それをよみかえして 書き足して事業のデザインをしていく。 ...その間ある結論が出るまで人には一切相談しない。 (セコム・飯田会長) 483 経営者の条件(成果を上げる事) �ー�分自身を管理する。 �△修琉戮法伴�分の仕事”は何か?問うてみる。 �L簑蠕瀋蠅�本当に正しいか?。 �そ斗廚併餮擦蓮隼�間”である。 �ネダ莉膂未鬚弔韻董氾慘蓮匹鮟乎罎垢襦� ��仕事のアクセント“強み”の上におく。 ��問題より“機会”を追求する。 ��地平線のかなたを常にみる。(長期視点) (P・F ドラッガ−)
H0903 事業百訓
484 道中は宿屋よりも、いつもよい 485 それぞれが一番苦しいのです。 としたら自分に与えられた神からの苦しみの形が 一番相応(ふさわ)しいのだと受諾するほかないでしょうね。 私はきっと反抗するでしょうが。(曽我綾子) 486 完全という言葉が不完全なのだ。(ホロビッツ) 487 私たちに課せられているのは、肉体を持って生きている事に感謝し、 その範囲で毎日の生活を楽しみながら創造的に生きていく事です。 あの世からの魂のメッセージを見ること � 閥�欲を克服しなさい。” �◆伐歛蠅魏鬚�なさい”という最低条件に加えて ��“明るく前向きに生きなさい!。” �ぁ半个�事は心の栄養です” �ァ箸△覆燭蕕靴�生きなさい”という メッセージが多く含まれています。 このような強欲を克服することと、 生活を楽しむ事を両立させる事こそ 魂が教えてくれる“人生の目的の一つ”なのです。 (生きがいの創造−飯田央彦) 488 覚悟にまさる決断なし! 489 人生をあまり深刻に考えるなかれ、 そこから生きて脱け出ることが出来ないのだから。 (E・ハーバード) 490 失敗はセイコウがもと?(一言絶句−より)
H0903 只今・戦闘中!
母が痴呆症になり丸三年が過ぎた。 安っぽいヒューマニズムや一時的な情愛など “今の現実・現状の前に吹き飛ばされる!。 家庭内は子どもを含めて毎日、毎晩が戦闘である。
週に一度は一晩に十数回起こされる。 朝起きると寝る前より疲労している状態である。 親と子といえども正常人と異常人の戦いである。 異常と正常が蛍光灯のように混合するから更に問題が深く複雑になる。
母自身も正常なときに“今の私の齢になりこの経験をしてみなくては、 この辛さをわかってもらえない!”というのも身にしみるから歯がゆい。 遠くにいる姉達が時々きて、忠告、助言をしてくれる、 それが一面しかとらえてもらえず心臓を貫く位、一言一言が痛い! でも口先介入だけの甘さが“中途半端な傍観者”として “怒りの嵐の対象になる。
でもこの行き違いは痴呆看護の大部分に生ずるトラブルで、 ごく普遍的な事という! 年齢的風景の為か知人、取引先の人にも七人も同体験者がいる。 ”母を十年介護・見送った。近親者のトラブルは当然あった。 ……そして娘が介護士になった。 この苦痛は同居介護した人間でなくては絶対わからない。
“実父を十年介護。自分の中にこんな優しさがあるとは… 自分がうれしかった。” “自分の近くに住む実姉が姑を完璧に看ておくった! 今自分の家庭に来て、看護について口を出す! おそらく貴方の場合よりつらいのでは?” 等等、まだまだあるが書けない位すざましい!
