堀井On-Line



1109, 「ライフ・レッスン」ー読書日記 −2

2004年04月16日(金)


  ー第一章 「ほんものの自己」のレッスンー

この本の意味は読めば読むほど、その深さに驚かされる。
キュープラ・ロスが死にゆく人々から学んだ教えの数々。
すべてを終えた時、「生」と「死」の本当の姿があらわれる。
その深さに少しでも自分の意識を降ろす為に、一章づつ、印象深い文章を
書き出してみる。

私たちは、自分に与えられたレッスンを学ぶ為に、地上に生まれてきたのだ。

25歳の金沢時代の、どん底にいた時のある瞬間に「ハッ!」としたことがあった。
今でも忘れられない瞬間であった。
自分は何故ここまで惨めな気持ちにならなくてならないのだ。
自分が何故ここに、こういう状態いるのだろう?

その瞬間に思ったことは
「自分は修行をしにきたのだ、修行で苦しみの極限を味わう為である。
その極限を嫌っていては何の意味もない。
極限の境遇を学ぶ為に今ここにいるのだ。
それなら、いま自分がこの状況にいることが必然である。
学ぶのだ、学ぶしかないのだ、それなら今の自分が自分で納得できる!」
という、こころの大転換があった。

その時から、視点が変わった。
全てが可愛い表象に見てきた。
分厚いレンズー現実が目の前から消えたようだった。

この本を手に取ったとき、
なるほど究極に生きてきた人の、暗闇に光り輝く魂の言葉の深さを感じ取った。

過去を考えてみると、全てがレッスンであることが理解できる。
人生は学校なのだ。
現象は神があたえた教科書の練習問題。
何故、その問いに答え続けなくてはならないのか?
それが生きるということだから!


ー抜粋  第一章 「ほんものの自己」のレッスンー

・人生のレッスンを学んでいくにしたがって、さまざまな役割の層が一つ剥がれて
いき、内奥に潜む、自分にとって好ましくないものが見えてくる。
自分が完全無欠な超善人ではないことが解ったら、ありのままの自分である時期に
きただけだ。

・自分がほんとうはどんな人間なのかがわからないということに気づいたとき、
多くの人は深刻に悩みはじめる。真の自己を発見し、真の自己でありつづけること。
ほんとうはなにがしたいのか、なにがしたくないのかをみわけること。
ふだん抑圧している衝動が頭をもたげたとて、何か『変ったこと』、新しいことを
してみたいと思ったときがある。
そのときが、真の自己について学ぶいいチャンスになる。

・自己の本質を見つけたその男は、からだに何が生じているか、お金をいくら持っているか、
こどもが何人いるかということを超越したところにいた。そういう役割を剥ぎ取った
あとに残るもの、それがわたしなのだ。どんな人の中にも、報酬をもとめることなく
あたえるための、裁くことなく耳をかたむけるための、無条件に愛するための、
想像を絶するほどの善の萌芽が休眠している。その萌芽をゆりおこし、それを育てる
ことが、わたしたちの目標である。

・ある男性が70歳後半の祖母について話をしてくれた。
『お前さん』祖母がいいました。
『わたしは何の不足もないんだよ。わたしは充実した人生をじゅうぶんに
生きてきた。おまえさんの目には満身創痍で,いのちのかけらしか残ってない
ように見えるだろうが。わたしはね、たっぷりいのちをもらって生きてきたんだよ。
人間はパイみたいなものさ。両親に一きりあたえ、愛する人に一きりあたえ、
子供たちに一きれあたえ、自分の仕事に一きりあたえる。だから、死ぬ時には
自分のパイが無くなっている人もいるだろうさ・・・・・自分がどんなパイだったか
思い出せない人だっているさ。でも、自分はどんなパイだったかが、よく解っている。
これだけはだれでもが自力で見つけるものだからね。」

 次は第二章 愛のレッスン
 
 ーーーーーーー

ー以下は、過去に書いたライフレッスンー1の内容である。 
   
   938, 「ライフ・レッスン」ー読書日記
       2003/10/29

各レッスンの内容が愛と真実に包まれている。
「死ぬ瞬間」シリーズは世界的ロングセラーで多くの人に癒しを与えてきた。
ロスの本は何冊も読んだ。終末期医療から死にいく人々から学んだ数々を
わかりやすく説いている。
すべてを終えたとき、「生」と「死」の本当の姿があらわれるのだ。
 
