堀井On-Line



1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記

2004年06月23日(水)

人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに
新たに新刊本が追加されてあった。
さっそく借りてきて読んだが、実行しやすい手順が書いてあった。
若い人が読みやすい内容だ。
人生ではそろそろ残された人生劇場の幕間もいくつかしか残っていない現在,
物語にどう落ちを入れていくかという面を考えていたので非常に参考になった?
以前、ミッション・ステートメントで粗筋は書いてはあるが。

誰も人生において自分の人生の主人公であるが、
「物語を作家になってつくって、その主人公を自ら演じる」ことを勧める
自己啓発的な本であり、岡本太郎のように「生活はアートだ!」
と唱える人生設計本である。

あまり考えずに日々を暮らして、その結果に対してストーリーを
自分の都合の良いように修正するのが一般的だろう。

 具体的手順として
1、まずは作家の誕生―あなたの内なる作家を呼び覚ます。
2、そして作家としての心構えをこと細かく書いておく。
 ー駆け出し作家が決して忘れてはならないことや、
  空想世界の番人であることなどをー
3、作家はそれまでの過去と訣別する―
  それにとらわれと平凡な物語になってしまう。
4、暗示の影響力を意識をして構想を立てる。

第一の診断―主人公の現状を把握する
第二の診断―お望みの主人公をイメージする
第三の診断―主人公の十二大特性をチェックする
第四の診断―不良プログラムを削除する

物語の主人公になるヒントは3つある。
・1つ目は、
「自分のライフスタイル、その判断は良し悪しではなく、自分が満足すること」
 それが、スターティングポイントであると。
・2つ目は、
「家族や周りの言うがままの人生、受動的なライフスタイルでは面白くないこと」
・3つ目は、
「人生はひとつの物語です。自分の物語を作って、その中で主人公を作って、
 自分の日々の満足度をパーセンテージを出すこと」

人生は自作自演の人生劇場であり、特に大事なのは自分の中の作家としての能力である。
そこで忘れてならないものは、人生に何が必要かという冷徹な目。
人生が自分に何を求めているかに気がつくことだ。
この本の著者は、そこまで到達していないが人生設計を構想するには
解りやすい内容である。

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「物語の主人公になる方法 」
著者/訳者名 : パトリス・ジュリアン/著    
        宰務智子/訳
         出版社名 : にじゅうに
         長岡中央図書館 2004年06・21日
         
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 2003年06月23日(月)
810, 「ありがとう」の言葉−5

 最近は殆んど見られなくなったが、石油スタンドが完全自由化になる以前は、
まだ石油の価格が暗黙のうちに規制されていた。
その際の、ガソリンスタンドの差別化として、お客の車に対して深深と頭を下げるのが
流行っていた時期があった。
 
 30年前に千葉市の千城台で「養老の滝」を始めたとき教えられたのが、
「お客の後姿に頭を下げろ」であった。帰ったお客ではなく、店内のお客に対して見せる為だ。
ガソリンスタンドも同じことだ。
「頭を下げなくともいいから値を下げろ!」といつも思っていたが。

 長年メイン銀行の店長や次長が転勤する時、栄転祝いを贈っていた。
もう10年前のことで問題がないから書くが、ある支店長が転出の挨拶に来たときに、
不思議な顔をして「何も見返りがないのに何で祝い品をくれるのか?」と聞いた。
その時に千城台で教わった話をした。
「こうしていると、直接関係のない、栄転祝いなど関係ない人もくる。
この地を去る時に侘しい気持ちがあるが、ここにくれば気持ちを含めて見送ってもらえる。
その意味で直接の見返りなど全く期待してない」と。
一本やられてしまったという感じであった。
彼が去ってから解ったことだが、金利変更時で当然上がるべき金利が上がってなかった。
彼の指示で、200万は金利が低かった。


「ありがとう」のエネルギーはブラックホール内の特異点から出てくる光という。
これ似ている言葉が「正中心一点無」がある。
この「正中心一点」とは特異点といってよい。
そして「無」がエネルギーである。
無は色即是空・空即是色の空である。

ー先日、サロンのコーナーに載せた内容をコピーしておきますー
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 ・「あ」というのが「絶対[ぜったい]」という「光源[こうげん]・光[ひか り]・
 命[いのち]の本源[ほんげん]」というのが
 「あ」、全[すべ]ての始[はじ]まり。
・「り」が、らせん状[じょう]」に全[すべ]てが生[う]み出[だ]されて組 [く]み
合[あ]わさっていくという意味[いみ]で、ら行音[ぎょうおん]の「り」を使[つか]っていて、
・「が」が、「か」をダブらせて「輝[かがや]きに輝[かがや]く」という意味[いみ]で、
「無限[むげん]に無限[むげん]に輝[かがや]いている」というのがが」。
・「とう」いうのが「十字[じゅうじ]」にみて、縦横[じゅうおう]の組[く]み合[あ]わせ、
と見[み]てもいいし、また「ありがたし」のた行音[ぎょうおん]とさ行音[ぎょうおん]
というふうに分[わ]けた時[とき]は、た行音[ぎょうおん]が縦[たて]で、さ行音[ぎょうおん]が
横[よこ]。
相対[そうたい]に別[わか]れた両極[りょうきょく]を縦横[じゅうおう]に組[く]み合[あ]わせて
一[ひと]つのものを創[つく]りあげる。

