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2003年02月07日(金)
立ち読みをもとに、前回「ぶざまな人生」というタイトルで書いた。 先日、本屋で再び立ち読みをしたら、「前書き」と「あとがき」が余りにも 面白い内容につられ、思わず買ってしまった。 下手な要約を書くよりずっと文章に味があるので、そのまま写し書きする。
ーー表紙ーー ーぶざまこそ人生の醍醐味と見つけたり!
人生50年も生きていれば、時に不偶感に苛まれ自信を失い、世間に屈してしまうことがある。 金がない、愛されない、学歴がなく社会的地位もない、有名でもない、おまけに流行にも ついていけない。だが、これらはけっして「ぶざま」を意味しない。 人生とは他人に見せるものではなく実際に生きるものだからだ。 「人間の人生」(=運命)に翻弄されながら、それでも「自分の人生」(=意志)を垂直に 立て生きようとすること、それだけが決定的なことなのだ。 「ぶざま」を自覚しなければ、生きている資格がない。
まえがきー「中小零細企業」の人生論
人生、である。 しかも、ぶざま、である。 ははあ、「ぶざま」といって一端下げておき、しかし一転して、「ぶざま」こそ 人生そのものでナイかと持ち上げ、さあ元気に生きていこうぜ、と口先だけの 空元気で鼓舞しようというんだろう、手口が見えているぞ、と思われるかもしれない があたってない。「ぶざま」は「ぶざま」である。いまさら人生論か、50年古い、 と思われるかもしれないが、
・・・・とおりいっぺんの人生論など、興味がない。 成功した経営者や哲学者や有名な評論家とか宗教家とかいったつぶしの利く 人間が書くものと相場が決まっている。 しかし、彼らの人生論はおおむね「大企業的ー立派で高尚」の人生論である。 それに対して本書は、全然つぶしの利かない普通の中年男が書くそれである。 いわば「中小零細企業」的人生論である。 日本の会社の95�佑�中小零細なのに、だれもが5�佑梁膣覿箸陵佑平誉犬� 送りたがる。無理もないが。・・・・・・・・・・・・・・
人生という言葉に魅力がないかもしれないが、人生そのものは誰にもあるものだ。 いま「人間の人生」(簡単に言うと、運命)の真っ只中にいるのだ。 けれどその中でも、「自分の人生」(簡単に言うと、意志)だけで順風漫帆 に生きている人間は「人生」に直面しないだろう。 「人間の人生」と「自分の人生」のせめぎあいの中にある人間が「人生」の波 をもろにぶつかるのだ。中年こそ、「人生の辛酸」ということが身に こたえる年代なのである。・・・・・・・・・
^^^^^^^^^^^^^^^ ーー以上が概要である。ーー
この文章が延々と続くのである。 それでは「あとがき」になるが、またこれが味のある、素晴らしい内容だ。 抜粋する。
あとがきー「だが大切なのは立ち上がることだ」
・・・・ベルザーは子供のスチィーブンに言う。「パパの過去から お前が何かを学ぶとしたら、誰も憎むなということだ。もし憎んだら、 おまえはひどいことをしたその人間になってしまうということだ」
心配いらないよ。おまえは強い心を持っているからね。 人生では、失敗もするし、ころびもする、だが、大切なことは立ち上がることだ。 ・・あきらめるなよ。 面倒なことになった途端に降参する人間は多い。そういう連中は学校をやめて、 知ったかぶりをして、そして何をやってもすぐにあきらめてしまうんだ。 ・・・・パパは子供を育てようしているんだ。 本気で望むなら、実現できないことなんて、何一つないんだよ。 決めるのは自分だ。・・・最後までがんばりなさい。 自分に正直に生きていけば、何も心配要らないよ。 ・・・ 最後に 責任ある大人として、年をとり分別も備わった今では、誰の人生も完璧 でないし、普通でさえないということが解るようになった。 誰にも過去があるし、誰にでも問題がある。 人生は、自分で切り開いていくものだ。 自分が目指すのは、優しくて謙虚な人間、 思いやりがあって助言を与えてくれる父親、そして夫になること、 ただそれだけだ。毎日毎日、僕はとにかく全力を尽くしてがんばっている。
ーー以上があとがきである。ーー ぶざまな人生を認めてしまって、生きたいように生きることだ!!
ー 続くー
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