堀井On-Line



781, 父が亡くなって30年

2003年05月25日(日)



 父が亡くなってあと数日で、まる三十年が経つ。
去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。

私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。
子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。
反面非常に厳しい人であった。

 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。
毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。
反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。
過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。

もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を
貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。
もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。
高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。
必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては、あまり儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを
教えたかったのだろう。

以前書いた文章をコピーしておく。
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2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1

一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。

父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。

・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3〜5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。
 
以前父のことを書いた文をコピーしておく。


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2002/06/02
父・堀井誠作のこと−2


・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
  家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。

・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!

・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。

・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。
 これも両親からの最大の教えである。

・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。

・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   −あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   −金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。

・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。

・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。

・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 −戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  〜10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
    −5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。

    いずれにしても自分にとって最大の先生であった。


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H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。

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