Opportunity knocks
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2003年02月04日(火) 畏れ多い小説について

柴田元幸氏と高橋源一郎氏の対談を読む。その中で90年代の以降の翻訳文学ベスト30というのをお二人がそれぞれ挙げられていてとても興味深く読んだ。以前から気になってはいるものの畏れ多くて手が出せないでいる本が幾つか挙げられていて、ますます畏れ多くなった。例えばピンチョン、例えばドン・デリーロ。

柴田さんが対談の中でピンチョンのことはいまだによくわからないですね、と言っていたのを読んで少しびっくりする。もちろん、よくわからないというのはわたしなんかのレヴェルがこの小説、よくわからない・・などといってるレヴェルの話ではないというのは十二分にわかっているのだけど、それでも柴田さんのような畏れ多い人が正面きってよくわからない、と書かれているのは少し驚く。小説の細部を読みながら全体の構図を見るということがものすごく苦手なのだと、柴田氏は書いておられたのだけど、それを読んでなるほどなあと少し思った。ピンチョンの小説を一読して全体像を即座に俯瞰できる人間はそうはいないと思う。広大な世界をひとつひとつのピースを拾い上げて作り上げていく、そんな感じの作業を根気よく続けていってやっと理解できるというのがピンチョンの小説のような気がする。(と畏れ多い事をいっているがほとんど手に取ったこともないのです)

もちろん柴田氏のレヴェルを普通のものと一緒に考える事はできないし、すごく苦手なのだといいながら9割方理解しておられるのだろうと思うのだけど、それでも柴田さんがこれまで翻訳されたものをつらつら読んできて、柴田さんのピンチョンに対する苦手意識みたいなものが少しわかる気がした。たぶん柴田さんには自身の頭の中に存在する世界があるのだろうと思う。本を読んだり、翻訳したりする作業というのはその自分の世界に小説世界がどれだけ類似しているかを確認する作業なのかもしれない。柴田さんがこれまで翻訳されたものをみてみると、やっぱり独自の世界をはっきり提示しているものが多いと思う。だからピンチョンのようにやたらと広くて混沌としている雰囲気の小説は馴染めないのかもしれない。


なんて、おそれおおいことを書いている暇があったら本のひとつも読まないといけないのかもしれない。
今年はいっぱい本を読もう。あらためてそう思った。




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