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2002年11月22日(金)
本屋をのぞいていたら「服装は着る言葉です」とある服装評論家 の文章が印象深かった。そこに更に他の評論家が 「似合うということと、高い、新しい、華やか、流行とは無関係です」 と書いてあった。 「どう着るかは人生をどう生きるかの自己表示である」 というと、少しオーバーになる。
服と服装は違うという。 服はあくまでパーツである。その組み合わせが服装という。 それもTPOSの場に合わせるので 自己表示そのものといってオーバーではない。
ファッション店はそうすると情報産業そのものになる。 「こういう組み合わせやパーツありますよ。 うちの店のこれで自分を表現したらどうですか」という情報業だ。
真っ赤な胸の開いた服ならさしずめ 「私はさかりがついているメス」と自己表示している? あのメスサルの尻の赤い状態である?
若いうちから服装にもっと気を使うべきだ。 中年のきんきらのオバサンを見ていると、この人は若い時に そういう気を使ってないことの自己証明である。
大学に入った時に一番ショックだったのが服装であった。 都会育ちの友人のセンスのよさにコンプレックスを持った。 一枚の開襟のシャツを何気なく着ているが、センスが違うのだ。
中学や高校時は制服でカジュアルを着るチャンスは全くなし。 急に華やかな世界に投げ込まれても、即席で身に付くものではない。 言葉と服装に本当に苦労するのが当時の地方出の悩みであった。 今はTVやマスコミで均質化されているが。
その為に、鈴屋や鈴丹という地方出の為の女性のファッションチェーン店 があった。今は鈴屋は潰れ、鈴丹は消滅直前だ。
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