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2004年10月23日(土)
事務所の移転で、部屋の整理をしていて、一冊の見た事のある小さな鍵付の ノートが出てきた。開いてみると日記帳である。 「22歳の日記」の続編である。 その続編があるとは、思ってもいなかった。 おそらく、「22歳の日記」とセットで、何処かにしまっていたのだろう。
もっとも、入社したてで激務のせいか、8ヶ月で17日分しか書いてなかった。 −3月5日から11月初旬の間であるー かなり刺激的な内容もあって、肉体的にも精神的にも極限状態が 手に取るように解かる。読んでいて戸惑ってしまっている。 三重県の四日市から、神戸に転勤するまでの心の軌跡や、 具体的な日々の有様が、そのまま書いてあった。
小さな会社が三社合併をした年で、その交流の1弾として方々に 転勤させられていた。今から考えてみても、異常な日常の連続であった。 まあ良い体験をしたのだろうが、当時の流通は今でいう3K そのものであった。
流通革命の旗手と上手く煽てられて、合併の最前線の駒に使われていた。 一番立場の強い会社に入社したため、惨めな目には会わなかったが、 それでも、一日一日が変化の激しい体験の連続であった。 まあ、それは40歳近くまで続いたが。
研修が終わり、現場に配属された初日の事や、卒業式に出席する為に 一度東京に帰ってきた2日間のこと。(当時は卒業前の3月1日に仮入社 するところがあった) 悩んで、学生時代に通った禅寺に行ったことや、神戸の日々のことなど、 その時々の気持ちが書いてあった。 スーパーの店頭での「瀬戸物の叩き売り」は、映画に出てくる 「男はつらいよ」の寅さんの口上とほぼ同じである。 それより、当時の関西のスーパーの肉屋や魚屋の職人には・・・? それだけでない、スーパーの店員なんぞは下の下という風潮があった。 何が流通革命の旗手かと、ただただ驚きであった。
汚い寮に住んでいたとはいえ、学生時代のアカデミーな世界とは一変、 地獄の底に突き落とされたというのが、その時の偽ざる実感であった。 もし、この文章を読み返さなかったら無意識で、当時の記憶の消去を 頑なにしていただろう。それだけあまり思い出したくない日々であった。 まあ誰もが入社したての頃はそうだろうが。
書き残すということは非常に長い目でみても有益なことである。 「猿人類と人間の差は魂を持っているかどうかの差である。 魂とは、言葉を持つことによって得ることが出来る。」という猿人類学者の言葉を、 このような日記を読み返すと実感する。 言葉で書き残してなければ、当時の心の叫びは残ってない。
おりおり、配属の日の日記とか、卒業式の光景、そして神戸の日々とか、 禅寺の一日を書き写してみるつもりだ。 ただし五日間のみにする。あまり当時を直視したくない。 心情を書き残すということは魂を書き残すことと実感する。
今このような日記を書けといっても書くことは出来ない。
ーーーー S5709事業百訓 ー1982年7月9日記(社内報)より 何かの偶然で私自身全く貴重な経験をしてみた。 修業という事で、三重県のA社に勤め、考えるところがあり再び学校へ入り、 その後石川県のB社に再就職をし、その後独立したのですが、私がB社を去った3年後、 A社がB社を吸収合併をしてしまった。 別に系列下にあったわけでもなく全くの偶然の一致であった。 私自身修業という事で入ったのですが、戦略・戦術という面での社長の決定的違いを 一兵卒の立場よりケース・スタディという面で、非常に勉強させてもらった。 資金の使い方、人間の使い方、立地戦略、モラル・教養、全くの本質的な違いであった。 その決定的な違いをみると、 (1) 非生産的過大固定投資の失敗 (女子寮マンションの建設及び、時期早尚の配送センターの建設) (2) 点作戦の失敗(地方都市にありながら、面戦略より点戦略をとり、 結果として、他社よりねらいうちにあい全店舗がいきづまりをみせた。 (3) 人材の育成・成長を持っていなかった。 (教育・マニュアルの不備よりくる)=教育重視の戦略の甘さ。 中途採用者グループ間の派閥争いで“子飼社員”が育つ前に失望退社のパターン。 (4) 長期・中期経営計画のつめの甘さ等である(以下次号)
