私も含め、多くの人が何の苦労もなく『日本人』と言うステータスを持っている。いや、持たされているというべきか。
ここで日本人というものを考えてみる。 いや、別にパプアニューギニア人でも、ウズベキスタン人でも、それはかまわないのだが、とりあえずは日本人だ。
日本人。 それは日本で生まれた人・・・・・・ではない。
私の中学生の同級生で山田くんという人がいる。 彼は日本人だ。 父も母も日本国籍を持ち、生まれてからほとんどを日本で過ごしている。 だが、彼の生まれたのはアメリカ、ニューヨークだ。 両親が都合によりニューヨークにいたときに生まれたそうだ。 そして、物心つく前に日本に戻ってきた。
彼は、まぎれもない日本人だ。
日本語を話せば日本人なのか? いや、これも違う。 NOVAのCMではないが、話している言葉と外見は明らかに違っている場合だってある。 関西弁だろうと九州弁であろうと東北弁であろうと、どんな言葉を使っていても、インド人はインド人だし、オーストラリア人はオーストラリア人なのだ。
じゃあ、国籍か? 法律的にはそうだが、両親が違う国籍である場合、選択することができることもあるのだ。 法律が国によって違うので一概に言えないが、一定の年齢の時に選べると聞いている。 では、それまで、いったい何人だというんだろうか?
いったい何なんだ? 日本人というステータスは何なんだ? 方法さえあれば明日にでも変われるほど曖昧なものなのか?
○○人というのは、それまでの歴史を知り、文化を学び、自分であることを誇りに思える人ではないか? 声に出していってみよう。
「私は日本に生まれ、育って、文化を学び、歴史を知り、そのことを誇りに思える」
・・・だめだ、なおさら胸を張っていえなくなる。 いったい、日本人というのは何なのか? 形のないもので、よくわからない。
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