お茶の間 de 映画
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2004年11月13日(土) 「ミスティック・リバー」明らかに政治批判映画。その分、人間ドラマは希薄。世の中は不条理だが、天に唾はきゃ落ちてくるのさ。

『ミスティック・リバー』【MYSTIC RIVER (秘密を抱いて幽玄に流るる川、という意味合いでいいだろう)】2003年・米

監督:クリント・イーストウッド 
原作:デニス・ルヘイン  『ミスティック・リバー』
脚本:ブライアン・ヘルゲランド 
撮影:トム・スターン
編集:ジョエル・コックス
音楽:クリント・イーストウッド 
 
俳優:ショーン・ペン(かつてチンピラだったジミー)
ティム・ロビンス(性犯罪のトラウマに苦しむデイブ)
ケヴィン・ベーコン(州警察、ショーン)
ローレンス・フィッシュバーン(パワーズ警部)
マーシャ・ゲイ・ハーデン(デイブの妻、セレステ)
ローラ・リニー(ジミーの末娘、アナベス)
エミー・ロッサム(ジミーの長女、ケイティ)
ケヴィン・チャップマン(ジミーの手下、サベッジ兄弟)
トム・グイリー(ケイティの恋人、ブレンダン)
スペンサー・トリート・クラーク(ブレンダンの弟、レイ)
アダム・ネルソン(ジミーの手下、サベッジ兄弟)
キャメロン・ボウエン(11歳のデイブ)
ジェイソン・ケリー(少年時代のジミー)
コナー・パオロ(少年時代のショーン)

ストーリー用ライン


貧民街。少年3人がホッケーごっこをして遊んでいる。
飽きた彼らは歩道の乾きかけのセメントに名前を書くイタズラを始める。
そそのかしたのはワルガキのジミー。ちょっとためらいつつも、
ショーンが続く。そして、嫌がっていたデイブがおそるおそる、DAまで書いたとき、警官と名乗る強面の男2人に注意を受ける。

デイブだけ、少しここから家が離れていた。男はデイブだけを車に押し込み、連れ去った。不安な気持ちで見送るしかない、少年2人・・・。

デイブは4日間、森の奥に監禁され、レイプされ続けた。
隙をみて命からがら逃げ出したデイブ。
窓の外から手をふるジミーとショーンに、デイブは手を振り返さず、カーテンを閉ざした・・・・・・。

十数年後・・・。
貧しさゆえに、嫌な思い出とともに、この街で暮らすしかない
彼らは、それぞれに傷を抱えたまま、大人になっていた。

デイブにはまだ幼い息子が1人。優しい妻と静かな3人暮らし。

ショーンは刑事になっており、州警察で激務をこなしているが、
妻はお腹に赤子を身ごもったまま家出したっきりだ。
日に何度となく、無言電話が妻からかかってくる。
電話のむこうで、妻は口を開こう、開こうとするが諦め切ってしまう。それでもひたすら話しかけつづけるショーン。

ジミーは今は表向きは小さな雑貨食料品店を営み、堅気の暮らし。
でも、若い頃はチンピラで、今でも影で街を牛耳っている。
愛情深い妻に、3人の娘。
長女ケイティは19歳、お年頃で、ジミーも何かと心配だが、
反抗的なところもなく、とてもよい娘に育った。
ケイティは前妻との子だ。
次女はそろそろ初聖体拝領を迎える9歳、末娘はまだ幼い。

女友達と夜遊びに行くと、倉庫にいるジミーに伝えにきたケイティを、機嫌よく見送ったジミー。娘を信頼しているのだ。
・・・だが、これが娘との最後の会話になろうとは・・・。

ケイティにはブレンダンというBFがいる。気の優しい、好青年だ。
だが、ジミーは何故か執拗なまでにブレンダンを忌み嫌う。
だから2人は内緒で交際していたのだ。
娘に気がある男を疎ましく思うようなレベルではなかった。

