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2001年09月28日(金)
目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。
‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。
営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、
営業が反対に手段になってしまう。
何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。
手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。
といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。
以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシである。
目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。
ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。
至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、
イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。
どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’
とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、
いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。
目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって
逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか?
ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、
自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。
馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー
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H0609歩行とダンス
丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が面白かった。
“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。ダンスはドアに向かわないし
、その行為そのものが目的である。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。
非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容である。
今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ダンスをして、
ドアまでいってやれ”と一人笑った。
大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく“私はさしずめ、
ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間でまわってくる。
それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”当意即妙であった。
ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスとしてリズムをとりながら
パターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに向かう事となると誰にでもできない。
ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れてしまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言って
いる人が何と多い事か。そしてその反対に逆の人も。
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