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2003年12月07日(日)
この番組み、いつも楽しみにしてみている。 代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。(両親は戦後になって衣料量販店に転業した。) しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
古美術の世界では「目利き」という言葉がある。 この世界では、「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。 ・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。 まずは仕入れで大儲けをして、 ・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。 如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。 父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、 山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、そうそうのメンバーだった。 一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。 「蔵出し」という言葉がある。 事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、事業を失敗した家に乗り込んで買い取る 場面に両親に連れて行かれて何回か見た。 修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。
私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、こういう場面を両親に 意図的に見せられていた為だ。 「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。 勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。 絶対に負け組みになってはならないのだ。
昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。 あの「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。 この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。 その本人がリベンジで出てきた。 10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。 もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 見ていて背筋が寒くなった。 光悦の作品が17点あることは知られていて、 今まで8〜9点の存在は確認されているという。 新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが、実際は値がつかないだろう。
ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。 どうしてもカウチポテト族になってしまう。
ーインターネットで「光悦」で調べた内容をコピーしておきます。 ・・・・・・・・ 本阿弥光悦 (ほんあみ こうえつ 1558〜1637) 永禄元年(1558)、京都に生まれる。 安土桃山・江戸時代初期に活躍した芸術家。 近衛信尹、松花堂昭乗と共に寛永の三筆の一人。 京都の三長者(後藤、茶屋、角倉)に比肩する富豪で、代々刀剣の鑑定、磨き、 浄拭を家職とした本阿弥家に生まれる。熱烈な法華教信仰を根幹とする一族の 厳格な節倹、誠心を光悦も失うことなく、和学の教養と独自の書風(光悦流)を 身につけて、美術工芸面に金字塔をうち立てた。角倉素庵に協力して出版した 嵯峨本や俵屋宗達の下絵に揮毫した和歌巻、色紙、さらに蒔絵、茶碗などは、 当代の日本文化の花と讃えられる。 茶の湯の師、古田織部が自害した1615年(元和元年)徳川家康より洛北鷹が 峰の地所を与えられ移住し、〈皆法華〉の芸術家村を築いて、題目三昧と創作、 雅遊の晩年を送った。友人は公家、武士、僧など広範に及び、〈天下の重宝〉 と惜しまれて、同地に没した。
(コンサイス日本人名辞典より抜粋)
・・・・・・・ ・・・・・・・ 2002年12月07日(土) 603,ある時間の断片-17
10月8日 1968年 10時起床。 12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。 6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、 昼飯後、13時から15時勉強、30分休憩後、17時30分まで勉強。 食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。
ー追記ー 2002年12月06日記
この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。 ー卒論 「流通革命について」
私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、 そのころ主流を占めていた百貨店や一般小売店やデスカウントハウス に変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や 業態を事例に出して、これからは今までの流通経路と全く 違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一や 林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、 基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが 手に取るようにわかる。
・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める! ・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。 ・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。 それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理で、 長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。
ヨーカ堂やジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。 面白いものである。 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・ 2001年12月07日(金) 262,強請りーその手口
ヤクザ対処法
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。 現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも支払った事は 一度もない。
暴対法ができてから、チンピラやヤクザも大人しくなった。 しかしその以前から殆どない。現場に「すぐ警察に電話をするよう」 と指示してあるからだ。
2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」という本を買った。 どうということのない本だが、面白い内容であった。 脅しのテクニックが詳しく書いてあった。 まず私の経験を書くと
1、彼らが一番恐れているのが警察である。 電話を迷わずかけること、警察の門をくぐる事だ。 ーこれをただ実直に守ったから20年間一回も脅されたことはない。 2、暴力の使用を一番恐れているのは、彼ら自身である。 それを熟知していればよい。「恐喝で逮捕の危険」の塀の上を彼らは歩いて いるのだ。 3、彼らと3メートル以内に近寄らない、いや100メートルだ。 4、数年に一回ぐらい間違えて電話をとってしまうことがある。電話を無言で たたききる。2^3回やると二度とこない。いちゃもんのつけようがない。 5、「ワイは正しいで、間違ってるのはアンタや」という我田引水のレトリック をつかう。「心理学のプロフェッショナル」である。 火のないところにイチャモンをつけ、煙を出させてシノギー稼ぎ にする。言葉のパフォーマーである。ただそれだけだ。
6、簡単だが、でも恐ろしい?‘警察’という言葉を多用することだ。 そして行くことだ。それしかない。彼等はプロである。金のならない ヤバイ相手はすぐ見抜く! 7、弱味を見せない、彼らは情報産業だ。つけ入られるような事をしないことだ。
ー先ほどの本の要旨は
・まずは怒鳴り!そして筋論に引っ張り込む。 ・次は捨て身の居直り。 ・王手飛車取り「数百万の損をしたとか大きく出て、数十万、時に数万を 下げ強請る。 ・いかに底深く、底知れなくするかを演出。ーそれを常に考えている。 ・キャステングボードをとって、相手を引きずりまわすかが勝負。 ・善意の第三者をよそう、そしてチャンスを狙う。
恐れるのは仕方ないが、とりあえず警察に相談それしかない。 そしてその瞬間、彼等にとって「それはもはや獲物でなくなる」 幼稚なお芝居の終了になってしまうからだ。
恐怖も悩みもそれから逃げようとせず、その中心点を凝視することだ。
「恐れさせ、混乱させ、警察に垂れ込めないようなお芝居」が彼らの実態だ。 ーこれがその本のいわんとするところだ。
・・・・・・・ ・・・・・・・ ある時間の断片 12月7日(土曜日) 1968年
12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。 先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 20個の歯ブラシ代を。永田さんがポケットに入れたままだと言う。 何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。 この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。 言い過ぎたようだが、これでよい。 夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。 駒村が、かなり酔ってしまった。 私のことを寮の先輩として尊敬すると褒め立ててきた。 お世辞でも嬉しい。 彼も私のようになりたいということも確かである。 この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。 また、満田先輩もだ。 寮から抜け出れない姿勢が問題であると。 学生気分から抜け出れないのだ。 逃避で寮に来ているだけだ。
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