| 2002年09月09日(月) |
嫌な自分(まとまりのない文章です) |
飲み会があったので、ちょっと街中へ行ってまいりました。 人を持っていると、通りの向こうで懸命に声をかける人たち。 気になって近寄ってみると、『心臓病の子供に渡米費用を』という募金活動でした。 半分財布を開きかけている私。 でも、募金はしませんでした。
ふと握った千円札ですが、これが何の役になるのでしょうか?
アメリカの物価は知らないので、日本並と考えて見ます。 普通の食事を1〜2回分でしょう。 付き添うのは両親ですから、彼ら2人の1日分の食事代にもなりません。 私一人が動かないでも、生き延びられる可能性はさほど変わらないでしょう。 それよりも、アジア・アフリカの人に千円を送れば、たくさん命が助かる。
おかしいですよね。 命の価値に違いがあるわけじゃない。 それなのに、等価で一人も助けられないのと複数の人が助けられる現状。 残酷なことを言います。 この心臓病の子供が渡米費用が集まらずに死んでしまった。すると、集まったお金は何人の人の命を助けるために使うのでしょうか?
誰もが飢えや病気で死亡するのは避けたいことでしょう。 天寿をまっとうできるにこしたことはないでしょう。 現実は違っていたとしても。
「100人殺して1人生かすこと」 「1人生かして100人殺すこと」 どちらが正しいとは判断できません。 眼の前で死にそうな人がいれば手を差し伸べてしまいますし、 遠い国で無残に死んでいく人がいても心が痛みません。 殺されたほうは悪魔と罵り、 生かされたほうには神様と崇められる。 行為自体に正しさというものはないでしょう。 悩んで、悔やんで、自分で心にオモリをつけるだけなのです。
結局、千円札はこの子の募金箱には入りませんでした。
帰りのコンビニで、握り締めた千円札を募金箱に入れていた私がいました。 かってな自己満足。 見える人に手を差し伸べず、見えない人を助けた気になる自分。
あまり関係はないのかもしれませんが、今日の行動は朝の電車が起因。 座席に荷物を置く男が二人。 何人も近づいて、何もいわずにいる。 電車内は込んでいて、座れるはずの席を独占している人たち。 恨めしそうに見る人。 「なんで、座ることを自己主張しないの?」
何もしない人たちが嫌だった。 何かしたい自分がいた。 何もしなかった自分に腹が立った。 だから、ごまかしのためにお金を握り締めていた。 結局、彼ら降りるまで、座席の上には荷物が置かれていた。
|