 だから絶対[ぜったい]の無限[むげん]の無限[むげん]の更[さら]に無限[むげん]の
大光明[だいこうみょう]がね 出発点[しゅっぱつてん]にあって、そこから複雑無限
[ふくざつむげん]の創造[そうぞう]活動[かつどう]が行[おこな]われて、無限[むげん]に
輝[かがや]いた最高表現[さいこうひょうげん]が生[う]み出[だ]されて、
それが完璧[かんぺき]に組[く]み合[あ]わさって本当[ほんとう]の全大宇宙[ぜんだいうちゅう]
の姿[すがた]をとってる。これが「ありがとう」という意味[いみ]ですね。

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2002年06月23日(日)
446,喧嘩のコツ

・まずは先手必勝、なんでもそうだが
 − 王手・飛車より、先手が怖い
・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う
 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち
・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける
 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む
・短期決戦ーこれも鉄則
・大義をつくっておく
・時には捨て身でも
・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする
  ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式
  こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。
  その前に殆んど自滅していくが。

喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。

事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。
事業は弱い相手を探して叩けばいいが。

子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、
仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。
その場合けっこう面白がってやる。
生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。

エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。
長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。
おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。

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2001年06月23日(土)
[61] 小泉総理メルマガの紹介

[61] 小泉総理メルマガの紹介
らいおんはーと 〜 小泉総理のメッセージ]
● 感動のスポーツ

[大臣のほんねとーく] 

● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣)

 藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中
で、衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、
上司の助教授に呼ばれた。

 「宮川村は三重県一の短命村、その調査に一年ばかり行ってはどうか。」
行ってはどうか、は「行ってきたまえ」の命令に等しい。

 平均寿命35歳の短命村へ、結婚間もない私でしたが、妻を残したまま、
赴任した。

 調査とは名ばかり、宮川村の一番奥に旧大杉谷地区があり、約千名の人口
に一カ所の診療所があった。その診療を行いながら、短命の調査研究をやれ
というのだ。

 赴任したのは五月の中頃だったと記憶している。診療所は村立で看護婦さ
んが一人、事務員さんが二人、私の食事や洗濯をしてくれる人が一人、四人
で私を迎えてくれた。診療所の二階が私の住処で、お茶を一杯入れてもらっ
たところで、患者さんの第一号が来たという。

 泣き叫ぶ子供の声に驚いて診察室に入ると、小学校六年生ぐらいの男の子
が床を転がるようにして「痛い、いたい」を連発している。聞けば、耳にコ
ガネムシがはいったという。

 右耳を覗くと、大きなコガネムシがお尻を外にしながら、外耳道いっぱい
に入っている。「どうしましょう」看護婦は私の腕を試すように見ている。
ピンセットでコガネムシのお尻を摘もうとすると、ツルッとすべって、ムシ
はさらに前へ進もうとする。前に進むと、少年は悲鳴をあげて転がった。

 小児科でも耳鼻科でも、コガネムシが外耳道にはいった治療など、習った
ことはなかった。四〇キロ四方、医者なるものは私一人しかいない。「どう
すべきか」患者や家族より、自分の方が心細くなってきた。

 「水を入れたら死なないか」私の言葉に従い、看護婦は水を入れたが、水
がコガネムシの頭の方へ入っていく隙間はなかった。

 一呼吸して、看護婦は手際よく小さい注射器を取り出し、「麻酔液を入れ
ましょう」そういってコガネムシのお尻に注射針を刺した。すぐにムシは動
かなくなり、痛みのなくなった少年は起きあがり、看護婦は巧みにコガネム
シを引き出した。

 以後一年半、私の滞在期間中「婦長さん」と呼び、常に頭が上がらなかっ
た。このときだけでなく、何度も「婦長さん」に助けられて、急場を凌いだ
ことがあった。

 私にとって、医学部のどの教授から教えられたことよりも、この「婦長さ
ん」から教えられたことの方が多かった。お世話になったから言うわけでは
ないが、激務の中で知恵をしぼる看護婦さんの待遇はもう少し考えなければ
ならない。

 現在の保険点数は看護婦さんの頭かずだけを決めている。その仕事内容を
評価すべきだ。医師と看護婦、その教育に違いはあるが、それにしても評価
が違いすぎないか。看護婦さんが辞めて行くのは何故なのか。

 今、私の考えなければならない仕事の一つである。

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[小泉内閣メールマガジン]
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