 彼女がマザーテレサに亡くなる数ヶ月前に会ったとき、
ロスに、
「生きることがとてもたいせつと考えているからこそ
死にいく人達と一緒にいることを最大の使命としているのだ」
また「生は一つの達成であり、死はその達成の成果です」言われたという。

 大部分の人は死を達成とみていないだけでなく、生も達成とみていない・・
死の淵にいる人は、そのことをよく知っている。
ロスは生そのものの大切さについて多くことを教えてくれる。

彼女の本を読んでいると、暗い?内容なのだが、暖かい愛に包まれたような
気持ちになる。

ーまずは、この本の抜粋からはじめたいー

・一生と呼ばれる時間のあいだに学ぶべきレッスンは色々ある。特に死に直面して
いる人々と一緒にいるときにはとりわけ多い。

死に行く人々は人生の終わりに多くを学ぶが、通常は学んだ教訓を生かすための
時間が残されていない。1995年にアリゾナに引っ越した私は、ある年の
母の日に脳卒中で倒れ、麻痺状態になった。

その後数年間は死の入り口にいた。時には数週間で死ぬのだと覚悟をした。
そして幾度も訪れてこないことに失望した。準備は完了していたからである。

しかし、死ななかった。その理由は、私にはまだ学ぶべきレッスン、最後の
レッスンがあったからです。そのレッスンの多くは人の生についての究極の
真実であり、命そのものの秘密である。私はもう一冊本を書きたいと思った。
今度は「死」そのものではなく「生」についてである。


・人には誰でもガンジーとヒットラーが住んでいる。
象徴的な意味であることは当然である。ガンジーは人の中のベストなもの、
もっとも慈悲ふかいものをあらわし、一方のヒットラーは最悪のもの、人の持つ
否定性と卑小性をあらわしているのだ。

人生における人ノレッスンとはおのれの卑小性に働きかけ、否定性をなくして、
己のなかにも他人の中にもあるベストなものを見つけ出す作業である。
人生の暴風に似たそのレッスンは、人をして本来の人に戻してくれる。

人間が地球上にいるのは、互いに癒しあうためである。
これは身体的不具合を癒すだけでなく、はるかに深いレベルでの癒しである。
精神と魂の癒しである。


・人がこういった人生のレッスンについて語るとき、人は完結していない
気がかりな問題の解決について語っている。完結していない気になる問題とは死に
ついての問題ではなく、生についての問題である。'確かに私は豊かな暮らしを
実現した。

しかし、本当に生きるために時間を使ってきただろうか?'
というように最も大切な問題である。多くの人々は確かに存在はしてきたが、
本当に生きてはこなかった。
それらの人々は完結していない気になる問題に蓋をするために、膨大なエネルギーを
費やしてきた。


・完結していない気になる問題は人生最大級の問題であるから、死に直面したとき
焦眉の急の課題になる。大多数の人々は完結していない気になる問題の多くを
未解決のままで終わる。問題の一部しか解決できない人も多い。


・人生には学ぶべきレッスンがあまりにも多い。一度だけの人生では習得不可能で
あろう。でも、学べば学ぶほど未完結の問題が少なくなり、それだけ充実した人生に
なり、本当に人生をおくることができる。
いつ死ぬかは不明であるが、死ぬときには、'オーイ神様、私は生きました'
と言えることになる。
   
 ・・・・・・・・・・・・  
 「ライフレッスン」  
 エリザベス キューブラー・ロス (著),
 デーヴィッド ケスラー (著), 上野 圭一 (翻訳)
 角川書店
 
 ー内容(「BOOK」データベースより)
幾多の死に向き合い、自身も幾度となく死の淵を覗いた終末期医療の先駆者が、
人生の最後で遂に捉えた「生と死」の真の姿。
死にゆく人々から学んだレッスンの数々。
愛・喪失・力・罪悪感・恐れ・許し・幸福など、
人生が提示する14のレッスンとその意味を静かに語りかける、
心にしみる一冊。

