日記

2006年12月09日(土) ひとりでふたりで、やっぱりひとりで




今年がずんずん減ってゆきますよ。うう、書き残しがまだ多数ですのに。
ちょっと今手がつけられないのですが、もう一息つければ、せめて一つくらいは。


こんばんわ、書きかけて放置は一番タチ悪いですね。もえぎです。
色んなジャンルであちこちばんばん残しちゃってます。
そもそもの話として、今年はジャンル広げすぎましたでしょうか。
せっかくエピ3が出た年ですのにね。いえ。だからこそ、かもしれませんが……。
ナムカプは年明け開始の一本目で見事クリティカルヒット。
バハラグは思い出付加価値のドラゴン愛が今更溢れて。
BASARAはいわずもがなの現実逃避です。これが一番酷い理由ですね。
なんやもうぐちゃぐちゃですが、どの作品もやっぱり大好きなのですよ。
因みにゼノは、もう欄外の別次元の殿堂入りを果たしているので、別格です(笑)
もう座している場が違うのです。勝負する舞台からして異なっているのです。
ここまでゼノを、わたしの中で引き上げているのは、ただただ。ふたりがため。
あのふたりがいてくれたからこそ。すべては。

話がちろりとそれますが、最近サーガについて思うことがほろほろ。
や。ちょっと前に、こりもせずまた、エピ2予約特典DVD見ていたものですから。
ケビシオと、アンドリューのおっちゃんの関連性についてです。本当今更ですが。
エピ1において、シオンさんのことを最も近く理解していたのは、中佐ではと思うのです。
深く、ではなく、近く。理解していた。
もしかすると、サーガ全編を通してさえ、そうかもしれません。
『理解しようという努力』なしに、シオンさんを理解できた唯一の人なのではと。
仲間達はみんな、ずっとずっとシオンさんを見守って、信じ続けていました。
けれどそこには積極的に理解しなければという意志があったと思います。
思考の形が違うので。努力しなければ、理解できない。
シオンさんの思考の流れ、感情の結果、そういったものが分からない。
でも中佐は。努力なしに、共感をもってシオンさんを受け入れられた方なのでは。
真に、シオンさんのあの、生と死の見つめ方接し方を理解していたように思えるのです。
わたしはちっともロゴスを使って考えまとめることが上手くならないので。
どうしても感覚的に受け止めてしまうのですが。
シオンさん、中佐、ケビン先輩の三人は、同じライン上にいるような気がします。
何のラインなのかいまだに掴みかねていますが……。
ラインの両端に、中佐とケビン先輩が位置しているような。
似ていて近いのに、一番遠い。そしてシオンさんはその中間。
中佐に近かったり、先輩に近かったりして、揺れて。
この三人は似たもの同士の単身赴任みたいです。
生を完全に諦めて受け入れたのが中佐。
生を永劫に繰り返して途切れなくただふたりでと超越的に求めたのが先輩。
同じライン上で、それぞれの気持ちを両方理解するシオンさん。
最終的に、ラインを蹴って、別のラインへ。そんなイメージです。

こんなことを考え始めてしまったのは、『何故中佐はテスタメントに選ばれなかったか』
などと、思い至ってしまったからです。
生への執着がなかったからでは、と個人的に納得してしまいました。
諦観とも微妙に違う。虚無の受容?なんだかパラドックス的なような。
なにもなかった。なにもないのに、もがいて、苦しんで。とうとう受け入れた。
その果ての浜辺。そこを訪れて、理解できたのはシオンさんだけでした。
対比の妙。ここいらも、きちんとエピ3まで描いて頂きたかったですね。
なんかもうわたしエピ3でオルムス関連は、大変なことになってしまいました。
『マーグリスのおっちゃんがギロロさんにしか聞こえない』という非常事態に陥りまして。
いくらおっちゃん喋ってくれても真面目に聞くことがなっかなかできなかったのです。
油断するとふつふつ笑いがこみあげてきて仕方がありませんでした。
ほんと駄目なユーザーですねこれ。


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