泥沼
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すっかり風邪ひいてしまった…。しかし熱はない。 ただでさえ少なめな、これから減っていく脳細胞が熱で死滅しせずに済むのは助かる。 それとも頭をたたかれたり熱を出すと脳細胞が死ぬっていうのは迷信?
今日は医療管理・医療秘書学の特別授業・・・・・・。 面白かった! 介護保険も悪くなかったんだけどね。 だって今日は360分があっという間だったぜよ。 そりゃ風邪で半分トリップしてたせい? 鼻が詰まってて居眠りできなかっただけ? いやいや、たぶん違う? まず教科書からして素敵なんだよね。 医療管理といえど、結局事務だからなあ。 事務って何すんの、雑用とお金の計算? とか思ってたんだけど。奥が深いんですねえ。 医療管理はその名のとおり、管理をするんですね。 先生によれば、専門家達が集まっている病院と言う職場でが潤滑に機能できるように、時にはパイプとなり、時には潤滑油となるそうな。 (パイプと言えばゼノ神父だな) まさに管理職。きっと胃に穴が開きそうな、忍び耐える忍耐の日々でしょう。 客(患者)から同僚から上から…。 しかしやりがいはありそうだ。 たとえ実際の治療行為には関わらないとしても、医療の現場で働けると言うのはとても興味深い、良い経験が出来そうです。 もちろん、同じかそれ以上に辛いことは多いでしょうけど。 どうせ職は無くてもとっておくと後々役に立つでしょう、資格は。 だから、うん、がんばって勉強して資格とろうな。 本当なら最前線で患者さんと接し、さまざまな雑用をこなすような仕事にも憧れるけど。 奥で楽してる、というイメージがありましたからね。 でも、そんなこと無いんですね。 なんだって仕事は大変なんだもんな。
今日の先生はあまり雑談を挟んだりしないんだけど、そのほうが良い。 資格取取得を目指す授業なんで、楽しませようなどという気遣いは無用かと。 聞かない奴は落ちろ。(先生としちゃそうはいかないんだろうけど) つまらない雑談は飽きさせないようにとの気遣いだけど、逆効果ですだ。 なんだろうなあ、私は年寄りくさいんだろうか。 同年代の人たちとの隔たりを感じてしまう。 授業中に飲み物を机の上に出しっぱなしだったり、あまつさえ駄菓子を取り出して食う輩まで。 殆ど同い年(基本的に皆18〜20歳)なのにジェネレーションギャップ…。 根っこが田舎者だからなんだろうか…? 生真面目?確かに、確かに変なところが神経質なのは自覚している。 本当にキッチリしなければいけないところがだらしなく、どうでもいいところをきっちりとさせなければ気がすまないような。 そういう的外れな神経質さを父から受け継いでしまったのだ。 父を見る限りこの偏執的な几帳面さは、生きるうえではまったく役に立たない。 多少笑いを取るのに役立つくらいだ。人から見ると滑稽なので笑える。
それはともかく。
最近の若者は年長者に対する敬意と言うものがなってない。 年上というだけで威張られちゃかなわんと?そりゃそうだな。 でもな、君はずっと座ってるけど先生は360分間立ちっぱなしのしゃべり通しなんだぞ? 黒板に字を書くということがどれほど大変なことか知ってるか? 少なくとも黒板消しで字を消すのが大変なのは知ってるはずだよな? その上粉は吸い込むは手は白くなるわで。 授業の内容だって悩みに悩んでまとめで工夫してきてるんだぞ?(多分) 例え多少授業内容をつまらなく感じても、熱心に聴くくらいの誠意はあって然るべきかと。 なので、他学科、他学年の多い授業を受けると。いつも情けなさと疲労を感じてしまう。 日文はまじめでおとなしめな子が揃っているので快適。 どの子とも、そんな親しくしてないけどね。 「ずっと同じような話で飽きちゃったでしょ」、と申し訳なさそうに仰る先生に「ねむーい」と。 