こんな事表現していいのか憚るが、心の中である姉に対して ナイフを突き刺すイメージを持ったり、妻に対しても “絶対に亡くなったら離婚してやる?”等・思ってしまう。 それだけ追いつめられてしまうものだ。 今まで帰宅拒否症候群というのが私には理解できなかった。 本当はうれしいはずの金曜日の夜、帰宅するのが本当につらい! 月曜日は朝、会社に飛び出ていけるのが救いである。
妻にはそれがないだけ辛いはずだ! でも、すばらしい事も当然ある!家の中が暖かい! 赤ちゃん、幼児がいる家のそれである。 本人は天使そのものである。 家より火が吹き出しているようだ。 それと子供達が何も言わずに私達以上に母の介護をしてくれる! 子供に教えられるとはこの事である。
(ボツにしていた原稿だが母が亡くなり半年、 供養も含めてあえてだしてみた)
H0903 図書館の効用
十年位前に自宅の近くに公立の図書館ができた。 はじめは月に一、二度位、通っていたが、 今では週に一、二度はいく。 図書館で借りる良さは買うほどでもないと思う本を読める事にある。 そう思った本ほど、むしろ読書のジャンルに巾ができる為に良い本にあたる。 いやそれよりも絶対量を手に取れる為であろう。 「“図書館の天使”がそこにおり自分の捜し求めている本に導いてくれる」 という欧米の諺がある。 その信じられる現象に何度もあった。
今まで全く興味のない分野で、何気なく手にとり、 その世界にひきこまれた事も図書館ならではである。
H0903 “カルト教団”その一考察
カリスマを持った強烈な教祖が、 地上天国をうたいあげ“聖なる集団”?をつくりあげる。 サドがマゾ集団を束ねるプロセスを踏む。 一人の主体者が多数の従属者タイプを集め価値基準を植込み、 自己判断力を断つ。
その為には“霊力”と“性”をもつ教祖様を分母に、 分子には地上天国とかいう共同体という甘い価値基準を仲間社会を与える。 そして、それが地上天国と言うイメージの商品そのものである。 今、問題になっているオウム教は、そのカルトの典型である。
ブラジルで聞いた貧民に対するカルト教団の “あの世の住宅販売” =この世で住宅は持てないなら、せめて天国の住宅を買っておくべし! といって貧民より金を取り上げる。
その日本版があのオウムであり、今の罪式僧侶のタカリである。 フロイトが“性”的部分を潜在意識でとりあげ、 ユングが“聖”的部分でとりあげているが、 カルト教団は、その潜在意識の一番深い奥を見抜いて商品化をする為、 その部分で無知な理科系大学生など、すぐひっかかってしまう! 集団の肥大化による“霊と聖”の露出化で自滅していくのが、 漫画的、幼稚園児的で面白い。
H0905 事業百訓
491 人間はすでに「なにものか」(本質)として存在しているのではなく、 常に「なにものかになろう」として自己を世界に投げ出す自由な存在 (実存)である。−サルトル−
492 本当の敵というものから際限ない勇気がおまえの中に流れこむ。 −カフカ− 493 昨日の自分は許しても、今日の自分は許すな!。
494 私の落語は噺を聴いてもらうのではのうて、自分の楽しいな、 うれしいなという気持ちを伝えるものだと思います。 −桂 枝雀− 495 心は天と自分をつなぐパイプだ。 この結び目がしっかりしている限り、宇宙からの無限のエネルギ−が 注ぎこまれ弱気になることはない。
496 我々は単数の生を生きずに、複数の借りものの生を生きている。 それに気づいて“しまった”と思った時にはもう遅い。−高橋 義孝−
497 “自分がいいと思うように真面目にやって、お客がアクビをして 帰ったら仕方がない。 家へ帰ってカミサンの前で一席やってごらん。 カミサンも聞いてくれなければロウソクの前でやってごらん” と教えたそうだ。 信じた通りやり、お客の喝采を気にするなという円朝の信念のあらわれだ。
H0905 魂が万代橋の上を彷った話
第2新館の役所の検査の直前の話である。 担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには、 “今回の検査はパスしない!...” 一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、 地獄の底へつきおとされた思いであった。 “それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、 そして私は?、会社は?...”パニック状態である。
それも夕方の飲み会の直前である。 まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、 そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。 その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。 恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と、 酔いを含めて妙な夢になってしまった。
魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで、 目線が5m位の高さでプカプカ浮遊しているのである。 “ああ自分は浮いている。それも魂が”という感覚であった。 そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か! でもあの話は本当である!それも夢であってほしい!” と念じた事を今でもはっきり覚えている。 その2〜3日後に設計士の思いこみでしかない事がはっきりしたが、 本当に長い氷つくような時間だった。
