Opportunity knocks
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朝。洗濯やら掃除やらをやっつけて早めに電車に乗る。 わたしの住んでいるところから県の中心の市まで約30分の道程。 電車の中では特にやることもないのでぼんやりと窓の外をみたり中吊りの広告を意味もなく眺めたりしているのだけど、 最近は微妙に不愉快になることが多くなっている。それは化粧女とか携帯女とかのせい。 今日は、目の前に座った女が大きな折りたたみ鏡をとりだして化粧のメイク直しをはじめたので微妙に気分が悪くなった。 なぜ化粧女をみると微妙に気分が悪くなるのか?公衆道徳を逸脱しているという行為からか?まあそれもあるけど、いちばんの理由はたぶん醜いからだろう、と自分ではおもっている。 実際今日目の前に座った女はすごく醜かった。念のために書くと、わたしは美醜というものは単に体の造作で判断されるものではなく、その人の内面というものが反映されてはじめて判断できると思っている(まあ当たり前の話なのだけど) マスカラを慎重に塗っているときの真剣な目つきとか、安っぽい人形みたいな赤茶けた髪とか、ミニスカートなのに蟹股のとことか、見ていて物悲しくなる。わたしを物悲しくさせるその女に対して不快になる。 別に何の関係もない女だから、無視しようと思えば無視できるのだけど、でも同じ人間、同じ女だと思うだけでなんかだめなのだ。物悲しい気分で電車を降りる。 やな気分を払拭するため、金山というところから目的地の県美まで歩く。途中途中にいろんなお店があったり、いろんな人がいたり、そういうのを眺めながら歩くのが好き。天気は申し分ないくらい良かったし、足もなんだか軽くて良い散歩になった。
11時くらいに着いて早めにご飯。鈴波で銀だらをたべる。 ここの魚は病みつきになるくらいおいしくて、一人のときはたいていここで魚をたべている。とてもおいしかった。 ご飯をたべたあとゴッホ展。お昼時なら人が少ないかも、とねらって行ったのだけどやっぱり甘かった。エレベーターを降りた途端、拡声器を持った人が「ゴッホ展にお越しの方はこちらの列にお並びくださあーーーい」と声をはりあげていた。 たぶんこれまでいった展覧会の中でいちばん混雑した展覧会だったんじゃないかな。
で、感想。全部観終わった結果からいうと、やっぱり観にきてよかった、とそう思えるような展覧会だったとおもう。ゴッホの絵というのは一般的にその常軌を逸した行動から感情的な絵というか、おもいきり内面をぶつけたような絵という風に解釈されがちだけど、実はそうではなかったのだなということが観ていてなんとなくわかった。 ゴッホという人はどうやって芸術を発展させていけばよいかという明確な論理や確固とした決意みたいなものを誰よりも持っていたんじゃないかな。実験的、研究的に描いた絵も模写を含めて数多くあるし、同時代の画家たちに対しても、ただたんに絵画仲間としてだけでなく分析的にみていた感があるし、ほんとうに真摯に純粋にそして意欲的に絵を描いていたんだなとおもった。そして周りの多くの人にそういう考えを受け入れてもらえなかったのが、ゴッホの苦しみだったんだなと。 苦しみの多い人生だったのかもしれないけれど、それでもキャンバスに向かって絵を描いているいるそのときだけは、生き生きとしたある意味幸せな気持ちだったのではないかと、ひとつひとつの絵をみて歩きながらそんなことをおもった。
展覧会を見終わって小確幸な気分で再び電車にのる。 その電車の中でちょっと良いものをみた。 普通に混雑している車内で、かなりくたびれてそうな中年のリーマン風の人がごく自然に席をたって、大きな荷物をもった御年寄りに席をゆずっていた。御年寄りはとてもうれしそうに、その人をみてありがとう、と言っていた。 席を譲ったのが若い人や女性だったらそんな風に思わなかったかもしれないけど、その人もかなりくたびれた風なのにごく自然にそういう行為ができたというのが、みていてすごくいいなあとおもった。出掛けるときはやな思いをしたけど、やっぱりそういうことばかりじゃないんだな。 そんな感じでとても有意義な1日だった。小確幸。
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