ー 目次ー
「ほんものの自己」のレッスン
愛のレッスン
人間関係のレッスン
喪失のレッスン
力のレッスン
罪悪感のレッスン
時間のレッスン
恐れのレッスン
怒りのレッスン
遊びのレッスン
明け渡しのレッスン
許しのレッスン
幸福のレッスン

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ー以下はインターネットで調べた書評であるー
ー書評
 一生のあいだには、学ぶべきさまざまなレッスンがあり、
とりわけ死に直面した人たちとともにいるとき、それを実感すると、著者はいう。
人生がわれわれに習得せよ と要求するレッスンを15にまとめている。

 すなわち、「ほんものの自己」のレッスン、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪 失のレッスン、力のレッスン、罪悪感のレッスン、時間のレッスン、
恐れのレッスン、 怒りのレッスン、遊びのレッスン、忍耐のレッスン、
明渡しのレッスン、許しのレッス ン、幸福のレッスンである。

 たとえば、病気とたたかっている人を見ていると、自分とはなにかを知るためには、
「ほんものの自己」でないものをすべて脱ぎすてなければならないということが
分か ってくる。生の終局にあって、人は以前よりずっと純粋に、正直に‥‥
まるで赤ん坊 のように‥‥その人自身になっていくからだ。
「どんな人でも偉大さの萌芽をもっている。『偉大な』人物が、ほかの人たちの
もっていないものをもっているというわけ ではない。
『偉大な』人物はただ、最良の自己のまえに立ちはだかる余分なものを脱ぎすてて
いるだけなのだ。」
結局は、「ほんものの自己」のレッスンが、愛のレッスン、人間関係のレッスン、
喪失のレッスン等々のレッスンの根底にあるように思われる。

 人間関係のレッスンでいえば、だれかとくべつな人がいなければ自分は無価値な
 存在 だと感じている人は、その人との関係のなかでも、いずれは無価値性が
 外にあらわれて しまう。求めている全体性や完全性は、自身の内部にあって
 発見されるのを待っている のだ。つまり「ほんものの自己」の発見なのだ。

 喪失のレッスンについても同じことが言える。死という絶対的な限界状況に
 直面してはじめて人は、余分なものを削りとって≪いのち≫のして輝き出す。
 自己の内部に、失われることのないなにものかを見出す。死を前に徹底的な
 喪失を味わい、すべてに「さようなら」をいうこと によって、
 それによってもあせることのない何かをつかむ。 人生に 避けがたい喪失の
 体験によってわれわれは、かけがえのない学びを得るのだ。

 『余分なものを削りとる』作業さえすれば、だれであれなんらかなの場で輝きを
 放つ ことができる。「あなたの本質はもっとも純粋な愛であり、壮大ともいえる
 完全性であ る。あなたは自己を癒し、自己がだれであるかをおもいだすために、
 地上にうまれてき た。おもいだすべきあなたの本質こそが、闇夜を行くときの
 みちびきの光である。」

 これが一生のあいだに学ぶべきレッスンのうちもっとも核心的な部分だろう。
著者たちは、これらのレッスンがいかに深い真実であるかを、印象的な事例や
説得力のある言 葉で語る。その言葉の一つ一つからゆるぎない真実がにじみ出る。
真実から発せられた 言葉のみが持つ強さに満ち、じんわりと心に沁みこむような
感じの本だ。

 本書は、まちがいなく絶筆となるだろうと言われたキュブラー・ロスの自伝
『人生は 廻る輪のように』(角川書店、1997年)のあと、奇跡的に体力を
回復した彼女が、その 弟子であり友人であるホスピス・ワーカー、
デーヴィッド・ケストラーとの協力によっ てまとめたものである。


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2003年04月16日(水)
742,『金持ち父さんの子供はみんな天才』−1

ー 読書日記

『金持ち父さん』シリーズの三冊目『親だからできるお金の教育
ー金持ち父さんの子供はみんな天才』を買って読んだ。
この本のシリーズの本は、どの本もそれぞれが理にあっている。