S5711事業百訓 −1982年11月記 A社は当時地方の一スーパーでありながら、S44頃内部留保数十億もあり (現在の百五十〜二百億円)非常に内容がよく、市内でカジュアル関係の衣料の 70〜80%近くもおさえていた。 しかし、将来を考え三社対等合併にふみきり、業界のドギモを抜いた。 社長の決断であり、それが現在の業界三位の地位をしめたその出発点である。 企業もその環境にあわや自己脱皮をはかりつづけなければ、その生命もすぐつきてしまう。 その事例としてB社を経験した。 “企業は大きいから強いのではなく、強いから、大きくなる” “小さいから弱いのではなく、弱いから小さいのだ” “弱いから強いのに食べられる!” という事実を二社の企業体験として骨のずいまで実感した。 内容のよい上り調子の会社は、それだけで社員の気持が一つになり、 かつ非常に働きがいがあるものであり、内容が悪化しお互いの足のひっぱりあいが 常態の会社は、それだけで人間がくさりはじめていくものである。 それは決して、社員の責任でなくすべて社長の責任である。 時流にあわせながら自己脱皮をはかりつつ内部体制をかため、 強い体質を作っていく事がすべての優先されねばならない。
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2003年10月23日(木) 932, ある旅行代理店の廃業
ツアー大好き人間として、旅行代理店遍歴を多くしてきた。 初めは日本旅行を母が使っていた因縁と、他の代理店の情報不足の為にブランドに 頼りざるをえなかった。 ところが、民間の安い代理店「新日本トラベル」をつかった姉が 「値段の割りに良かった」という話を聞いて、スペインのツアーに参加してみた。 その添乗員が非常に良かったことも含めて、今までの常識を根底から崩された。 「日本旅行」は、そのブランドを使っているが、旧国鉄感覚の 「お客をお客と思ってない」体質という事に逆に気づいた。 「JTB」と「日本旅行」を使うのはとんでもない間違いである! 親方日の丸が体質から抜けてないのだ。 それは実際、身銭を切る客が一番早く気がつく。
ところで昨夜、、家に帰ってきたら「世界旅行社」から廃業のお知らせの 葉書が来ていた。 文面をそのまま書き写してみる。 −−−−− 廃業のお知らせ 前略 当社の業務につきましては常々格別のご愛顧をうけたまわり厚くお礼申し上げます。 当社は創業以来、動物、自然、遺跡をテーマにユニークな旅行企画を提供すべく 鋭意努力をしてまいりました。 近年テロ等海外情勢の悪化により旅行業務が低迷する中、なんかと切り抜けて 参りましたのも皆様のお陰と深く感謝しております。 しかしながら誠に勝手ではございますが、この平成15年10月20日をもちまして 旅行業務の取り扱いを終了させて頂くことになりました。 長い間、世界ツーリストをご愛顧頂きまして本当にありがとうございました。 皆様の益々のご発展をお祈りいたしまして失礼させて頂きます。 草々 世界ツーリスト株式会社 代表取締役 浅見真弘 銀座ブラジルビル3f ・・・・・ この代理店は 「ベネゼイラのテーブルマウンテンとエンゼルフォール」のツアー」と、 「タンザニア」と、 「ケニアのヌーの河渡り」 に使った。 また会社でも2回使った。 パンフレットが送ってきた時に、家内がよく潰れないでやっていると心配を していた会社だ。
最近は、阪急旅行社や近畿ツーリストなど大手が手をつけてなかった 秘境系の分野に本格的に乗り出してきた。 その上に、アフリカはイスラム教が強い文化圏、どうしても9・11のテロ以来 一般客はさけるようになってきた。 どちらにしても時間の問題であったのだろう。 専門店としては「ワールド旅行社」や「ユーラシア旅行社」とか、 「旅のデザイン旅行社」などがあるが、どうしても値段が高い。
今は「秘境地区への直行便」が流行になってきている。 乗り換えなしで、値段が2~3割安い秘境系のツアーだ。 お客は殺到するのも当然だ。 チェーン理論でいう、企画発注書の特別商品で、価値の創造商品だ。 私も今年に入り、アラスカとアイスランドと直行便で立て続けに参加をした。 これは大手の代理店しか企画が出来ない。 その価値を十分感じ取った。 これでは弱小の代理店は消滅するのが当然である。
何かもの悲しい感じがする。
・・・・・・ ・・・・・・ 558, 仕事と性格形成 - 2002年10月23日(水)
知らないうちに人間の考え方は、自分が実際に携わっている 仕事に影響されているのを最近強く感じる。
私のような大商圏を相手にする仕事の場合、どうしても小商圏を 相手に仕事をする人との考え方が正反対になる。 気が合う相手は大商圏の仕事や、大手相手の事業をしている人だ。
小商圏といえば、お互いの目を気にして「世間様」という考え方を 第一にしなくてはならない。 お付き合いとかの人間関係の中から情報やビジネスチャンスを捉える 事が重要となる。
