職場のセミナみたいなものに行動ファイナンスの先生が来ていろいろとお話をしていただきました。証券市場のアノマリの存在を確かめたり、それが心理的要因によるものであることを確認したり、非常に興味深かったです。しかし、行動ファイナンスが強調するような側面が証券市場に強いとすると、株価の「望ましさ」というのはどう評価すればよいのでしょうか。効用関数を最大化する個人が取引をする市場でついた価格に従うことによって、個人の効用なり社会の厚生なりが最大化される、というのが、株価の指標としての「望ましさ」だと、ぼくは理解しています。それなのに、取引をする個人はとくに効用を最大化することもなく…というよりも最大化しようとして心理的要因にひっぱられて「非合理的な」行動を取っているとすれば、「非合理的な」個人が集まった市場が形成する価格というのはいったい?ということになるのではないかと。その「望ましさ」を評価するにしても、そもそも効用関数の最大化なんぞしておらん、ということになれば、「望ましさ」の評価基準はどこへいってしまうのかと。「心理的要因がなければ最大化したかったところの効用」ということになるんでしょうか。あ、個人は価格には影響力を持たないから関係ないんですかね。え、そういうオチなの? 行動ファイナンスがたぶんに事実解明的なアプローチを取っていて、規範的なアプローチにそぐわないので、質問の仕方自体がずれているんでしょうけども。
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