H0905 私を生かして下さい! <H8.7.24の日記より>
今朝、病院に日課どおり母の様子を見にいくと、 母が私の事を担当医と勘違いをしたらしく “先生、私を生かして下さい!”と両手で拝まれた。 本能的な生への執着の言葉である。
何とも言えない気持ちになってしまうと同時に、 その言葉の重みに圧倒されてしまった。 死の間際にあっても、“生”への執着のことば、 そして死の不安を自覚している事実である。 “これでよい、いやこれだ!” 生きる事への執着こそ人生で一番大事の事と思い知らされた。 それにしても、あの担当の若い医師には呆れる思いだ。 人間の生き死にを扱っているのに何もわかってない! 目の前の病気をなおそうとして母体そのもののことを考えていない!。 薬は反面、毒である事を!。
これが今の医療の大問題の一面なのだろう。 彼等は技術者であって医師・医者ではない。 それが若いから許されていいのだろうか?。 自分は判ったつもりでいるから始末が悪い!。 これから何年もの経験を重ねるうち今の誤りを気づくのだろうか?
H0905 瀬戸物の叩き売り!
今では大手チェ−ンストアになったJ社に勤めて半年後、 四日市より神戸の垂水に転勤になった。 当時の流通業では珍しい学卒を試し、揶渝の為に“瀬戸物の叩き売り”を させられた。店頭に瀬戸物の問屋が半端の不良在庫を持ち込む。 それを店側のすきな売価で売り、総売上の八割が仕入原価、 二割が粗利益となるのだ。
いくら安く売っても痛くも辛くもないが総売上が上がらない。 高くすれば売れない、相手との呼吸でぎりぎり高く売るかがポイントだ。 お客にとっては、その逆である。その掛け合いが面白い。 それもギャラリ−が一緒になって楽しむのだ。 店の開店より閉店までいたギャラリ−もいた。 それ位面白い。商売の原点を身体で覚えさせてもらった。 でもあのフ−テンの寅さんそのものである事も間違いない。
反物をはかる竹尺に新聞紙を紐でまきあげ、腕まくり、 頭には手拭いをまきあげ、まさにテキ屋スタイルである。 五日目の最終日には本物のテキ屋の奥さんふうの人に 「何処より流れてきたの?」と聞かれる位になっていた。 若き日の1ペ−ジである。
H0907 養老の瀧1122号店、 店長の日々
両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであった。 しかしいざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い知らされた。 千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に “貸ビルの建築”と“養老の瀧オ−プン” と“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、 ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、 最悪の出発となってしまたった。 そしてオ−プン...!完全にパニック状態! オ−プン人気も含めお客の列! しかし、こちらは全くの素人である。
ビル建築等、他に諸々が重なり、地獄のような日になってしまった。 辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、今考えても、 よく持ちこたえたと思う。 当初の、2〜3ヶ月は朝8時より夜半の1時までの激務であった。 指導員と私とアシスタントの3人の激しい日々であった。
“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。 それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、 “24時間(休んでいても仕事のうちという)仕事”という立場になった。
サラリ−マンが事業をおこして大部分失敗するのは、 前者より脱皮できない為である。 大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが..。 その厳しさが全く違うのだ。 はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。 あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる! という前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、 いつの間にか辛さが辛さでなくなってくる。 適応能力が自然についてくるのだ。 ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。 それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。 そこで自分1人で店を衛らなくてはならない。
酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、 ほとんど知らなかったためだろう。 命が幾つあっても足らない位の事件が月に一度はおきた。 恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。 そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。
