あまつばめの雑記
こんばんは。いらっしゃいませ。

2002年06月11日(火) 大人は転べない

近所に小さな子供がいる。
小学校に上がる前の年頃なのだが、見ていると、本当によく転ぶ。
荒れたアスファルトの上で転ぶ姿は、見てしまった人間の膝の当たりを、皮がめくれ返るような寒気を覚えさせてくれる。
盛大に転んで、それでも懲りずに走り出し、また転ぶのが痛々しい。
「もっと、気を配って歩けばいいのに」と、大人の視線で考えるのだが、私たちは近頃、転ぶようなことがあったのだろうか?

よくよく考えてみると、転ぶというのは大変なことだ。
歩いて進むエネルギーを、重力に任せてしまうのだ。
仮に時速4�劼琶發い討い燭蕁△修谿幣紊離好圈璽匹如△靴�もブレーキをかけることなく壁にぶつかるようなものだ。
60�圓瞭�塊が、躊躇無くぶつかる様を想像していただきたい。
結構な惨事だ。
それを頭の片隅で考えると、大人は転べなくなってしまう。
じゃあ、問答無用に転ばなくてはいけない環境はどんなときなのだろう。

スキーやスケートを習ってみる。
そうすれば、転ぶことなど、日常茶飯事だ。いつだって転べるだろう。
しかし、習熟して行く内に転ばなくなってしまう。
「やっぱ、転ばないのがうまいんだよ」と、転べないことを誇るようになってしまう。
これではだめだ。

じゃあ、走ってみよう。
それも、普通の走り方じゃなく、まっすぐ走れなくなるほど長距離だったり、目隠しや後ろ向きだったり。
これなら、どんな大人であろうとも、転ばざるを得ない。
思う存分転べるのである。
まあ、そこまで長い距離だったら車を使って移動するとか、目隠しや後ろ向きで走る人間を、まともな大人と見ていいのかは別として、転ぶ方法は確かにあるのだ。

そして、実行できない。
大人は転ぶ怖さを知っているからだ。
膝の皮がすりむける痛さを、支えた手のひらが痺れる怖さを知ってしまっているから。もう、転ぶことはできない。自分の意志では、なおさらだ。
いつまでも、大人は転ばないように我慢し続ける。そうして、耐えきれなくなって転ぶので、取り返しのつかないほど痛い目に遭ってしまう。

転ばないのでなく、転べない大人。
案外、生きていくほど不器用になるものだ。


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