必要はないのだけど、万が一のことを考えて持ち歩くものがある。 例えば絆創膏など、小さな子供が身近にいるのでなければ、使用期限が切れきれているのがわかるほど劣化してしまうことがある。それを見て 「しまった、使い損なった」 と悔やむことは、まず無い。使えないとわかっていても、捨てる場所に困って入れ直してしまうくらいだ。新しく入れておこうかなと考えはするのだが、きれいに忘れて、それでもイザという時がくること自体、まれなのである。
私は視力が悪い。 極度の近視と乱視だ。 眼鏡やコンタクトがないと、世の中の文字というものが存在しないかのように感じてしまう。 一日の内に眼鏡を外すのは、せいぜい寝るときぐらいのものだ。お風呂にだって眼鏡をかけて入る。そうでないと怖くて仕方がない。 そんな私の鞄の中に、いつも入っているものがある。 眼鏡ケースだ。 眼鏡を外して保管しておく、プラスティック製の小さな箱である。 これが使われることは、今のところなかった。これからも、2つ以上の眼鏡を所持しない限り使うことはない。 鞄の中で、結構じゃまな存在にもなりつつ、それでも毎日入れている。 いったい、何がそうしているのだろうか。 使うことがないのはわかっているくせに、毎日鞄に入れるケース。いったい、何を期待しているのだろうか。
………だったら試してみようではないか。 とりあえず、ケースを持っていないと、何が不便なのか知るために家に置いてきた。 今日という日が終わって感じたのは、鞄が妙に寂しく感じたことだ。 あれだけ邪魔者も、いなくなると寂しいものがある。 全く、わがままだ。 使いもしないケースを、無ければないで寂しがるのだから。
まあ、私の中で意義を持たせてやるのも悪くはない。 よし。 『使わないこと』に意義を持たせてみよう。あるだけで安心できるものを。
他人から見れば無駄なこと。 だからこそ、持っているのだ。眼鏡ケースを。
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