泥沼
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愛とか、夢とか妙なことをいうやつは嫌いです。 何のことやらわからんからです
愛とか口癖ですいません。 稲垣足穂の言葉らしいです。 「一千人の言葉集」から。→ttp://www.honokasha.com/e-komo/
どういう基準で選んでるのかは良くわかりませんが。 多分選者のシュミでしょうね。
自分を嫌っている人には、 それを上回る「好き好きオーラ」を出すことですね。 それはきっと返ってきますよ <篠原トモエ> この人結局なんだったのか良くわからないんだが。アイドル? 面白い人だな。
死ねば私の意識は 確かに無となるに違いないが、 肉体はこの宇宙という大物質に溶け込んで、 存在するのをやめないだろう。 私はいつまでも生き続けるのだ <大岡昇平> これが日本人の死生観だよね。 だれに教えられるわけでもなく、 ある日ふと、自分の中にあることに気付くような。 それは幼児洗礼者でも同じなんだからね、 日本という土地におけるキリスト教土着の難しさって、やっぱりね。 生まれた地、環境、文化って言うのは、それだけ深く影響を与えて私達の性質を作り上げてるんだろうなあ。 でもそれらを混ぜ合わせていいところ取りするのはそんなに悪いことだろうか? 偏執的に一つのものにこだわる方が、危険だと思うんだが。 そもそもカトリックって言うのは普遍的という意味なんだから。 よりいつの時代にも適合するもの、 時代が、人が求めるものを与えてくれるものであるべきだな。 まぁ現代人は自分でも自分が何が欲しいのかわからないからな。 神様もどうすりゃいいのかわからんので手をこまねいていることでしょう。
死をはじめて想う。 それを青春という <山田風太郎> 終わりは来ないのかな? 「想う」という言葉のニュアンスはどう捉えるのか人それぞれだし。 言葉はむずかしいな。 初めて死を想ったのはいつか覚えている人がいるだろうか? 私は覚えていない。 かろうじて記憶が残ってるのはンンン…ダメだ。 情景は思い出せるが何歳だったかわからん。 だって子供って自分が何歳かわかってなくね?私だけ? 少なくとも小学校上がってからだな、自分の年齢なんて気にしはじめたの。
こうして人々の言葉を読むとやはり心が落ち着くもんですな。 言葉はその人が生きていたことを示す最も確実な不確実な証。 結局は言葉って読む人の経験に基づいてしか理解しか出来ないから。 同じようなことを経験したから心に響いてくるんだろう。 言葉にされた時と文字として読まれる時と、 それはもうものすごい意味が変わってしまっているだろうけど。 そりゃあ仕方ないわなあ。 意思そのものを伝えるってのはできないもんなあ。 言葉は難しいなあ。 クソーもう全然書けない!グガガ。 うう、ガンバレ超ガンバレ。超だ超!
最後に 死を間近に意識した人の目に映る風景は、 なぜこうも光に輝いているのか <柳田国男> 死が間近に迫っているのは何も病人や老人などの特別な人に限ったことじゃない。 人間なんていつ死ぬかわからないしなあ。 気が遠くなるほどのラッキー、偶然が重なって、 ほんとにたまたまここまで生きてこられたわけで。 それってスゴクねぇ!? という感動を持っていようということで。
最後の最後に 男にはな、何をやってもダメという時がある。 いいか台場、そういう時男はな、 黙ってただ寝てればいいんだ <松本零時> 『宇宙海賊キャプテンハーロック』 女性はどうすればよろしいんで?
うおー今まさにダメなんすけど。昼は寝ちゃいましたけど。 果報は寝て待て、か。 ムリムリ、今は少なくとも寝たらヤベえよ?
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