何回も読んで金銭感覚を磨かなくては、この時代には挫折をしてしまう!
何割かは実行してきたことだが、しかしあいまいな部分が多い。
この激動の時代だ、一つ間違えると致命傷になってしまう。
お金は、ある意味で生きていく交通手形である。
お金に対する考え方は人生観の大きい基礎といってよい。
 ーまずは印象に残っているところを抜粋してみる。

抜粋ー1
昔、先生からこんな話しを聞いたことがある。
「神様は私たちに右の足と左の足を与えてくださった。
正しい足と間違った足を与えてくださったのではない。
人間はまず右に向かい間違いを犯し、次に左に向かって間違いを犯すことで
進歩をする。いつも正しくあらねばならないと思っている人は、
右足だけで歩こうとしているようなものだ。
そういう人は、自分では前に歩いていると思っているが、たいていは
一ところを回っているだけだ」

抜粋ー2
人生における選択肢について、お金持ち父さんはよくこんなことを
話してくれた。
「飛行機のファーストクラスもエコノミークラスも、目的地につく時間
に変わりのないことは私も知っている。問題はそういうことではない。
問題は、ファーストクラスかエコノミークラスの選択肢を持っているか
どうかだ。エコノミークラスに乗っている人の大部分は、一つしか
選択肢を持ってない」「お金は力だ。なぜなら、より多くのお金を
持っていれば、それだけ多くの選択肢を与えられるからだ」
ファイナル・インテリジェンスがお金持ち父さんに買ってくれたものは
何か、私に言わせればそれは『自由」であった。

抜粋ー3
「金持ちと中流以下の人のちがいは、余った時間に何をするかにある」
「たいていの人は、お金を稼いだあとそれをどうするかについて、
貧乏になるプラン、やり方しか持ってない。金持ちは余った金でゲームを
やるんだよ」

抜粋ー4
「つまり、人間が時代遅れになるんじゃない。でも、考え方が時代遅れに
なることはある・・」「その人の勝利の方程式が時代遅れになるんだ。
・・・古い考えにこりかたまった老人だ。まだほんの50歳だというのに。
問題は、10年前、既に歳をとりすぎて時代遅れになっていたのに、
それに気がつかなかったことだ。」

抜粋ー5
本書の目的は、次のようなことを言わないように、親たちに警告を
与えることである。
「借金を返しなさい」
「預金をしなさい」
「請求書の払いをきちっとしなさい」
「クレジットカードを切って捨てなさい」
「お金は借りてはいけません」
・貧乏人は銀行を悪者と考え、避ける。
・中流の人は銀行はいいサービスと悪いサービスがあると考える。
・金持ち父さんは、全てに関していい点と悪い点を見分けるように教えて
 くれた。そして、お金に関しての殆どのいい点と悪い点の両方を
 見つけるよう促すことで、より細かく区別する力を伸ばしてくれた。
 つまりファイナンシャル・インテリジェンスを高めてくれたのだ。
               −続くー

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2002年04月16日(火)
378,不況

昨日、地元の中堅の食品メーカーが倒産した。
1989年に設備投資、その3年後に70億の売り上げになったが、
現在はその半分の売り上げに激減。
家内が言うに、今の社長は
「10数年前に文芸春秋を辞め,帰って来たと話題になった人」とか。

今の倒産の多くに見られるパターンだ。
先日倒産した新潟市の香月堂もしかりだ。

全国に、このパターンの倒産予備軍で満ちている。
昨日の新聞に載っていた、ある雑誌のアンケートで、
サラリーマンの30パーセントが「自社の倒産の不安」を持っているという。

大丈夫と思っているのは僅か17パーセントとか。
私の感じていた、「3分の一はいつ倒産してもおかしくない会社」
と同じ数字だ。

新潟県はあと一割増か。
自社は一応17パーセントに入ると思うが?
社員はそう思ってないかもしれない。

どうして不安かと思うと、
・中堅幹部がどんどん辞めていく。
・給与カット、時間外勤務の削減。
・売り上げの激減。
・会社資産の売却。

今のところ当社は一つもないが。
しかしこの経済情勢はただ事でないことは確かである。

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