Opportunity knocks
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2005年08月07日(日) 無題

V・Eフランクル 「夜と霧」読了。
「冷静な心理学者の眼で見られた臨界状況における人間の姿の記録」、要約するのが苦手なので訳者の言葉を引用したのだけど、まさにそのとおりのことが書かれてある本だった。
ユダヤ人である著者は、精神医学者としてウィーンでごく普通の生活を送っていたのだけど、ナチスドイツの台頭とともに、多くのユダヤ人と同じくアウシュビッツ収容所に送られたとのこと。著者はそこで家族である妻と子供、そして多くの友人を失った。

この本には当時数多くの収容所で大勢のユダヤ人がどんな死に方をしたか、そしてどんな生き方をしたのかが書かれてある。その内容はどんな言葉でも形容できないほど絶望に充ちていて、まるで鉛でも飲みこんだかのように胸がつまるのだけれど、その一方で誰にも奪う事のできないもの、決して失うことのないものを持った人間もいたのだということを証明している。

正直にいって、読んでいてほんとうに気分が悪くなるくらいの史実(本文の前に収容所に関しての解説がかなり書かれている)が限りなく書いてあって、人間はここまで非道になれるものか、何の罪もない人間をここまで残虐に扱えるのかということで最初は頭がいっぱいになった。
そこには自分もそういう人間と大きな違いはなく、状況が状況なら同じ行為をしたのかもしれないという恐怖みたいなものが多少なりあったとおもう。すべては戦争というものがなせる業なのだといってしまえばそれまでだけど、それでも人間は愚かで醜悪な生物なのだというネガティブな気持ちというのが読んでいてどんどん膨らむのがわかった。
でも読みすすめていくうちに、そうじゃないんだということに少しずつ気付いた。要するに、そうじゃない人間もいるのだということ。

本からの引用。
強制収容所の生活は疑いもなく人間の奥底に一つの深淵をひらかしめたのであった。この深みにおいてもなお人間的なものを、すなわちあるがままの人間的なもの、善と悪との合金としての人間的なもの、をみることができたのは少しも不思議ではない。あらゆる人間存在を通じ善と悪とを分つ亀裂は人間の最も深い所まで達し、収容所が示すこの深淵の中にも見ることができたのである。

何度か繰り返し読んで、ぼんやりとはあるけれどその文章の意味がわかったような気がした。ちょっと今はうまく言葉にできないけれど。

著者は精神医学の学者だからこそ、客観的にそのような人間の姿をみることができたのだと思う。それはたぶんこの暴力的で悲惨な世界において、確かな福音なのだろうとおもう。
いろいろなことを考えさせられた。




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