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2002年02月27日(水)
ーキャンベルとモイヤーズの対談集を読んで 私の愛読書の一冊でもある 「シェーン」をはじめとする西部劇の大部分は、 [神話のストーリ]の転用であるという。
主人公がある街に流れてくる。 そこで悪に遭遇して、正義感からその悪と対決し退治をする。 そして何も報酬を求めず黙って去っていく。 「英雄の理想像」である。
英雄の立場からすると、大いなる旅に出てそこで色々な困難に遭遇をする。 それと闘い勝利して「大きい精神的な何か」を得て故郷に帰っていく。 アメリカ西部劇の全てに共通しているストーリである。
「スターウオーズ」も、そのストーリーが背後に一本通っている。 現代の神話、西部劇である。
今話題の「千と千ヒロの神隠し」もその筋道だ。 桃太郎、一寸法師などの昔話もそうだ。 挑戦、闘い、変化ー成長、の成長過程が全て含まれている。
我々もそのプロセスを重ねて成長していく。 神話はそういう意味で「人間の一番の本質」といってよい。 誰もが自分を一生を貫いている神話を持っている。 自分にとって誰もが主役、皆が大将である。 「脱皮できない蛇は死ぬ」という諺があるが、神話のない人生をいう。
西部劇をみていて、そこに懐かしいアイデンティテーを感じるのはその為である。 そこに内面の深奥の旅を経験する為だろう。 蛇と鷲の闘いを絵でみたり、TVのドキュメントを見て興奮を覚えるのは、 「地に縛られている蛇」と「飛躍の象徴のわし」の戦いを、 「自身の内面、過去の経験」で知っているからである。
英雄は鷲である。飛躍とは地に縛られている自分からの飛躍である。 蛇は縛られている自分でもある。その自己葛藤がその闘いである。 また蛇は人間がまだサルの時、森に縛られていた時の天敵である。 本能的に嫌うのは、その時の記憶が遺伝子に残っているからだ。
その合体が龍である。羽の生えた蛇である。 何処の世界にも龍という架空の動物がいるのは、人類共通の想像的産物である。 願望の結果である。 神話の中によく大きい鳥に乗り、はるかかなたに旅をする世界共通の物語も その形を変えたものであろう。
実は私の「秘境のたび」もこれに似ている! 一時の蛇から、森からの飛躍のバーチャル版といっていい。 鳥を飛行機と喩えることができる。
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