職場で回覧を眺めていたら、田中秀臣なる人物が「学者が斬る」と称してエコノミスト市場について「分析」をしていました。ぼくがシンクタンクに入社したときに最初に学んだことのひとつは、「『世の中を斬る』なんてことは到底できないし、オマエのいうことなんて誰も聞いてくれないんだから、せめて数字を出して傍証を積上げろ」ということだったので、この連載自体にあんまり好意を持っていないのですが、こと身近な話題となるとつい読んでしまいます。前半部で言っていることはおおむね正しいと思いますし、金融機関の統合が進むなかで、銀行証券系の調査部門が相対的に縮小し(情報生産の限界費用は極めて少ないこと等による)、大学のほうは少子化に伴ってこれまた市場規模が縮小していることから、エコノミスト市場の「需要」は減少の一途をたどっています。他方、大学院拡充政策の一環として経済学の修士課程へ進学する人数は増加しており、その意味では「供給」のほうは増加しています(ここのところ、使えない人材が多いことを以って「需給ともに減少」というのは誤り)。景気予測・情勢判断を主な任務とする金融機関系エコノミストと、政策提言を目指す官庁日銀エコノミスト、さらに大学のアカデミックな経済学者をいっしょくたにしたとしても、エコノミスト市場の特殊性に鑑みれば、ここからなんらかの「政策提言」を導くのは容易ではないと思うのですが、この人物はあにはからんや、リフレ派でありながら、供給の制約と雇用の流動化、「サラリーマン根性の打開」という極めて「シバキ的構造改革」を提言しているのであります。
もちろん、まっとうなリフレ派が主張するように、市場構造の改革は不可欠ではありますが、さしあたっての解決策は、任期つきでもなんでもよいから、増えつつある文教予算等を活用して失業中の大学院生を雇いつつソフトランディングを図り(僕をみよ)、あるいは地方政府や中央政府の外郭団体、あるいは政党シンクタンクに場を与えるとともに、経済学的思考が政策立案に役に立たないまでも有害ではないことを周知する、というのがより「現実的」ではないかと思うのですがどうなんでしょうか。
ええまあ所詮、研究者は虚業ですから、途上国のお手伝いをするとか、もっと地道にやるべきことをやっておく、というのも大事ではないかと。他方、優秀な人材は留学てもなんでもさせて基礎研究に没頭できる場を作らんとあかんのではないかとおもいます。大学は雑事が多いと聞きますからなあ。ま、そのぶん、優秀でない研究者はもっと雑事をこなさんとあかんのでしょうが。あ、木曜からの研修の準備せんと。