大商圏を相手にしていると、逆にそれが邪魔になることが多い。 近目と遠目のちがいである。遠視になってしまい近くのことが見えなく なる、逆に小商圏は近視的視点になってしまう。
この違いの乖離が最近特に大きくなってきている。 最近それを指摘されるが、といって今更変えようとも思わない、 また指摘する人は小商圏相手の仕事をしている人だ。 もっともそのことすら理解できない人だ。 数年前から間隔をおいているが、そうすると大部分の人になって しまう。最小限の人とのいきちがいは仕方がないと割り切っている。
銀行も政府系や都銀との付き合いに傾く。 人間関係もどうしても地元でない人が多くなる。 地元の人と一切付き合わないで済むから、地元では異様に思われて いるだろう。 大商圏的生き方として当然の事と受け止めている。
特に父親はこの傾向が強かった、モデルがいるから更にそれで良いと 思ってしまう。 気が付いたら一人というと頑固爺の末路だろうが、その辺の変身は早い。
ある中国出身の作家がいっていた。 「地元で商売をするな、因縁がらみで何も見えなくなる。 他所なら全く関係なく、ビジネスとして割り切れるから。」 全くそのとおりである、ブラックジョーク以下の現象がビジネスで 日常になってしまう。
地方の景気が最近悪いのは、これに近い原因である事はいうまでもない。 情報化でグローバルの時代になってきた為だ。 これからの時代ますます大商圏的生き方の流れになる。 手前勝手か??
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[195] 宗教戦争ー6− 2001/10/23 -イスラム原理主義とはー ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違い
原理過激派はイスラム教を母体としたカルト教と思えば簡単である。 ややこしいのがイスラムが母体という事である。
モハメッドは一人考えた!「何故アラブ人に偉大なる神がないのか、 預言者がいないからだ。そうだそれを考えている自分が預言者になればいい」 と考えたのだろう。
まずは「コーラン」をユダヤ教の「タルムード」の代わりと考えた。 そんなものだ、宗教とは。
宗教学者ひろさちあ氏が月刊誌に、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の違いを 解りやすく書いていた。
ユダヤ教は・・・・「旧約聖書」プラス「タルムード」 キリスト教は・・・「旧約聖書」プラス「新約聖書」 イスラム教は・・・・旧約聖書プラス「コーラン」 まずベースが旧約聖書である。 三宗教のうち、 ・父親的な立場がユダヤ教、その父親から長男のキリスト教が誕生、次男のイスラム教が 誕生した。 ・ユダヤ教では、ーアブラハムが神ヤーヴェと契約を結んだ。 その契約は、人間のほうからは、あなた以外の神と絶対に拝みませんと誓い、その契約に もとずいて神は人間にあれこれと命令する。その命令が律法だ。したがってユダヤ教は 、本質的にー契約宗教です。
・キリスト教のイエスは「神は我々を愛しているのだ。だから神の奴隷になる必要がない。 我々は自由人だ」と大胆な主張しました。律法に縛られる必要がないと。 本質的にー自由宗教です。
・マホメットはーキリスト教は安息日を守りません。 そういう自由に対しそれはおかしい律法に忠実であるべしとアラブ人向けにつくった。 自由を謳歌して神と律法から離れた長男のキリスト教に対し、もう一度 原理に戻ろうと主張した。 本質的にー原理主義です。
イスラム教にー神の(アラーの)ために戦う「ジハード」と言う概念がある。 もともとモハメッドが異教徒と闘うことー聖戦ーによって確立されたもの。 後世の信徒もそれにならってつねに異教徒と闘い続け、その教えを世界に広げることを 求められた。
その聖典のハデイースは聖戦について、 ・たとえ一日でもアラーの道の戦い身を投ずることは、 この世とそこにあるものよりより良い ・天国に入ることになる人は、たとえこの地上に何をもっていようと、 現世に帰ることを望まないが、だだ殉教者だけは別で、彼は神から与えられる恩寵を 知っているため、現世に戻り,更に10回も殺される事を切に願うのだ
熱心なイスラム教徒は、そのまま本気で信じているのだ。 要するに殉教;は生より望ましいと思っているのだ。 それが過激派になったのだ。
実際はジハードは日常生活の中で「コーラン」をの原理を全世界に定着することである。 過激派はそれを暴力でと解釈した。
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