泥沼
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2004年05月24日(月) 幸せな日

今日は良い日だ。
久々に絵チャットにいって落書きばかりして。
うろ覚えの○ラエモンやアンパンマ○を描いて。(プリスクしとけばよかったな)
寝たのは4時過ぎだったけど、遅刻ギリギリの6時49分に飛び起きて。
学校では創立記念日式典みたいなので色々あったんだけど。
準備も片付けも手伝って。
良い話も聞いた。
すべての愛は家庭から始まり、すべての平和は家庭から始まる。
はい、これテストに出るよ!よく暗記して!(笑)
まったくもってその通りですよ。
もちろん、家庭を越えて環境や社会の動きも、影響を与えてきますが。
やはり一番初めの大事な部分を作るのは家庭です。
とてもカトリック的だなあと思いましたが、こういう部分は好きなんです。
ただ、旧約の世界や形式に拘るのが嫌いで、洗礼というシステムと、ミサもあまり好きじゃありません。
ミサはキリストが、これを取って食べなさい、同じように行いなさい。
と言ったから今日にも行われている儀式ですが。
形骸化した、うわべだけの、心の交流のない儀式ならする意味はないと思いますね。
繰り返される同じ言葉。毎年、毎週、毎日。うーん、微妙。
はいそうです、反抗期でーす。(笑)

カトリック的なものとしてまず思い浮かぶのは聖母マリアですね。
今日の式典みたいなのも聖母にまつわるお祭りなんですけど。
母は家庭の象徴ですからね。むしろ家庭そのもののイメージ。
だから親しみやすい。
「お願いしますイエスさま」とか「助けて神様」よりも、「お願いしますマリアさま、どうかお助けください」のほうがやりやすい。気楽。
何でだろうねえ。
なんかイエスは根暗なイメージあるからねえ。
傷だらけのボロボロ(つか死んでる)だからお願いするのも気がひけるって言うか。
そうだなあ。イエスはむしろ、助けてくれる存在ではなくて。
助けてあげたい、手を差し伸べずにはいられない、そんな弱きものの象徴なのかもしれない。

そんでだいぶクタクタで空腹で、電車下りるの忘れそうなほど寝コケながら帰宅。
遅めの昼食を食べて、ビデオ見た。
007だ。はじめて見たよこのシリーズ。
そしたらばあちゃんに呼ばれて。
なんだよーと思い降りると、おいしいから食べようとブルーベリー大福?をくれて。
正直腹いっぱいなんで大して欲しくなかったが気持ちがうれしかったのでお茶を入れてから食べた。
なんだかこんなことはものすごい久々だ。ほんとに!
ばあちゃんと二人きりになるとじいちゃんの悪口や愚痴ばかり聞かされるから、ここ何年も敬遠してたし。二階に上がりっきりだし。
なんかもうさあ、たいしたことじゃないのに胸がいっぱいになったね。
何でもっと婆孝行しないんだろう私は!ひどい孫だ!
無性に泣きたい気分になった。(泣かないが)
着物の宣伝が来てたのでその着物がどれもろくなもんじゃない話をして。
もらってきた花の話とか庭の話とかして。
沈黙で気まずくならないか少し心配だったけど、それを抜きにしても久々の穏やかな時間だ。
こんなに幸せなのに。どうして幸せじゃないときもあるんだろう。
ばあちゃんは寂しいのかなあ。こんなに家族が多いのにさ、ロクに話なんてしないもんな。
何だかんだいって、子供や大人は忙しいから。老人は孤独になってしまう。
昔は、子供もヒマだったから釣り合いが取れてたけど。
今は子供が忙しすぎる。イライラしていて周りに当たる。
私がもう少しヒマで大人で大金持ちだったら広い庭がある家で二人で暮らせるのにね。
じいちゃんと別居させられるのに。
でも今日は良かった。それだけじゃない。
父親が珍しく早く帰ってきた。7時だ!
で、めずらしーく親子5人だけで食事をした。
兄貴は早めに食べ終わって去る。
そしたらさー弟が残したり口の利き方が生意気だったりしてまぁ、突っかかったりしてしまったんだが、それはいつものことなので置いといて。
弟中華丼嫌いで丸々残しやがって、だから中華丼の話になってね。
おじいちゃん(じいちゃんじゃない方)が、中華丼を作ってくれた話をしてね

おばあちゃんがいなくて、それで中華丼作ってくれたんだけど片栗粉がだまになってて気持ちわるかったーって。
なんか片栗粉にこだわりがあるらしくってさ、片栗粉溶いたやつに干しぶどう入れてさ、それがまたダマがあって気持ちわるーいの。
とかねえ、うれしそうに話すのさ。
父からおじいちゃんの話聞いたの初めてだよ?
おばあちゃんのお葬式のときに少しそういう思い出話も大人達はしてたけどね。
こうやって父と食卓を囲むのも、父の家族の話を聞くのも久々のことで。
あー、幸せってこういうことだなあって。しみじみと。
おじいちゃんは父が小6の時に亡くなったから、ほんとに幼いときの話だよね。
そういう話をうれしそうにする父を見て、ああ、この人も恵まれて幸せな家庭で育てられた人だなあって思った。
家庭。
家庭という言葉を使うだけで、なんだろう、鼻で笑われそうって言うか。
若い人って、家庭というものをバカにしてるところがあるよね。
ないがしろにしているというか…そう、カッコイワルイと思ってるんだ。(笑)
まあねえ、仕方ない部分もあるけれど。
良い家庭なんて幻想だ、そうそうドラマみたいにはいかない。
たしかにそうなんだけどね。完璧な家庭ってのは無い。ありえない。
ただ、より良くしようとする、構成員たちによる努力の問題ですよ。
どれだけより良い家庭にしようと努力するかですよね。
若い人も、早く家庭の尊さ(自分で言ってて臭い)に気付いて欲しいなあ。

そんなお偉いことをのたまう私も、家族であるはずのある一人に憎しみに近い気持ちを感じてしまっているわけで。
他の事物によって発生した負の感情まで集めて、その人一人に振り向けてしまっているのかもしれない。
でも憎むことをやめるというのはとてもとても難しい。
普段は何を言われてもケロっとしてるか落ち込むだけで、人を恨んだり憎んだりしない人間なんだ、と。自分自身そう思っていたんですけど。
みんなを少しずつ憎むより、すべての憎しみを一人に向けてしまうほうが不健全ですし、恐ろしいことです。
できるだけ、耐えて、なにか解決法を探さなくては。
大丈夫、私は完璧ではないけれど幸せな家庭に育ったんだから。
それだけで十分これからの一生を、自信を持って生きていけるだろう。
私だけじゃない、ほとんどのみんなは幸せな家庭に育ってる。
だから大丈夫。
必要なのは気付くきっかけと感謝の気持ちだけ。

最近宗教づいてきてるのは勉強のための準備ですよ。
今から気分を高めて、神を降ろすのに備えないと。(笑)


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