また店の従業員に前もって、うちあわせをしておき、 お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、 土壇場に立つと知恵がついてくる。
ただフランチャイズのシステムは今でも素晴らしいものであったと思う。 標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。 創業時の勉強という点で、このシステムは自らに非常に有効に働いたと、 振り返って思えるようになった。 創業は辛い! ー1973.11.07〜
H0909 ギアナ旅行記
この数年、秘境の旅に凝っている! そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。 南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカスより、 目指すギニア高地の基地カナイマ。 そこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、 この秘境ギニア高地が広がっていた。
インディオの操縦で四日間にわたって エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアーであった。 コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った 絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。
そこより落ちる滝は多いときで二〇〇〜三〇〇にもなり、 その中で一番有名なのが、世界最長の落差のエンゼルフォールである。 その長さは千m、山道を一時間以上かけ登り、麓より見上げた滝の雄大さは、 神秘性は言い知れぬ迫力があった。
ここでは生物の生存がほとんど不可能であるという。 ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、 魂を電流がつき抜けていったような感動と自然と腰骨がピンと立ち、 ただばくぜんとしていた茫然としていた。 そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。 これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた! という言葉がフッと脳をよぎった。 原始人が自然に対して“神”を直感するとは、 このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。
この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、 そして滝だけであった。 ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。 でもそれだけがすばらしいのだ。 そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、 新しい世界をかい間見た十日間であった。 ーH9.8/23〜9/1
H0911 事業百訓
498 リ−ダ−シップはマネジメントとは違う。 “マネジメント”とは物事を正しく行うことであり、 リ−ダ−シップは正しいことをする事である。 効果的なマネジメントの定義は“重要事項を優先する”ことである。 リ−ダ−シップは“重要事項は何であるかを決める事”である。 (七つの習慣 スティ−ブン・コヴィ−)
499・「極限までは誰でもいける。問題は極限よりどれだけいけるかだよ」 (アイルト ン・セナ) ・「視野」を「情報」」という言葉におきかえてもよい。 情報はインフォメ−ションと思えるが本当の意味はインテリジェンスだ。 「命のつかい方」−落合信彦 500 人の意識をわかったと同時にそれは自分の意識となる。 従って他人の意識は理解できない。 「他我認識不可知論」 501 私たちは世界をあるがままに見ているのではなく、 私たちのあるがままに見ている。 502 いい死に方とは、どんな死に方か?“捨てる事”だ。 「私たちは40歳までにいろいろの事を身につけていきます。 これは必要な事です。 しかし40歳を超えたら不必要なものを捨てていく事が必要です。 そして死んでいく時に全部捨てていく」 この世に未練があるという事は残していくものがあるからだ。 「潔く死ぬ為に」−デ−ケン
H0911 パソコン入門(�供�
ここにきて私の日常が変わってきた。 毎日あの重いパソコンを自宅に持って帰っている。 そして居間の私の居場所の前に電源を入れたまま置いてあるのだ。
酒を飲みながら、ORTVを観ながらパソコンを弄っている。 まさにブレ−ン・パ−トナ−になってしまった。 特に一人リラックスしている時、 アイディア・プロセッサ−のインスピレ−ションというソフトが活躍する。
どんどん浮かんできた“アイディアやキ−ワ−ド”をアイコンにして ポストイットのように貼りつけていく。 これを“テ−マ・キ−ワ−ド”の周辺にどんどん付けたしていくのだ。 この良さは居間が瞬時、知的作業場に変わってしまう事だ。
これは私にとってカルチャ−ショックそのものだ。 “遊び”でもあり“仕事”でもあり自遊空間そのものだ。 参考の為、その一例を示してみた。 (この良さは毎日、修正と追加ができる事だ。) 興味のある方は、いつでもフロ−ッピ−を提供しますので “コピ−”?して下さい。
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