日記帳

2004年12月11日(土) 一喜一憂

昨日、比較的早くに帰宅した夫が「朝刊見た?」と興奮気味。勤務先か、それとも客先のニュースか、と考えていたら、「これこれ」と見せられたのが「吸入インスリン」の開発に関わる記事だった。おお。

インスリンは皮下注射するしか今のところ手立てはないのだが、喘息の薬のように吸入できるようにする技術が、日本国内の某メーカーと某大学とで共同開発されたとのこと。おお。

開発のニュースも嬉しいが、その記事を見つけたと嬉しそうに教えてくれる夫もなかなか妻として嬉しい。別館を更新してしまったくらいだ。

ああ嬉しい、とわくわくしたのも束の間、今度は逆に落ち込んできた。

開発されたって、実用化されて娘の痛みが実際に軽減するのはまだまだ先のこと。吸入インスリンだけじゃない、膵島移植にしろ、出血せずに測れる血糖値測定にしろ、娘がその恩恵にあずかれるのはずっと先だ。

明日も明後日も、娘の指先に穴を開けて血を出して測定はしなくてはいけないし、「痛い」とごねる娘の丸い小さなおしりには注射しなくてはいけない。泣こうがなんだろうが母はしなくてはいけない。

このところ娘の病気に関しては、感情の振り子が振れないような生活を送っていただけに、振れ始めたら振り回されてしまうカーサン。なんだか悲しくなってきて、ひとつぶ涙が出たら止まらなくなってしまった。

娘に添い寝しながら、無邪気な娘のつぶやきや小さい手やほかほかの体温に慰めを求めてカーサンからくっついてしまう始末。

勝手なもんだなあ。自分が弱っているとき限定で、娘から注がれる愛情に敏感になる。いつもなら効率とか義務とかで後回しにしている、娘から「受け取る」ということで涙を止めようとするなんて。

そしてふと思う。娘も幼稚園の年長さんや小学生になったら、自分自身で測定も注射も出来るようになるかもしれない。カーサンが手伝ってやれるのは、あとほんの数年だけだ。娘はそのあと、ずーっと自分でし続けていかなくてはいけない。

発症年齢が低いということは、娘の痛みを自分の痛みとダブらせて感じ取ることが出来て、本当は幸運なのかもしれない。

本当に幸運なのは、「インスリン」という物質が既に発見されているということなんだけど。不満や愚痴はパワフルで、つい感謝は後回しになってしまう。冷静に、冷静に。

ま、たまには泣いてガス抜きするのもカーサンには必要なのかもしれない。それで明日から笑えるのなら安いもんかも。


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