明日のデートの約束をして、ケイティとブレンダンは別れる。

その夜遅く・・・。
バーに一杯やりにきていたデイブは、カウンターに飛び乗って
酔って踊りまくるケイティを見て、最近の若いコは、とあきれる友人に相づちをうった。

深夜3時すぎ。
血まみれでデイブが帰宅する。怯えるセレステ、混乱して真っ青なデイブ。
強盗に襲撃され、切りつけられた、と傷を見せ手当をしてもらうが、病院行きは拒む。カっとなって、路面にひどく相手の頭を打ち付けた、殺したかもしれないと・・・。
セレステは怯、表面的には夫を励まし慰めながら、夫を恐れ、気持ちが離れてゆく・・・。

翌朝。
公園脇で、血まみれの車が発見された。
遺体は無惨な姿で、公園の奥で見つかった・・・。
ジミーの娘、ケイティだった・・・。

いったい、誰が、何故!!??
ジミーの胸は怒りと悲しみで張り裂けそうだった。

この事件が、近所に住みながらすっかり疎遠になっていたジミー、デイブ、ショーンの3人を、再び引き寄せることになる。

3人の軋んだ関係はどう転がり、運命的な結末を遂げるのか・・・・・。


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コメント用ライン


ちょっと、この映画には言わせてもらいたいことがある。

問題は、この映画がクリント・イーストウッドの映画だということ。
常に、弱きを助け、強きをくじき、正義が勝つということ、
そして、悪よりもさらに「強く」なければ正義の実現はないということ、そして時には「権力」に逆らって「ルール違反を覚悟で」
ゴリ押ししなければ法で裁けない悪は滅ぼせない・・・
そういう映画、彼の主演映画に(そして製作に関わった映画に)
多くないだろうか。

クリント・イーストウッドは、そのまま、「強く正しいアメリカ」
の象徴なのだ。

そこへ、これである。
映画にはいろいろな見方があって当然だが、本作はあざといまでに
政治的なメタファーが強いというのは、多くの方が感じたことではないだろうか。

11歳。

ジミー:スリル大好き、周囲はとばっちりをくらうが、カリスマ性でリーダー。
ショーン:正義感があり、いい子でいたいが、いまいちジミーの
押しの強さには逆らえない。
デイブ:直接的なジミーの被害者ではないが、結果論として
被害者

大人になって再会した3人。

ジミー:表向きは商売上手で名実ともに街の顔。昔はワルかった、そして実は今も裏では後ろ暗いことをしているが、立派な社会人のフリ。
だが、家族や兄弟、仕事仲間を愛する心はとても強い。同胞意識の強さ。そして、娘の初聖体拝領にうるうるするカトリックである。
人殺しだが信心深く(矛盾と自己正当化)、教会と国旗に敬意を払うということ。

ショーン:正義のために身を粉にして働くことで、過去のトラウマから逃げようとしている。とても立派な社会人で、後ろめたいことは何もないが、人望も薄く、存在感が薄い。
言うべきことがきちんと言えず、頼りない。
声と態度のでかい強引な同僚にいなされている。

デイブ:長い長い自分の中での闘いに苦しみ、心が病んできている。森から抜け出せない。
抑圧されたストレスとトラウマが、暴発して人を死にいたらしめる。

ジミー:同胞を守るため、同胞への復讐(9.11)のためなら、
犯罪行為も厭わない、証拠隠滅も手慣れたもの、「正義の遂行のためには、多少の誤爆もいたしかたなし、と開き直る強いアメリカ」

ショーン:正義の象徴のはずだが・・・。自らの存在意義は理解し、職務には誠実に励むが、もっとも見逃してはならないところを、圧力に押され、また、利害関係から、目をつぶる、「国連」

デイブ:抑圧された怒りが暴発。人道的に許されないことを
してしまう。家族、友人(同じ宗教の周辺諸国)にも理解されず、孤立し、追い込まれていく「イラク」

3人の名はコンクリートに刻まれ、それは生涯の堅い絆を示すように一見見えて、ジミー(米)とショーン(国連)は、微妙な共犯関係となり、一生、互いを監視し、縛りあうだろう。
デイブ(中東)の名は、その人の人格を表す「名前」になっておらず、意味をなさないものとして切り捨てられる。
存在も、切り捨てられる。