いっそ「そんなこと無いです、とても面白いです。」とか言いたかったさ? しかしそんなことを言ったもんなら、とても寒いことになるのは想像に難くない。 教室にブリザードが吹き荒れるだろう。 いい子ぶりっ子というのは白眼視されるものだ、いつの時代も。 それが本心だとしてもだ。 どの時代も、典型的な「良い子」が一番親しい友人だった。 私はひねくれて、少々天邪鬼な「良い子」なんで、まっすぐな友人を見ているのはとても快い。 そしてまっすぐすぎて生きにくいだろうなあとも、心配していた。 敵を作ることを考えていない、あるいは恐れていないのだ。 そういう意味では、私は少しは要領がいいのかもしれない。 自分の感情を抑えて人の顔色を伺うのは、決して気持ち良いことではない。 そんな自分にうんざりするときのほうが多い。 シミュレーションしすぎなのだ。それで、考えるだけで動けなくなる。 まっすぐすぎでもひねくれすぎでも生きにくいのは同じか。両極端。 性格は正反対なのに、気が合う。 凸凹コンビが多いのは互いに補い合い刺激しあうことが出来るからなのかもしれないな。 しかし今は離れ離れ。連絡すら取りあってないなあ。 ひとつの奇跡。そうかもしれない。 6年間もほぼ毎日ずっと一緒に過ごすって…ホント、一種の奇跡的体験だね。 しかも赤の他人と! 夫婦生活を送るようになればそれを越えるものにもなり得るかもしれないけど。 やっぱり違うものだろうなあ。
おっとお、思い出に浸り脱線。 あの子ら何であんなにあつかましいんだろう。 私だって切羽詰れば電車の中で食事することもある。(化粧はしないが) 眠くなってしまったら授業中に舟をこぐこともある。 しかし全然それを悪いと思ってない。遠慮が無い。 大嫌いだった中学の学長が「毛虫」と例えたのを思い出してしまう。 あの時は憎くてたまらなかったが、いい得て妙。 じゃあ彼女たちは悪いか? いや、彼女たちは殆ど悪くない。 そろそろ大人にならねばならない年齢だということを考慮に入れてもなお。 はっきり言って、アレは親が悪いと思うね。 甘やかしすぎだ。どうしようもない甘ったれだ。 私とて甘やかされて育ってきたわけだけど、自覚はしてる。 しかし全然自分が恵まれているということに気付いてないし、感謝もしてない。 恐ろしいなあ。 私も含め、知らないということは恐ろしいって、本当です。
でも、比較的静かだったし、椅子は木製で硬くてケツ痛くなったけど楽しかった。 久々に実になる授業を受けたという感じで、満足感もある。 そういう時は不思議と疲れをあまり感じないものなのですね。 ほんとに、風邪なのにさあ。(笑)
教科書で見つけた面白い言葉 CRS 中華レストラン症候群 どんな症候群だ!?興味津々。
どうも私は息継ぎが下手らしい。 歌だったら肝心なところで息が切れてしまったりとか。 文章もぎっちりと詰めすぎて、息を抜く場所が無い。そのくせ突然切れる。 水泳だってそうだ、息継ぎが出来ないから泳ぎ続けられない。 どれも、見通し、つまり計画を立てないところがダメなんだろうな。 あと、リズム感無い。土壌となる教養も無い。 無いものを数えたらキリが無い。有るものは無いのか。 極少ないネタからペラベラといくらでも出てくるところはちょっとえらいよ? がんばれ?(笑)
そうそう、絵が描けないと最近悶々してますが。 こんなもの↓は描いてるわけです。 弁護のために言いますがこれはノートとらなくていいよといわれたけど自主的にとったものですよ? だから適当気味なのですよ?

なんか言うことあるから戻ってきたんだけど、パソコン立ち上げたら忘れた。 どうせたいしたことじゃない。言い訳とかだな。
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