TOI,TOI,TOI!


2003年05月03日(土) 山登り&ヒンデミットの話

山登りの話の続き。
靴が汚れるのを気にしながら歩いてたのは、はじめの1時間ぐらい。
ぬかるみでズルッとやっているうちに、スニーカーもズボンもどろどろになり、
靴下まで完全にぬれてしまってからは、なんだか無性に楽しくなってきて、
疲れていたせいもあり、異常にハイテンションになってしまった二人。
くだらないことが妙におかしく、派手に騒ぎながら歩く二人。
あと3人一緒に登ってたんだけど、どんどん先にいっちゃって、全然見えなくなっちゃった。

もう足元は最悪で、歩いている感じはまるで「何も履いてないのと同じ(マライケ談)」状態。
「こういう状態をpatsch nass!(びっちょびちょ!)と言うの知ってる?」とマライケ。
気に入ったので「パッチナス!」「パーッチナス!」と叫びながら歩く。

頂上まであと20分という表示の出たところで、下ってきた3人とすれ違い、もう一緒に引返しちゃえと思ったんだけど3人が「見てらっしゃい」と言うので一応いっとくことにした。
ひざまである雪の中を歩いていたら、雪がどんどん靴の中に入って、本気で寒かった。
頂上からの眺めは、ちょっと霧がかかってたので、それほどでもなかった。
途中で見たアルプスの方がすごかったなーなんて、ふたりして冷めていた。

その日から靴が完全に乾くまで二日間ぐらいの間、二人してコンサート用の靴で過ごす羽目に。
この、”足元だけ本番”っていう姿って、な〜んでこんなに可笑しいんだろうか。
別棟に食事にいくとき以外はとくに靴を履く必要はなかったんだけど、カツカツとヒールの音を響かせて食堂に登場するっていうのは、我ながら笑える姿だった。


ところで、パウル・ヒンデミットはフランクフルト出身の作曲家だが、
晩年の10年間は、BLONAYで過ごしたという。
この施設はヒンデミット財団によるもので、そこから歩いて15分ぐらいのところには、ヒンデミットの住んでいた家がある。
今はヒンデミットに直接会ったこともあるという夫妻が住んでいて、
毎年来るこのフランクフルトの学生達には、特別に家の中を案内してくれる。
家具のいくつかを除いては、当時のまま保存しているという。

ヒンデミットという人は、ビオラだけじゃなく、なんでも弾いてたらしい。トランペットを吹いている写真なんかもあった。室内楽をシモン・ゴールドベルク(当時ベルリンフィルコンマス)などとやったり、指揮者としても活躍したので、その楽譜の数たるやものすごかった。
自筆譜ももちろんあった。出版するために誰かに清書させたりすることなく、自分ひとりで全部書いてたらしい。
細かいんだけど誰でも読める。めちゃめちゃきれい。たとえばベートーベンの楽譜なんかとは対照的。
彼は背丈は小柄な方で、指揮棒は短いものを好んで使用したという。そんな話を聞いていたら、彼の人物像がどんどん浮かび上がってきた。人間ヒンデミットがリアルに身近に感じられてきた。

彼はまた、狂の字がつくほどの鉄道ファンだったという。この話には一同笑った。
大人になってもいつも鉄道のおもちゃで遊んでいたという。大の大人が、レールを部屋に広げて一人で遊んでいる姿は、想像するだけでおかしい。
奥さんが出かけていくと、隠していた場所からレールやら電車やらを出してきて広げ、奥さんの帰ってくる車の音が聞こえると、大慌てで片付けたというから、やっぱりあくまでもこっそり遊んでたってことだ.

彼は、恐妻家だというのと同時にそれは愛妻家だったということでもあるんだということははっきりしている。彼らに子供はいなかったので、生涯二人きり。
家のあちこちにライオンをモチーフとしたあらゆるものが飾られているが、ライオン=妻なんだという。
彼はまた、絵を書くのが好きで、漫画というか風刺画(というのか?)のような絵を、たくさんたくさん書いている。顔がライオン(つまり奥さん)の絵ばっかり。

庭をちょっと歩いていくと、一畳ぐらいの広さの小屋(雨宿りしたりするための公園とかにあるようなやつ、なんていうんだか忘れた)があって、そこは緑に囲まれていて、見晴らしも最高で、彼はそこでも好んで作曲をしたという。
で、そこも、落書きだらけ。作曲する気が起きないときは、お絵描きをしていたらしい。
ここにもライオンだらけ。
柱の部分に、ライオンが20頭ぐらい、列になっている。これは一頭書いたら止まらなくなったって感じ。
でかいライオンに、20人ぐらいのヒンデミットがひざまづいて両手をつき降伏してる絵もあって、笑えた。


  
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