堀井On-Line



598,八ちゃんの時代ー2

2002年12月02日(月)



少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。
生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶が
ある。もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。
子宮の中の記憶のある人もいるとか。

お手伝いの背中におぶさっていたのも這い這いも憶えている。
歩かされた時に面倒くさいと思った事も。

商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは、三つ子の魂百までだ。
競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。
家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。
もう50年以上も昔のことだ。

今考えると当時は金色に輝いていたように思える。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。
素晴らしい時を両親と共有できたのだ。

兄二人の死とその5〜10年後の母の心筋梗塞の死線があった。
これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!

2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。
その記憶が生々しい。
ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、
近くの公会堂の前の広場まで移動した。
完成するまでそこで店を開いていた。

建物の完成した引越しの日々が生々しい。
コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。

1階は店,2階が倉庫兼事務所、三階が自宅兼店の食堂と風呂、
4階が従業員の宿舎兼後方であった。
毎日が戦争のような日々であった。

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