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2001年11月14日(水)
[231] ベトナム旅行記ー3 11月18日
−偽100ドル事件ー
今回の旅行で面白い事件に出くわした。 明らかに観光客を狙った偽100ドル詐欺事件だ。
日本では大事件だが、ベトナムでは日常に行われているのだろう。 三日目になるが、写真に載っているハロン湾で食事を終えた頃、 ベトナムの刺繍を売りに来た。
私達はもちろん買うわけでなし、しかし何人かが買っていた。 4人席の目の前の同行の2人の老女がそこで買い物をしていた。 確かその場面の写真を撮っていた。 現地の金とドルの交換を頼まれ、親切心で替えてやったのだ。 それも人の良さそうな老女を狙ったのだ。
そして最終日の帰る日に、その目の前の年寄りの一人がデパート で100ドル札の引き取りを拒否された。それを添乗員が偽札と疑い 銀行で偽札と判断した。
添乗員が言うにはカラーコピーの幼稚なシロモノ。 観光客の老人を狙ったのだ。日本では大事件だが、ベトナムでは 単なる日常の軽い詐欺なのだ。
現地の代理店の責任で、その100ドル札は彼女に本物と取り替えられたが。 日本とベトナムの差を垣間見た。何人かがその詐欺の女の写真を撮って いたため恐らく警察にマークがされるだろうが、日本ではありえない 事件である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー どうなってるの!ー恐慌に入ったのだろうか? -何回も書いたが、「どうなってるの?」
新潟駅前は、本当に夜は西部劇のあのゴーストタウンみたいだ。 本当に誰もいない(少しオーバーだが)客も部屋より出ないらしい。
恐慌に入ってしまったのでは?と思うのはこの仕事のせいだけでない。
‘延べ10000室の契約’が出来たのと、サッカーで2000室 のプラスが見込めるため、丁度差し引きゼロで来年度は目途がたっているが、 それがなかったらどうなるのだろうと寒気がする。
今の数字の流れから見て、客数はいいところで10パーセント、 悪いところは20〜25パーセントのマイナスが予測される。
恐慌はその時点の数字より30パーセントの落ち込みになるという。 今はそれに近い状態といってよい。
冷静にみればこれは何も不思議でないはずだが、いざ 現実に現象に起きてくると、ほんと?と疑うのは、まだまだ現実が 解かってないのだろう。
2001/11/18
[230] 抽象概念と具体概念 抽象概念と具体概念のことをある本に書いてあったのを まとめてみた。 −少し硬い表現だがー
・それ(抽象・具体概念)以前は「非言語的原始概念」 −原始記憶の集合や組み合わせを、頭の中でこねくりまわしている状態を 言い、あと一歩で言葉になる状態。 ・頭の中のヴィジュアルな素朴な原始記憶を非言語的原始概念という。 ----------------
毎日このような文章かをしていると、なにか毒だしをしているようだ。 宿便を毎日吐き出しているいるようでもある。
ほとんどが以前文章化したことがあることだ。 あるいは一日7〜9万回考えていた一部でしかない。 それを概念化としてきっちりまとめる事が最大の収穫だ。
原始記憶の集合や組み合わせを、頭でこねくり回した状態を ひっぱり上げて概念化していることになる。 ‘経験を素朴な言語化をして置いておいた原始記憶’の蓄積があるから 毎日かけるのだと思う。
抽象的言語と具体言語とそのミックスしたものを概念化として吐き出す。 これが慣れてくると面白い、こうなればしめたものだ。 毎日飽きずに書いているのは、実際のところ面白いからだ。
2001/11/17
[229] ー ハノイで見た水上劇
日本の浄瑠璃と歌舞伎を合わせたような伝統劇 http://isweb29.infoseek.co.jp/diary/h_888888/cgi-bin/upboard/updir/dscf2223.jpg 2001/11/16
[227] - ホイアン市内の日本橋
2百数十年前、日本人がつくった橋
どうしてそこに日本人が? http://isweb29.infoseek.co.jp/diary/h_888888/cgi-bin/upboard/updir/dscf2244.jpg
[223] ベトナム旅行ー2 こういう時期も含めかなりの年配の人が多い旅行であった。
家内がその何人から面白い話を仕入れていた。
年配の人は自分を基準に考えるため、あまり自分のことが見えないみたいだ。
少し年上の問題のある人に対して辛らつだ。
成田に家族が車椅子の老人を連れてきて、さっさと帰ってしまい
後は大変、皆で帰るまで面倒を見るという。しかしトイレまでは
さすが面倒見切れないという。その都度誰かが見ざるを得ない。
まだある、痴呆症の人を連れてきて置いていくケースもあるという。
まさに人生の凝縮である。
それに近いのは経験あるが、さすが年配の旅行者の話はすざましい。
しかし元気だ!見ているとたくましい。
とりあえず動く、後は自然に任せる生き方のようだ。
自閉症の若い人の対極にある。
ーーーーーーーーーーーーーーーー ベトナムに日本に重なる部分と、少し違ってる部分が見えた。
重なっているところは、日本がアメリカの属国であり、
ベトナムがソ連の属国であったところで、その優等生のところであった。 アジア系ということと、縦に長い海岸線の漁業と農業の国で、
仏教国であるところである。
顔つきも中国系の人はほぼ日本人である。
料理も日本的な味が多く、今までの旅行で一番類似した国と言っていい。
中国・朝鮮よりも日本的といっていいくらいだ。
ただアオザイの若い女性の服装が何ともいえない、 ベトナム情緒をかもしていた。
中国・フランスに長年支配された為か近代化がなされており、
意外と特有な文化がみられない。サイゴン・ハノイにインターネットカフェ
が多く見られた。新潟・長岡よりすすんでいるのか?
違いはこれから確実に発展していくのが解る。
若い人の活気があるのと、目の輝きが違う。
日本ももうピークを過ぎてしまったのかと考えさせられる。
教育制度を今一度、見直さないと10年〜20年後は悲惨な状態になるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーー 帰ってきてよく使う旅行代理店より、悲鳴に近いパンフレットと
手紙が届いていた。1年分の経費の積み立てがあるから、潰れないが
社内に社員がウジャウジャいるとか、頑張ります!とか。
同じ経営者として、その深刻さが手に取るように解かる。
売り上げは半減だろう
2001/11/16 [222] ベトナム旅行記−1 1、 −オートバイ社会ー 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。それに 2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。おまけに殆ど信号がない のに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。 やはり、いや当然事故が異常に多いという。 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。 今もそうか!?
2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。 ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。 これでかなり物質的に豊かになった。 国民がアメリカ、日本に目がいっているという。
3、80パーセントが農業人口で占められとおり、 貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。
4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。
5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。
6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。
7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、 中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり、 評判どうり美味しい。
8、地方の風景は、日本のそれに似ている、 水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。
印象をそのまま書くと ・まじめな、仏教徒国、 ・農業が80パーセントの縦に長い国 ・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期 ・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事 ・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。 ・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。 ・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。
今回の旅行での出来事 ・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう ・ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替 ーもちろん意図的につかまされる。
2001/11/15
今朝、成田に7時半に帰ってきました。 午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。
明日から出社予定です。 旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。
1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。 シーズンオフを含めガラガラでした。 2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。
3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、 刺激という面で今ひとつでした。
4、その中で、イロイロな見聞がありました。
5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。
疲れは殆ど残ってないようです。
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