Opportunity knocks
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朝、新聞を読んでいたら大阪府池田市の校内児童殺傷事件の公判のことが書かれてあったので読んでみた。記事には大阪地裁での公判を終え、22日にも論告求刑が行われると書かれてあり、今までの公判の経緯や宅間被告の様子などが簡単に書かれてあった。その中でこの事件を起こした動機について宅間被告が述べたことが書かれているのだけど、それを読んで今日一日ずっとそのことが頭の隅にひっかかった。少し抜粋してみる。
「家が安定して頭の良い子でも自分みたいなアホに殺されるかもしれない『不条理』さを世の中に分からせたかった」昨年7月の第11回公判で弁護士から事件の動機を聞かれた宅間被告はそう答えた。同年8月の第13回公判では、「芦屋の豪邸に住む人もいれば汚い団地に住む人もいる」ことを『不条理』の例に挙げた。
これを読んで『不条理』というものについて考えた。芦屋の豪邸に住む人もいれば汚い団地に住む人がいるというのは『不条理』なことなんだろうか。育ちがよくて頭の良い子供が頭のいかれた男に殺されるのは『不条理』なことなのだろうか。でもそれを不条理と呼ぶなら、家が貧乏なのは不条理、親がアル中なのも不条理、汚い団地に住んでいるのも不条理、その一方で芦屋の豪邸に住んで贅沢な暮らしをしている人がいるというのも不条理、人が人を殺すのも不条理、ということになってしまう。そして『不条理』さを盾にすれば人を殺してもよいということになってしまう。
不条理という言葉を広辞苑でひいてみると、�‘四�に反すること。不合理なこと。背理。�⊆詑玄腟舛陵儻譴膿誉犬飽婬舛鮓�出す望みがないことをいい、絶望的な状況あるいは限界状況を指す。とある。
宅間被告が置かれていた状況はたぶん彼にとってすごく『不条理』なものだったのだろう。家が貧乏なのは不条理、人が自分よりうまくやっているのは不条理、誰も自分を助けてくれないのは不条理・・・。 彼の周りには道理に反すること(=不条理)、が満ち満ちていたのだ。 まさに、人生に意義を見出す望みがない絶望的な状況、限界状況だったのかもしれない。 わたしはそれは違う、ということができる。自分の置かれている状況が不条理だとは思わない。自分の人生は意義のあるものだと信じているし、自分の力で切り開いていけるものだと思っている。でも、そう思えない人もいるのだ。宅間被告のように。
宅間被告は不条理を分からせたかった、と言っているのだけど、いったい何に、誰に分からせたかったのだろうか。死んでいった子供たちにだろうか。 世の中の大人たちにだろうか。彼はそうすることで救いを見出せたのだろうか。 あまりにも悲しい人生だと思う。そんなことでしか救いを見出せないのだとしたら、生きている価値なんて本当にないのかもしれない。
考えたことの10分の一も文章にできてないけれど、今日は一日ずっとそんなことを考えていた。
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