当然、クリント・イーストウッドは、辛辣な皮肉として
メッセージを発信したはずだ。そう信じたい。

だが、強きものが復讐の名のもとに、自らの銃で裁く、
「西部劇の正義」の王者のメッセージを、誤解する米国人は
いないのか?危険な賭けだな、という不快感。

日本人は、「ちゃんと、後味悪く感じた」人がほとんどではないだろうか?なんでよ、そんなの理不尽じゃないか、誰1人救われない(命だけでなく、魂も)じゃないか、なんなんだよ!
そういう、怒りや憤りを持てたなら、制作者の意図は通じている。


さて、政治批判を持ち込むには、ブラックコメディでやるのが基本。誤解が少ないからだ。
「ボーリング・フォー・コロンバイン」にしろ、「スリー・キングス」にしろ、笑えるから、いいのだ。

ブライアン・ヘルゲランドの脚本だというので、かなり期待していたのだが、ここは激しく期待はずれ。
もともと、犯人当てや真相の追求に力が入っていない(物語の
目的が違う)ので、当然、ミステリー要素は甘い。
では、濃厚に「人間」を描けたか?といえば、さぁ、どうだろう。
人物がことごとく、何らかのメタファーと化しており、人間味が
そこにはない。

冒頭、デイブを傷つけた大人は、豊かすぎて変態が増殖した自由の国、アメリカの毒素だ。
自分の力を見せつけたくてあんな提案をした11歳のジミーも、
アメリカの毒素だ。

運命はまわりまわって、2人の変態は獄死、ジミーは最愛の娘を殺される。長い長い長いヒモで、気づかぬうちに自らが絞めた首だ。
まさに天に唾。

これだけ象徴として描かれてしまうと、人間をコマにしたチェスのようで・・・・。

ヘルゲランドはもともと、若干まわりくどい脚本を書くように
いつも思ってはいたが、娯楽作だとつらくない。
今回は、辛かった。
くどくどと、同じ心理描写が繰り返され130分を超える。

妙に過大評価される演技にも、めずらしく文句つけたい。
いや、悪いのは俳優じゃないのだ。そこは誤解なく。
評価をするほうに、だ。また、映画を普通に楽しむ
一般の視聴者は、誰を凄いと賞賛しても200%自由だし、
感じ方は100人100色。
だが、「批評家」という看板をしょった方は、そうもゆくまい。

ハリウッドの映画は、わかりやすくてよいのだが、
顔を覆って泣く演技は難易度が低い。
廃人の演技もだ。

プロが賞賛するほどのすごい演技ってあったっけな。
心の奥にズシンと響くようなセリフまわしや、行間の演技。

敢えていうなら、いちばん存在感を薄くきちんと演じていた、
ケビン・ベーコンが秀逸だ。
本来、一番濃いキャラなのだが、押さえた演技というものを
知っている。
ミスティック・リバー。
それはショーンの心の中で密かに静謐にたたえたまま、
決して流れない川でもある。

ジミーの罪悪感は、甘言に洗い流された。
いや、もっと正確に言えば、ジミーのミスティック・リバーは
流れている、そして流れてゆく。
正当化、守った、復讐した、という大義名分のもとに、
今でなくても、いつか確実に流れさる。

独立記念日のパレードを「生き残った家族」で揃って
微笑んで見つめるのだ。
ショーンは、パレードはただ眺めていただけ、傍観者である。
秘密を握りつぶし、気に病みながらも、傍観するほかない。

父親を売った母親を一生憎悪するであろう幼い息子は、
パレードでうつむく。アメリカのお祭りなんて楽しくない。
母親は哀れっぽくすがるが息子には無視される。
スパイ<密告>した母親。CIAのメタファー。
これもまた、アメリカの毒素。

これがアカデミー賞でもてはやされたということは、
アメリカの映画人は、自国のイタいところを批判した精神に敬意を払ったということか?それなら、いいんだ。


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