いただきます。...じゅん

 

 

ここまで経ったから - 2003年04月10日(木)

ずいぶんと長い間、日記をほうっていました。
書ける状態では、なかったんだよね。

えーと。
うつ病で半年以上仕事もなにも手につかない状態でした。
まーさんのせいでは、ないよ。

もともと札幌に来る前も、じゅんは精神科に通院していました。
人にすごく迷惑をかけて連れて行かれたというよりは、
辛くて辛くて、眠れなくて睡眠薬欲しさで通い始めたわけですが
うつ病の薬が、あんまりにもすっぱりと効いてしまいまったため
通わざるをえなくなったのでした。

鬱は「こころの風邪」といわれるほど罹ることの多い病気だそうです
生涯を通せば10人に1人は経験するのだとか。

落ち込みやゆううつと見分けがつきずらいから、
そんなことで悩むのは心が弱いせいだと
自分で自分を責める日も相当にありました。
でもね、風邪だってムリしていたら、普通は治らない。
暖かい布団、栄養。場合によっては薬。
そう言い聞かせて過剰に悩まないように通っていました。

札幌に来て、まーさんと暮らし始めて
当然通院・服薬はストップ。
最初はもう状態が落ち着いていたこともあって、
優しく穏やかに時間は流れました。
だけど、いろんな事が起こるたび、落ち込んで浮上できなくて
どんどん苦しくなっていくようになりました。
何とかしなくちゃと焦って無茶を繰り返す姿を
多分まーさんは痛々しく思っていたのじゃないかな。

そして、限界。
死だけが頭の中を巡って、それに吸い寄せられる。
ここで自殺したら、まーさんの立場がないという思いだけで
日一日を踏みとどまりながら過ごしている。
ただ、どんなに暴れても自分を痛めつけることを繰り返しても
まーさんはそばにいてくれた。
私は、生に踏みとどまることが辛くても、それでも彼と居たかった。

自分の中での戦いの日々が続きました。
そんな日々でも料理だけは、作っていたんだよね。
新作を生み出せるほどのエネルギーはなかったけれど、
キッチンに立つ時間がまーさんの愛と同じ位私を支えたのは間違いない

食べても味なんて感じられない日々なのに、
私が作りつづけたのは、
そんな日々の最中でも、当たり前のことのように
「いただきます」と笑ってくれるまーさんの笑顔と
湯気の暖かなぬくもりのせいだったと思う。

私が存在しているという事実を許せずにいた東京時代と
今は明らかに違う。
私の作るものを待っててくれる人が居るからね。

2月から別サイトで1行日記をつけ始め休みなく続いています。
それでようやく、安定してきたと思えたから。
そして、またこうしてちょっと間があいて恥ずかしいな
なんて思いながら日記をつづり始めようと思うのです。


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