Opportunity knocks
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| 2003年01月18日(土) |
「鬼が来た!」を観た |
チァン・ウェン監督の「鬼が来た!」を見た。 チァン・ウェンという人は今中国でいちばん人気があるというか、実力のある俳優として注目されている人らしい。「紅いコーリャン」という映画にも出ていて高い評価を受けている。俳優として有名な人なのかと思っていたら、監督までやっていてびっくりした。
映画が終わった後一緒に見ていた連れ合いと、この映画でいちばん言いたかったこと、表現したかったことってなんなのだろうという話をした。 連れ合いは、権力至上主義というか権力というものの前にでたとき、人間はいとも簡単にそれに平伏してしまうものなのではないか、そういうことを言いたかったんじゃないか、というようなことを言っていた。 確かに残虐な行為を行った人々の心は、強大な権力の前になすすべもなく従属した弱さからくるもののような気がした。弱いがゆえに人は残虐になれるのだ。その結果、中国人は悲惨な最後を遂げることになる。
でも、この映画が伝えたかったことというのは、それだけではない気がした。 中国人は日本人(香川照之ふんする日本軍人)を殺して知らぬふりをすることもできた。でもぎりぎりのところで殺せなかった。それは「私」と名乗る男に対する恐怖からなのかもしれない、なにかしらの打算が働いていたのかもしれない、でもそれ以外に何かがあったと思うのだ。人が人を殺すことに対する恐れ、または(ほかに良い言葉がみつからない)心の奥底にある良心(『何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪を斥ける個人の道徳意識』と広辞苑にはあった)みたいなもの。
結果的にそれらはすべて裏切られることになる。中国人マー(チァン・ウェン)は絶望し、すべてをあきらめ、破滅的な行動にでる。だからこそ、連れ合いのようにこの映画を否定的な気持ちで見てしまうのだけど、わたしは、結果的に裏切られたからこそ、殺さなかったという事実がより重みを持って表現されることになったのではないかと思うのだ。
うーん。自分で書いてて訳がわからなくなってきた・・。 つまり、この映画の中でいちばん表現されているのは、人が人を殺すということの重みではないかということ。人を殺す事が当たり前になってしまった軍人とごく普通の農民、それらを対比させ、戦争によって何が失われてしまったのかということを表したかったのではないだろうか。
とにかく重い映画だった。考えさせられる映画だった。
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