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2004年04月21日(水)
ー力のレッスン
・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなど から生まれるのではない。 それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。 どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、わたしたちは気づいていない。 一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、 そこに力を感じ取る。
・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。 世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに根ざしている。 真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。
いま与えられているものに対する感謝、 ものごとがそのようにあることへの感謝、 自己が自己であることへの感謝、 生まれてきたときに自分がこの世界に持ち込んできたものへの感謝。 自己の唯一無二性への感謝。−たとえいまから100万年経ったとしても 自分とまったく同じ人間は現れない。 自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。 感謝の種は尽きない。 「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。 「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
ー感想 力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。 しかし考えてみれば、内奥の力は今あるものに対する感謝・気づきから 出発することを考えれば至極当然のことである。 「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。 感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。 毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、 トレーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。
・・・・・・・・ ・・・・・・・・ 2003年04月21日(月) 747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。 毎年のこの時期の恒例の一人花見である。 もう十年以上続いている。 他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。 季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。 今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と 言ってよいだろう。
午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、 丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。 いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。 それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。
雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。 それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。 最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。 その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。 「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」 という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。 参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。 もう50年も前のことだ。 花見こそ一期一会である。 吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・ 2002年04月21日(日) 383,チンパンジー
TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。 人間そのものである。 まずはその社会、ボス争いが面白い。 彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。 特にボス争いが熾烈である。 また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。
鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、くしゃみを誘発したりもする。 蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。 嫁いびりや集団リンチなどもある。
京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、数十年にわたりその研究を続けている。 その内容がいろいろ出版されている。 またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ放映している。
今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジー の研究が進んでいる。数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると、「人間との差は何処にあるのだろう?」 と考えさせられる事がある。
日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。 今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。 人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の 欲望の無限の拡大のなせる業か。
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