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2003年02月15日(土)
ー印象的なところを抜粋するとー
人はバカに生まれるのでない。バカになるのである。 親子という縦の系列によってバカになり、友人・社会という 横のつながりによってもバカになる。・・・ なぜ容易くバカになるのか。理由ははっきりしている。 人間は楽な事を選ぶ生き物だからだ。できることなら責任なんか 負いたくない。他人の心配などまっぴらである。 難しいことより易しいこと、苦しいことより楽しいこと。 不自由より自由。貧乏より裕福。まどろこしい事よりすぐ成果が見えること、 に流される。努力するのも金輪際イヤである。 これらの諸条件を満たすのは必然的にバカになる。自分中心主義で、 物知らずに、自分の頭で考えることができない。考える努力もしない。 だから人に頼りたくなり、人の責任にしたくなる。 このようにして人はいとも簡単にバカを志向する。 だから親がバカだと子供はつらい。「バカ」を刷り込まれるからだ。
バカになるのに訓練や努力はまったく必要でない。 欲望と感情だけがあればよい。そしてどんな人間でも欲望と感情だけは もっているのである。・・・ もしバカになったら、それはどこまでも自分の責任である。 責任がなくとも、自分で負わなくてはならない。 ・・・・ バカがひとりで死ぬまで山の中で生きているのならどんな罪もない。 しかしそのときは「バカ」であることじたいが無意味であろう。 ひとりだけならバカも賢いもないのである。 バカの罪状以下のごとし。 ーつづく 感想ー2
・人間、他人のバカは見えても自分のバカが見えないものである。 他人のバカは、実を言うと自分バカを見ているのでしかない。 「他者認識不可知論」ー他人の事を理解する事は不可能だ、理解したと同時に それは自分自身のことであるから、それは他人の事でなくなるー ということから考えると、わが内なるバカを自己確認しているだけでしかないのでは。 とくにバカはわが姿そのものとして、可笑しく悲しい影といってよい。 だから書くほうも読むほうもお互いにイヤに共感をしてしまうのだ。
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