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2003年02月22日(土)
ーいやなことはやらない!
51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。 事業では新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー 人生の分岐点の年であった。 その時に、「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」という方針をたてた。
ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。 哲学者の中島義道氏の文章で ー私流人生の「かたち」ーの{「厭なこと」はなるべくしない}であった。 きしくも、私と同じ歳で、やはり6年前に決心したというから不思議なものだ。
ー私よりずっと徹した内容で、人生を半分降りようと決意したという。 ・社会的成熟を拒否し、世間体を投げ捨て、どんなに嫌われようと、排除されようと、 いやなことはなるべくしない ・親戚とか友人の冠婚葬祭は一切省く、大学の校務はギリギリ最低限のことしかしない。 −5年前と2年前に亡くなった両親の法事にも一切参加しなかった。 ・自分の実感から離れる社会的慣用句(「世間語」)を語る事を完全にやめる。 −感謝してない時は「ありがとう」といわない、心のそこからそう思わない時は 「おめでとう」と言わない。 ・あまった膨大の時間、18歳の少年のように「生きるとはどういうことなのかな〜。 まもなく死んでいくとはどういうことなのかな〜」とか考えている。 ・楽しいかといえば、全然楽しくはない。むしろすざましく不幸である。 しかし、自分の人生のカタチと諦めている。
先日亡くなった同級の知人が、その正反対でドップリとその世界で必死に 自分を演じていたのが対照的であった。 でも彼の立場は、それが不可能の立場であった。
6年前に考えたのは、「本当に好きな事は何か?」「いやなことは何か?」であった。 ・好きな事は秘境旅行、ウォーキング、事業、読書、居酒屋通い、映画、 随想を書くことであった。それと世界を広く深く知ることだ。 ・今までの付合いの見直しである。 「世間体に生きている度合いの高い人」は可能な限り寄せ付けない。 勿論、それすら解らない人もだ。 ・プレッシャーのかかるセミナーや会合には可能な限り出ない。 それを割り切って一づつ確実に実行する。
そんなことをいったって、不可能だろうし、高慢でないか!と聞こえるかもしれない。 そのとおりかも知れないし、バカなたわごとと解っている。 でも、中島義道氏のようには徹する事は難しいが、少なからず実行している事は 事実である。
このホームページを開いてから、誰かとどこかで繋がっている実感が強くなった為に、 更にこの傾向が強くなってしまった。 中島氏のように多くの読者を持っていれば、その姿そのものを共感する見えない 仲間の存在があるから可能になるのだろう。 自分の人生のカタチは自分で創っていくものだ!
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