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2003年05月02日(金)
10年近く半年〜一年に一度の定期健診ー人間ドックにいっている。 その主治医と、いつの間にか懇意になった。 先日検診に行くと、オホーツクの僻地に赴任することになったという。 僻地医師になるのが長年の夢で、 「あと定年まで3年で、このままいても今と同じくり返しでしかない。 一度しかない人生、夢の実現の為に思い切って決断した!」 ほとんど長岡を出たことのない最後の人生のデザインである。 人生いろいろある。 青年期に読んだ本の一節で「人生、小説でないのよ、勝者が善、 敗者が悪なのよ!」 というソルジェニーツェンの小説の一節がある。 しかし小説のように生きる事こそ人生の要諦ががあるのではない だろうか。 死ぬ時につくづく「小説のような人生を生きていてよかった!」 と思える生き方もある。 最後は自分の納得の行く決断が人生のデザインである。 一人で、自分で自分をどう考えるかである、それしかない! 同じ人生なら納得して死んでい(生)きたい! 「いいじゃないですか!もし事前に相談されたら、いけいけ絶対に 行けというでしょうね!でもどっちも結果として大して変わりはない でしょうね!」 と無意識で答えていた。自分の答えの冷たさに自分で驚いてしまった。 「それは他人の事だら言えるのことだ!」と本人の答え。 こういう場合は「五分五分に迷ったら行動すべき!但し結果には 期待しない!」これは人生の私の経験則である。 その真意は相手には伝わらなかったようだ。 「そこで独りぶつぶつ言いながらつきつめ一つ一つこなしていくのが、 事業の立ち上げの経験でいえるんですよね! その経験をインターネット上にホームーページの日記として載せた方 がよいと思いますよ。『僻地医師の独り言』がよいじゃないですか!」 と進言した。 「奥さんは一緒ですか?」との問いに、 「いや、まず自分がいってから判断をするつもりです!」 「最低何年のつもりですか?」 「三年です!」 「一年でもよいのではないでは?」 「そういう訳にはいかない、僻地なので後任がそうは決まらないので 辞めるわけにはいかないのです!」 言葉の中に永住という感もあった。 例えが悪いが、お屋敷の卓上犬が広野に一匹飛び出すということだ。 設備もない僻地で、全てを独りで解決しなくてならない世界である。 その苦労が目に見えているが、一度もお屋敷ー大病院から出たことの ない人は純粋性とエネルギーを持っている、すばらしい事である。 こういう純粋性が教養というのだろう。 「いま貴方にそのエネルギーがあるか?」と問われれば、 「ない!」が正直な答えである。 エネルギーというより、教養の差ともいえるのか。 先日、親戚の人の「30数年を賭けた夢の実現」と、「医師の夢」 の話はいまの私にとって身近で人生ドラマを見せてもらったようで あった。
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